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うた

2014-11-09 10:22:50 | 日記・エッセイ・コラム
歌うたいは愛を歌う

いろんな言葉をつかって

君に届けと愛を歌う

遠い昔から

ずっとそうだった

君に届けるために

愛を歌い続けてきた

何にもないことのなかに

愛を繋げておくった

ただ愛してると叫べばいいのかもしれない

でも歌うたいは

いろんな言葉にかえて

思いを伝えようとした

遠い昔から

ずっとそうだった

言葉は愛でできている

違いを示すのにつかうけど

言葉は愛でできている

ちいさな一言のなかにも愛がある

そんなかすかな愛に

気がつくかどうかだ

愛の反対も愛だ

憎い感情も愛があるからだ

言葉は愛でできている

何も感じないとき

言葉を必要としない

無関心でいられるからだ

以心伝心になっても言葉は要らない

もはや心が通じて行為に

愛を感じるからだ

無関心との違いは行為の違いでわかる

言葉は愛なんだよ

素直になるかならないか

ただそれだけの違いだ

スキルアップ研修

2006-07-30 20:49:22 | 日記・エッセイ・コラム

今日は精神障がい者を理解するための

ヘルパーさんのスキルアップ研修の日でした。

ボクは統合失調症の当事者として

話をしてきました。

じゅうぶんな話ができていたか振り返っています。

ボクの場合は幻聴が聴こえることによって

妄想が起こりました。

何もないところから声が聞こえるんですから

ある種の霊的なものか電波的なものか

何か感じるわけです。

東京に就職に上京し会社の案内で

近くの寺に行ったときに

大阪にいる人の声が

ラジオの声あたりから聴こえた。

おかしい!ありえない!

