無動寺(或は無幢寺に作る。
此所に坊舎十三坊有)
不動堂(相應和尚の作なり。染殿の皇后に霊鬼の障碍ありし時相應和尚此不動
尊に祈り給ふ。日を經ずして霊鬼退散す。故に染殿后より此所を御建立ありし也)
大乗院(慈鎮和尚住み給ひし所なり。此院のうへに墳墓あり。又本願寺の祖親鸞聖人
もこゝに住み給ひ天台の学問ありしなり。當院は山中第一の絶景なり。
山王七社の中客人宮は
此谷の守護神なり )
続後撰
鷲の山有明の月はめぐりきて我立杣の麓にぞすむ 慈鎮
辨財天(竹生島より此地に自蛇と化して影向ありし也。宮のうしろに
影向石有。親鸞聖人弘法の為此宮に祈誓ありしとぞ )
雲母坂不動堂(本尊不動明王は傳教大師の作なり。 南光坊(戒壇堂の傍らにあり。慈眼大師
雲母寺の額は石川丈山の筆とぞ ) と号す日光御門主の御本坊也)
當山名勝
四明岳(叡岳第一の峯也。雲母坂より登りて右に小径あり。山上に石佛を安ず。是山城近江の
堺なり。絶頂より快晴の日は西海の淡路島四國の海路幽に見ゆるなり )
滿土混論辻(大講堂を東へ下りて四辻あり。これをいふ。傳教大師在世の時大黒天
出現の地なり。大黒堂あり。是より南へ行けば南谷無動寺の通路也。東へ行ば
東谷より坂本へ下る也。宝地坊證眞の旧跡 登天石(東塔の南谷遺教坊の門前にあり。
花王院あり。北へ行ば根本中堂の参路なり) 此ほとりに法性坊尊意僧正の旧跡
あり。菅神此石を踏 常光坊(此寺の前は絶景にして中秋の月佳境也。 三ツ子坂
で登天したまふといふ) 又此地に楓多くありて紅葉の時も眺望あり)
(戒壇院の後より 青竜石(西塔千手院の大嶽に大巌あり。瀧のロをあきたる形に似たり。
右へ下るなり ) 此前に至れば人多く死す。千手院の静観僧正此石頭に座して
一七日加持し給へば忽然として黒雲覆ひ山谷震動し 三尊石(横川に至る道の
岩石くだけ散り也。夫より崇りなしとぞ。宇治拾遺に見えたり) 傍らに大岩三ツ
あり。此所 五百羅漢石(道より西のかた谷の向かふに岩石幾許 阿字休息峰(路の傍
魔境といふ) ならびあり。むかし五百の賢聖習定の所なり) に切石
あり。北嶺回峰の行者 釋迦多宝仏(これ山城近江の境也。西は八瀬の里へ
王城加持修行の所也) くだる路あり。東は横川へいたる) 波母山
(又小比叡ともいふ。横川へ行く左の方、山の半腹に大巌あり。 寒嵐嶽(華表岡より西の髙
神代に白髭明神釣を垂し所なりとぞ ) 峯をいふなり)
華表岡(又不二門といふ。是より 阿弥陀峯(鳥井の下に立て西を臨ば二峯あり。昔
境川の分地なり ) 恵心僧都弥陀来迎を拝せし所也。
又峯越弥陀 蟻塚(路のかたはらに石垣を築小径にあり。相應和尚此道を通りし時
ともいふなり) 大雨頻に降て前路を崩隔す。時に山蟻数萬集りて暫時に路
を開て往来をなさしむ。和尚奇異の思ひを 竜池(又赤池ともいふ。慈覚大師結界して
なして此所に其印を築て蟻塚と号す ) 竜神を潜居せしむる。今も雨を乞ふ
時はこゝに 護法石(中堂の東の 如法水(中堂 独鈷水(又寂静水ともいふ。慈惠
祈るとぞ ) 下にあり) 闘伽井也) 大師鑒開の水華蔵院
のうち 衣掛石(和労堂より八王子に 五男三女降石(同所に 樺生谷(横川より八王子
にあり) いたる小径にあり) あり ) に至る道にあり)
戒心谷(飯室へ下る 定家卿墓(横川へ至る道のかたはらにあり。傳云く定家卿此山に
行路に有 ) 登臨しつねに閑寂なるを愛し給ふ。石ノ小塔あり )
家集
踏むだにもゑにしなるてふ此山の土となる身はたのもしき哉 定家
奈良坂(横川より坂本へ下る道をいふ。蛇池(雲母坂を登りて、左の路のかたはらに窪き
春日明神影向の地なり ) ところあり。今は水涸て池なし)
水飲(雲母坂の中途にあり。むかし地藏堂ありて脱俗院と号す。 音羽谷(雲母寺の南
真如堂の阿弥陀仏山上薬師堂よりはじめて遷佛ありし所也) に有。むかし
瀧ありて比叡山音羽瀧といふ。
今は山崩て瀧なし )
比叡山無動寺大乗院
比叡山無動寺大乗院より下りた山道にて