のきにはつたあさがほはひかゝりしのぶまじりのわすれ
草、ひようたんしば/"\むなし。くさがんゑんがちまたに
しげし、れいぜうふかくとざせり。雨げん/"\がとぼそをう
るほす共、いつゝべし。すぎのふきめもまばらにて、しぐれも
霜もをく露も、もる月かげにあらそひて、たまるべし
共見えざりけり。うしろは山、まへはのべ、いさゝおざゝに風さは
ぎ、世にたへぬ身のならひとて、うきふししげき竹ばし
ら、都のかたのおとづれは、まどをにゆへるませがきやわづ
かに事とふ物とては、みねに木づたふさるのこゑ、しづがつま
木のおのゝをと是らがをとづれならでは、まさきのかづら
あをつゞら、くる人まれなる所なり。法皇人や有/\とめ
されけれ共、御いらへ申者もなし。やゝ有ておひおとろへ
たる、あま一人參りたり。女院はいづくへ御かうなりぬるぞと
仰せければ、此うへの山へ、花つみに入せ給ひさぶらふと申。さ
こそ世をいとふ御ならひといひながら、さやうの事につ
かへ奉る人もなきにや御いたはしうこそと仰ければ此あま
申けるは、五かい十ぜんの御くはほうつきさせ給ふによつて今
かゝる御めを、御らんぜられさぶらふにこそしやうしんのぎやうに、
なじかは御身をおしませ給ひさぶらふべき。ゐんぐわきやう
には、よくちくはこゐん、けんごげんざいくは、よくちみらいくは、げ
んごけんざいゐんとゝかれたり。くはこみらいのゐんぐはを、兼て
さとらせ給ひなば、つや/\御なげき有べからず。昔しちだ
太子は、十九にてかやうじやうを出、たんどく山のふもとにて、
木のはをつらねてはだへをかくし、みねにのぼつてたきゞ
をとり、谷にくだりて水をむすび、なんぎやうくぎうの
こうによつてこそ、つゐにじゆとうしやう覚し給ひき
とぞ申ける。此あまの有さまを御らんずれば、見にはきぬ
布のわきも見えぬ物を、むすびあつめてぞきたりける。
あの有さまにても、かやうの事申すふしぎさよと、思
て、そも/\汝はいかなるものぞと仰せければ、此あまさ
平家物語巻第十二 平家物語灌頂巻
十 小原御幸
十 小原御幸
軒には、蔦朝顔匍ひ懸かり、忍混じりの忘れ草、瓢簞しばしば空し。草、顔淵が巷に繁し、藜藋(れいぜう)深く鎖せり。雨原憲(げんげん)が枢を湿すとも、言つつべし。杉の葺き目も疎らにて、時雨も霜も置く露も、漏る月影に争ひて、溜まるべしとも見えざりけり。後ろは山、前は野辺、い笹小笹に風騒ぎ、世にたへぬ身の慣らひとて、憂き節茂き竹柱、都の方の訪れは、間遠に許へる籬垣や僅かに事訪ふ物とては、峰に木伝ふ猿の声、賤が爪木の斧の音、是らが訪れならでは、正木の葛青つづら、來る人稀れなる所なり。
法皇、
「人や有る、人や有る」と召されけれども、御答(いらへ)申す者も無し。やや有つて老ひ衰へたる、尼一人參りたり。
「女院は、いづくへ御幸なりぬるぞ」と仰せければ、この上の山へ、花摘みに入らせ給ひ候ふと申す。さこそ世を厭ふ御習ひと言ひながら、
「さやうの事に仕へ奉る人も無きにや。御労(いたは)しうこそ」と仰ければ、この尼申しけるは、
「五戒十善の御果報、尽きさせ給ふによつて、今、かかる御目を、御覧ぜられ候ふにこそ、捨身(しやうしん)の行に、なじかは、御身を惜しませ給ひ候ふべき。因果経には、欲知過去因(よくちくはこゐん)、見其現在果(けんごげんざいくは)、欲知未来果(よくちみらいくは)、見其現在因(げんごけんざいゐん)と説かれたり。過去未來の因果を、兼て悟らせ給ひなば、つやつや御歎き有るべからず。昔、悉達(しちだ)太子は、十九にて迦耶城(かやうじやう)を出で、壇特(たんどく)山の麓にて、木の葉をつらねて肌(はだへ)を隠し、嶺に登つて薪を採り、谷に下りて水を結び、難行苦行の功によつてこそ、遂に成等正覚(じゆとうしやうくはく)し給ひきとぞ申しける」
この尼の有樣を御覧ずれば、見には衣(きぬ)布のわきも見えぬ物を、結び集めてぞ着たりける。
あの有樣にても、かやうの事申す不思議さよと、思ひて、
あの有樣にても、かやうの事申す不思議さよと、思ひて、
「抑、汝はいかなる者ぞ」と仰せければ、この尼、さ
※瓢簞しばしば空し~
和漢朗詠集下 草 橘直幹
瓢箪屡空草滋顔淵之巷藜藋深鎖雨湿原憲之樞
申民部大輔状 橘直幹
瓢箪、屡(しばし)ば空し。草、顔淵が巷に滋し。
藜藋(れいでい)、深く鎖せり。雨、原憲が枢(とぼそ)を湿(うるお)す。
瓢箪、屡(しばし)ば空し。草、顔淵が巷に滋し。
藜藋(れいでい)、深く鎖せり。雨、原憲が枢(とぼそ)を湿(うるお)す。
※因果経 過去現在因果経、ただしこの経文は無い。
※悉達太子 釈迦の俗名。シッタルタの音写。
※迦耶城 ガヤーの音写。ただし、ガヤーはマガダ国の首都で、悉達が住んだのは迦卑羅婆率(カピラヴァストゥ)城。
※壇特山 ガンダーラに位置する山とされ、弾太落迦(だんだらか)とも称する。日本では古くから悉達太子が苦行を積んだ地とされる。
※成等正覚 菩薩が、仏の悟りである等正覚を成就すること。迷いを去って完全な悟りを開くこと。