当然です。皆仕事を持っている身の人ですからね。

で、その晩、その異常な声のために

眠れませんでした。

電車道の前の建物が就職するはずの

コンピューター会社の建物だったんですよ。

で、線路を越えて

何気に自分の部屋が見える線路あたりを

翌朝早々歩いていたら

僕の部屋に向けてビデオカメラが回っているんですね。

偶然にも…。

いま思えば線路を映していたのかもしれない。

でもこの偶然が妄想をふくらまします。

奇妙な声がラジオから聞こえる。

自分の部屋に向けてビデオを向けられる。

そして奇妙な行動にでます。

この会社は危ない。

就職してはいけないんだって。

で、入社式の日に僕は寮を逃亡して捕まり

その日に会社の病院に連れて行かれました。

大阪に戻り病院に行くのですが

このとき医者は統合失調の治療をしておきながら

ボクには精神衰弱だと告げました。

再就職し日に日に薬が減り

眠剤か安定剤かどちらか一錠だけになり

父に薬をやめるように言われて薬をやめます。

そして運命の阪神大震災です。

眠れなくなり苦しんでいるのに

病院に連れて行こうとしない両親に対して

本当の親かという妄想を起したのです。

で、僕は決意して母に告げました。

病院に連れて行ってくれと

病院では医者が母に統合失調症であることを告げました。

僕がそれを知るまでにはなお時間がかかります。

そして、何か答えを見つけるべく

手話を習ってろう知的重複障害者施設にボランティアにいきました。

そこで関わった知的障害のある聾唖の子供たちには

仲間として受け入れてもらいました。

そして、こうして働いてるんだなあと勇気をもらったのです。

しかし自分の病気に対してはわかりません。

いつからわかったのかなあ。

医療費を公費負担してもらうときにわかったのかなあ。

でもその時も保健所の事務の人に

保健婦さんを紹介しようかといわれても

仕事をしているからと言って病気を受け入れていませんでした。

うん。ここまでに仕事は警備、倉庫会社と職を変えていました。

今日はこのへんで…。


歯車

2006-06-19 18:42:40 | 日記・エッセイ・コラム

むかし『歯車』って題の小説があったのを思い出しながら

この日記を記す。

会社を大きな機械に例えるとする。

ボクは樹に例えたいところなんだけど

この方がわかりやすいだろうから。

会社という機械は無数の制御盤と

歯車その他の部品で構成されている。

ある日、機械が場所をとるから

スリムにしたいと考える。

部品や制御盤、歯車とかを

小さくしたくなったのだろう。

機械を分解して修理して新しい機構

再構築しようとした。

会社という機械は部品というものは

無数にあるからなんでも取替えが効くと思った。

でもね。

その同じ働きをする部品が

簡単に見つからないことは知らなかった。

再構築は困難を極めて

特定の箇所に負担を押し付けては

その部品を破壊してしまうことになった。

ここに来てやっと気がつき始めた。

その働きをする部品と

その他たくさんの部品とでは取替えが効かない。

外部の部品に仕事を任せると

会社という機械自体の価値を損ねる。

ボクは単純に

the person  と a person とは確実に違う

ということを書いている。

団塊の世代の集団離職を前に

何を会社という機械は考えるのだろうか。

再び世の中の動向を見たい。

自殺防止法。

企業がなかなか離職を許さない事例。

パートが辞めにくい。

や、安いから働きたくない事例。

パートに仕事を教えてもらう正社員。

さてどのような構成が長期的にみて正しいのだろう。

会社という機械は考えている。

ひとつの行為にこうも制御盤はいらんなあ。

さて考える。

この部品ひとつじゃあ強度が足らんし

複雑な動きをさせすぎやなあ。

この部品が壊れたときの取替えが効かんなあ。

『続・歯車』

僕は会社を本当は樹に例えたいんやけど。


思考空間 (記2004年10月)

2006-06-14 16:14:42 | 日記・エッセイ・コラム

空間思考

X軸にプラスが喜マイナスが怒。
Y軸にプラスが楽マイナスが哀。
Z軸にプラスが好きマイナスが嫌いを
配置した空間を想像する。

思考空間には図示してないがここに人間は不安と期待とを持つ。
病気の人の場合は不安の方が期待よりも優位に立ち様々な症状を悪化させる。
期待を抱く人の場合は正の連鎖が生じやすく。不安を抱く人の場合負の連鎖を生じやすい。
また、連鎖は感情空間のプラス局面ではプラスに、マイナス局面ではマイナスに働く場合がある。
正の連鎖について極度に素晴らしいことが連続して生じると不安を抱くときがある。
これが正の連鎖を足止めさせるが、この不安を乗り越えた先に何か待っているのかもしれない。
僕にはこの経験がないので記述することは出来ない。

それでもって、時空論の図をXYZの原点を中心に上下に円錐を描く
全プラスから全マイナスの方向に描く。

さらに宗教的概念で地獄から天国までの世界を描き人間の現在が原点になり上下現実にないものは削除していく
生老病死のある現在に生きねばならないので…。また餓鬼や畜生その他の世界も今にあるものだから…。
今を生きる人間にとって座標上に訳のわからない世界は存在しない。知りうることの出来ない世界はわからない。
これもまた無知の知であろう。
そしてこの原点を中心に今に曼荼羅を描き中心に自分が座り自分が自分であるとたらしめる。
曼荼羅の周囲の各人も同じように自分が中心の曼荼羅を描いている。
そして、時空論円錐状の感情とそれぞれの曼荼羅上の人とのかかわり、難しいからどのような感情に自分がなるかを考え
対処していこうと。。。。。。。。普通自然にやってます。

