新古今和歌集の部屋

方丈記の数字に対する考え方2

鴨長明の生まれをどの本も「鴨長明は、久寿二年(一一五五)に生まれ」(安良岡康作 方丈記全訳注237P)となっているこれは、方丈記の
すなはち、五十の春を迎へて、家を出て世を背けり。
元より妻子なければ、捨て難き縁もなし。身に官禄あらず。何に付けてか執をとどめむ。虚しく大原山の雲に伏して、五かへりの春秋をなん経にける。(前田家本)
により、出家した年を元久元年(1204)頃から計算されている。
承元元年(1207)に浄土宗念仏停止と法然、親鸞他流罪事件(承元の法難)により、大原にも弾圧の手が伸び、長明も日野に移り住まなければならなくなったと推察されている。

所が、その後に
ここに六十の露消えがたに及びて、更に末葉の宿りをむすべる事あり。
となって、年齢の計算が合わなくなり、様々な説が生じてしまった。

しかし、出家年齢が確定させられる根拠が有るかと言うと、前述の文言しか無い。
六十歳も概ねと考えれば、五十歳も概ねとすべきだろう。

共に確証の有る説では無いが、確定出来ないと言う説も唱えたい。

コメント一覧

jikan314
Re:こちらももうごらん済みかもしれませんが・・・
2つの地図は初めてです。
感謝申し上げます。

つい、真っ先に白川の志賀越道を見てしまいました。
雪が解けたら志賀越する予定です。昨年は、雑草に阻まれ、危険なので、1km未踏破でした。
kunorikunori
こちらももうごらん済みかもしれませんが・・・
自閑さま

http://www.pref.kyoto.jp/dezi/data/16.html

この大きさでは見えないですが、雰囲気だけでも。『平安時代から応仁の乱まで』

http://www.pref.kyoto.jp/dezi/data/22.html

私には、下記が非常にわかりやすくて、どのあたりかを想像するのに役に立ちそうで、気に入っております。

http://rekishi.maboroshi.biz/heian/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E4%BA%ACgooglemap/

透過率を変えますと、今のどのあたりになるのかがわかるようになっております。画像が出てくるまでに時間がかかるかもしれません。

余計なことを、すみません。
古地図が好きなもので、つい。。。失礼いたしました。
jikan314
Re:鴨長明の祖母様
kunorikunori様
未だこの資料は読んでおりませんでした。
感謝。
京都は、北大路の北に南大路が有るので、何処に本当はあったのか?不明です。
応仁の乱以前は、不明な事ばかりです。
kunorikunori
鴨長明の祖母様
自閑さま

もう、すでにお読みかも知れませんが…

http://www.kamoagatanushi.or.jp/Mitarashi/3/1.pdf

↑見つけました。

               
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「方丈記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事