京都丸太町通 平安京創生館
源氏十九才宰相中将正三位也 紫震殿也
きさらぎのはつかあまり、なんでんの桜のえん
藤つほ
せさせ給。きさきとうぐうの御つぼね、左右にし
春宮ノ御母 藤つほ
て、まうのぼり給ふ。こうきでんの女御、中宮のか
くておはするを、おりふしごとに、やすからずおぼせど、
ものみにはえすぐし給はでまいり給ふ。日いとよく
はれて、空のけしき鳥のこゑも心ちよげなる
に、みこたちかんだちめよりはじめて、そのみちのは、
探韻 詩作文
みなたむゐん給はりて、ふみつくり給。さいしやう
中将はるといふもじ給はれりとの給ふこゑさへ、
れいの人にことなり。つぎにとうの中将、人のめうつ
しも、たゞならずおぼゆべかめれど、いとめやすくも
てしづめて、こはづかひなと、もの/\しくすぐれたり。
さての人々゛は、みなおくしがちに、はなじろめるおほかり。
み
ぢげのもんじんは、まして御かどとうぐうの、御ざえかし
こくすぐれておはします、かゝるかたに、やむごとなき
人おほくものし給ころなるに、はづかしくてはる/"\
とくもりなきにはに、立いづるほど、はしたなくて、
やすきほどのことなれど、くるしげなり。としおい
たるはかせとものなりあやしくやつれて、れいなれ
たるもあはれに、さま/"\御らんずるなんおかしかり
ける。がくどもなどはさらにもいはず、とゝのへさせ給へ
り。やう/\入日になるほどに、はるのうぐひすさえづる
といふまひいとおもしろくみゆるに、源氏の御もみぢ
御門心
のがのおりおぼし、出られて、とうぐうかざし給はせて、せ
源
ちにせめのたまはするに、のがれがたくて、たちてのどか
に、袖かへす所を、ひとおれ氣色ばかりまひ給へるに、
にるべきものなくみゆ。左のおとゞ、うらめしさも忘れて、
泪おとし給ふ。とうの中将、いづらをそしとあれば、りうくは
えんといふまひを、これはいますこしうちすぐして、
かゝることもやと心づかひやしけむ、いとおもしろければ
、御ぞ給りて、いとめずらしきことに人思へり。かんだちめ
みなみだれてまひ給へど、夜に入ては、ことにけぢめもみ
えず。ふみなどかうずるにも、源氏の君の御をば、かうじ
如月の二十日余り、南殿の桜の宴せさせ給ふ。后、春宮の御局、左右にし
て、まうのぼり給ふ。弘徽殿の女御、中宮のかくておはするを、折節毎に、
安からずおぼせど、物見には、え過ぐし給はで参り給ふ。
日いとよく晴れて、空の景色、鳥の声も心地よげなるに、親王達、上達部
より始めて、その道のは、皆探韻(たむゐん)給はりて、文作り給ふ。宰
相中将、「春といふ文字給はれり」と宣ふ声さへ、例の、人に異なり。次
に頭の中将、人の目移しも、ただならず覚ゆべかめれど、いとめやすくも
て鎮めて、声(こは)使ひなど、物々しく優れたり。さての人々は、皆臆
しがちに、はなじろめる多かり。地下の文人は、まして、御門、東宮の、
御才(ざえ)賢く優れておはします、係る方に、止む事無き人多くものし
給ふころなるに、はづかしくて、はるばると曇り無き庭に、立ち出づる程、
はしたなくて、安き程の事なれど、苦しげなり。年老いたる博士共の、な
りあやしくやつれて、例馴れたるも、哀れに、様々御覧ずるなん、可笑し
かりける。
楽共などは、更にも言はず、調へさせ給へり。やうやう入日になる程に、
春の鴬囀ると云ふ舞、いと面白く見ゆるに、源氏の御紅葉の賀の折り、お
ぼし、出られて、春宮簪給はせて、切(せち)に責め宣はするに、逃れ難
くて、立ちて、のどかに、袖返へす所を、ひとおれ、気色ばかり舞ひ給へ
るに、似るべき物無く見ゆ。左の大臣、恨めしさも忘れて、泪落とし給ふ。
「頭の中将。いづら。遅し」とあれば、柳花苑(りうくはえん)と云ふ舞
を、これは今少しうち過ぐして、かかる事もやと心使ひやしけむ、いと面
白ければ、御衣給はりて、いと珍しき事に人思へり。上達部皆乱れて舞ひ
給へど、夜に入りては、ことにけぢめも見えず。文など講ずるにも、源氏
の君の御をば、講師(かうじ)