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雑記

2004-05-19 13:19:07 | 社会・経済
アイデンティティーについて自分が作っていく物語を受け入れられる状態を言う。
自分から動いていくものが思いもよらない結果を生んでも「まあいいか」といえる範囲なら
まだストレスは少ない。「まあいいか」ですまなくなるとストレスを強く感じる。
人間は人と関わる生き物なので「まあいいか」の範囲はそれこそ器になってしまう。

自分が作っていく物語を悲観的に見ると自ら悲しい話を作りがちになる。
楽しく考えると自ら楽しい話を作っていくことになる。

事実の列挙から物語を作るのだけれども、
切り取る事実によって物語りは違ってくる。
淡々と事実を語っているようでも、
一部の事実を無視したり、見ることができなかったり、
受け入れがたい事などがあったりして、
物語が語り部の主観から離れることはない。

感受性や五感の働きの違いによっても
物語は変わってくる。

職業、性別、信仰などによっても物語りは変わる。

人間の織り成すドラマは多様であるが
理解する段になると単純化して
レッテルを貼ったり差別をしたりしなければ
ならない人がたぶんにいる。
物語は単純化されやすい。

全体の物語は一定の方向で進んでいくが
ひとつひとつのベクトルの向きを変えていくと
全体の流れも変わるかもしれない。

経済の動態の調査などは
直接に人がどうかんじるかを見なければ
政策の優位を知ることはできない。
どこの事実を切り取るかで
経済の動態は大きく異なってくる。