ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

豪雪の飯山線、中央東線夜行442M(昭和59年)

2011-01-17 18:49:27 | 鉄道
昭和59年3月下旬、春休みの写真です。
当時、青春18きっぷは6日間有効だったので、友人と2泊3日の乗り鉄旅行に出ました。
1日目:東海道線で米原、米原からは直江津行客車鈍行。柏崎のYH宿泊。
2日目:越後線で新潟、信越、上越線で越後川口。飯山線の気動車で長野に出て、442M新宿行きで車中泊。
3日目:東海道線で京都に向かうも、途中、御殿場線、二俣線と迂回ルートを制覇。

そんな中から印象的な写真ということで、雪の飯山線をチョイス。
今、寒波到来大雪真っ盛りですが、昭和59年も雪が多かったようです。

越後川口から乗った十日町行きは、約1時間ほど停車して、そのまま長野行きに。

雪が嬉しい中学生約2名は、大はしゃぎだったのです。

十日町でも十分にすごい雪でしたが、森宮野原を過ぎて長野県内に入ると更に深い雪に。

多分、平滝駅あたりが最も深い雪だったと思います。
この時期にこんだけ雪が残っていることが驚きで…

さて長野には夕方に到着しましたが、こちらには全く雪はなく。ほんの少しの距離で全く違うんだと実感。
今でも上信越道のチェーン規制の出方を見れば納得ですね。
長野からは、新宿行きの夜行列車。442Mとして知られてますが、

先頭のクモニ83には427Mと表示されてますね。松本で列車番号が変わるのだと思います。

今では信じられないと思いますが、この新宿行き夜行電車、なんと長野を18時半ごろに出発したと記憶してます。
今ならこの時間に新幹線に乗れば20時過ぎには東京に着いてしまいます。当時でも上野行き最終特急あさまには余裕のある時間でした。
新宿到着は早朝4時半ごろだったか?松本で1時間半ほど時間調整し、21時半ごろ出ていたので、
実質的には松本・諏訪と東京を結ぶ夜行列車といった方が良いかもしれません。
この442Mは1両に10人ほどの乗りでガラガラ、①ボックス占拠が可能でしたが、新宿発の441Mは北アルプスを目指す山男で混雑したそうな。
こんな短距離でも需要があった理由です。

編成もまたすごく、165系なんて使ってくれない!
クモニ83+115系6連。しかも115系は初期型0番台でした。
寝心地は悪いと思いきやシートピッチが狭すぎるので、
座っている側のクッションを10cmほど前にせり出し、足を向かいに投げ出すと妙に塩梅が良い。
しかしながら混雑して、ボックスに4名とか入ったら寝られたもんじゃなかったでしょうね。
編成の前の方から、クモニ83の釣り掛けモーターが唸る音が聞こえてくるのは、今思えばある種の風情でした。

このクモニ83、新性能のクモニ143ともども、東海道本線の普通にも多数運用されていました。

撮影は二俣線乗り換えの掛川駅にて。
クモニ83の向こうは113系ではなく111系です。当時の静岡県内は111系が主力だったようです。

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