江南の珎碩我にひさごを送レり。これは
是水漿をもり酒をたしなむ器にも
あらず。或は大樽に造りて江湖をわた
れといへるふくべにも異なり。吾また
後の恵子にして用ることをしら
ず。つら/\そのほとりに睡りあや
まりて此うちに陥る。醒てみるに
日月陽秋きらゝかにして雪のあけ
ぼの闇の郭公もかけたることなく
なを吾知人ども見えきたりて皆風雅
の藻思をいへり。しらず是はいづれの
ところにして乾坤の外なることを。出て
そのことを云て毎日此内にをとり入
越智
元禄三六月 越人
※珎碩 濱田酒堂の号。近江膳所藩医師。元禄二年頃、松尾芭蕉に入門。ひさご集を撰した。
※水漿 飲み物。
※大樽〜恵子 荘子逍遥遊第一。荘子と恵子の問答「魏王、我れに大瓠の種を貽れり〜何ぞ以て大樽と為して江湖に浮かぶことを慮えずして、其の瓠落として容るる所なきを憂うるや。」による。
※雪のあけぼの 新勅撰 冬歌 後京極摂政前太政大臣
寂しきはいつも眺めのものなれど雲間の峯の雪のあけぼの
など。
※闇の郭公 拾遺集 夏歌 実方朝臣
さ月やみくらはし山の郭公おほつかなくも鳴きわたるかな
など。
※藻思 詩文を作ること。その才能。
※越智越人 尾張蕉門で十哲。更科紀行で同行。