定家朝臣
歸るさの物とや人のながむらんまつよながらのあり明の月
めでたし。 我はまつ夜ながらに、むなしく明ゆく
此有明の月を、よその人は、思ふ人に逢て、かへるさのも
のとや見るらむと、うらやみたる也。 或抄に、有明の月の
かなしさは、別れてかへるさの物とばかりや、人の思ふらん、
といへるは、二三の句の詞にかなはず。
摂政家百首哥合に契戀 慈圓大僧正
たゞたのめたとへば人のいつはりをかさねてこそは又もうらみめ
たゞたのめは、とやかくと疑はず、たゞひたすらに我ガいふこと
をたのめと、契る人にいふ也。 たとへばといふは、いまだ其
事のなき時に、もししか/"\の事あらむに、といふ時につ
かふ言也。此つかひざま、此ころの物には、たゞの文にもをり/\
見えたり。此哥にては、いまだ偽を重ねはせざるに、もし此
後いつはりのかさなる事あらば、其時にこそいといふ意也。
人は、こゝにては、我をいふ、かなたのうへよりいへば、我は
人なり。 結句は、又とは、上のかさねてといふにかけ合たり。
然れば、此哥は、人の恨むるにつきていへる意にて、今までの
事は、ともかくもあれ、今より後は、たゞ我を頼み給へ、此
うへ我ガ僞リの重なりたらむにこそ、又も恨み給はめといへる
なり。 或抄に、たとへばを、たとへば人に偽有とも、まづ
たゞたのめと注したるは、かなはず。
題知らず 小侍従
つらきをもうらみぬ我にならふなようき身をしらぬ人も社あれ
我こそ、わがうき身のとがに思ひなして、君がつらきをも恨み
ね、その恨みざまにならひて、よきことゝ思ひて、人につらく
あたり給ふなよ。人は我ごとくには、おもひなだめぬこともあ
らむにとなり。 うき身をしらぬとは、我はうき身なれ
ばといふことをわきまへぬをいふ。
※歸るさの 或抄 不明
※たゞたのめ 或抄 不明