比丘尼山
比丘尼山は、女性が横たわったような美しい山です。
その昔、比企郡司比企遠宗の妻、比企の尼が遠宗の没後禅尼となって草庵を営んだところと伝えられています。
『郡村誌』には、この比丘尼山について
「高一丈周囲八町村の西にあり 往時源頼家伊豆国修禅寺に於て斃せし時、若狭局遺骨を奉し此村に来り、遺骨を葬り、庵を結び居住せしにより、庵を修善寺と呼び山を比丘尼山と呼ぶ と口碑に伝う・・ 」と記しています。
比企地区には、理由は分かりませんが、鎌倉と同じ呼称の土地が多くあります。比丘尼山から南は、字こそ違え伊豆の修善寺と同じに、主膳寺と呼ばれている地域です。その他にも扇谷・梅が谷・菅谷・滑川・腰越・大蔵などがあります。
比丘尼山の南面には横穴墓が造られており、市指定史跡となっています。三千塚古墳群の一部、比丘尼山の南斜面に3 、4 段に配列して築造されています。40~50基余りの横穴墓が分布していると思われ、うち 3 基が開口しています。吉見百穴と同様の7 世紀頃に造られたものであると思われます。
横穴墓群は吉見百穴を中心に西に広がっており、この地方に移住した渡来系氏族の壬生吉志(みぶきし)氏とのかかわりあいのある墓制とも考えられています。