まず感情の絶対空間があり、曼荼羅の中心である自分は相対空間。絶対空間上を相対空間が時空論の図の円錐状に動いていく
舵取りは自分のみではない。曼荼羅がある以上、周りの仲間とも連関する。曼荼羅上の人物は固定ではない。が、影響を受ける。
自分がちゃんと自分の物語の中心にいればそれでよい。まあ病気になるとここの点で自分とは何かとか、自分の物語の中心から外れてしまったりする。理想と現実のギャップで自分を受け入れなかったりするのである。ここにおいて相対空間上に空の自分が生じ、ここから自分を攻撃するという行為が生まれてくる。自分の物語から自分が乖離するのである。
曼荼羅は会社に行けば会社で曼荼羅が生じるし、家庭におれば家庭での曼荼羅が生じる。
それぞれに役割を演じるというかそのように行為する。したがって曼荼羅が固定ではない理由になる。
曼荼羅は相対空間に過ぎなくなる。生きる人間の曼荼羅なんてそんなものである。
もし仮に絶対空間上に曼荼羅が存在するなら、原点が中心の喜怒哀楽のない好きも嫌いもない彼岸へといってしまう。
人間が楽しいのは相対空間上で場所ごとに曼荼羅を形成しそこで感情空間を生きるという点で楽しいのである。
感情のみに支配されて生きるわけではないから、また面白く、いずれにせよ感情がプラス局面にむくように考えるその論理もまた楽しいものである。新しい局面に向かうのに論理を持ってし、または論理も持たず、期待と不安を抱いて、とりあえず進んでいく。面白い。

鏡の理論
相手の行動を自分なりに解釈する過程で人間は自分を投射する。このとき、理解できるものにはシンクロし、理解できないものには拒否反応を示す。好き嫌いの基本的なところは、投射した結果、理解できるか出来ないか、類は友を呼ぶのことわざどおりになっていく。友達は投射する心の鏡であり、様々な感情がシンクロしやすい。シンクロするとどうなるか。よく恋の心理学などで書かれているようなことが起こるのだけれども、このテクニックを使ってやる恋は不自然だから覚えてやるとろくなことではないと付け加えておく。シンクロするとよく似た動作をするもので、感情の伝播も起こりやすい。これが正の段階で起これば素晴らしい連鎖を生じてお互いを高めあうことになるが、負の面に差し掛かることもある。この場合に、相手を見て負の局面から脱すればよいのだけれども、好きさあまって憎さ倍、ってなるようなこともしょうじる。論理的思考法が必ずしも感情の思考をとめることは出来ないから、ここの点で注意が必要である。負の局面を迎えたら気分転換を図る必要がある。もしくは場所を移すなり、局面をかえる話題なども必要かもしれない。人を好きで接することが仲間を増やす基本となるが、感情が移入できない、同調しない人は必ず存在するから、この点を無視してはいけない。すべての人を理解できるほど人間が素晴らしい、神のような人はいない。だからといって敵対するのも問題で、距離を置いておくのがいいのかもしれない。

Z軸の好き嫌いという局面はまさしく欲求を意味し、はじめに生死の好き嫌いがあり、マズローの理論のように考えてもいい。
Z軸の欲求である好き嫌いは自然に形成されるものもあれば作られるものもある。108の煩悩を知らないが、
昔からそれくらいあるのなら、また喜怒哀楽の空間もその数だけ存在するのかもしれない。
意欲というものはこのZ軸を示していることがわかるだろう。欲求すなわち意欲。Z軸も膨張したり収縮したりする。

喜怒哀楽の局面で障害になるのが感情型の精神障害、感情の障害がひどくなると適応障害になる。
適応障害は好き嫌いの局面で起こるけれどもそれがひどくなると統合失調になる。

感情の空間は欲求によって幾段にも重なっており生死を基本にマイナス軸からプラス軸への円錐形を2つ形成する。時空論の図のような格好になる。しかしながら、各個人間でマイナスに働く力の状態や、例えば忙しさ、責任、これらの解釈が楽観的であるか悲観的であるかでマイナス力が強いかプラス力が強いかなどに分けられる。また、成長過程での幼児期から思春期またそれ以降もそれぞれに成長に応じる各欲求を経験するが、それらのとらえ方の問題が適切ではないバグになって心の病を引き起こす要因にもなるかもしれない。成長段階における欲求、人間が基本的に持つ欲求、経済レベルにおける欲求など、様々な欲求をふる過程で感情の示すものが上手く処理できていなかったら問題が基本的に発生し、欲求に対するストレスがそこに加わるとより問題を複雑にし、変容していき、心の問題となって脳に異常な物質を作り出すと思われる。

病気になる人はたいがい感情の処理がうまい具合に働いていないのではないかと思われます。哀しいときの感情の出し方がへたとか腹が立ったときの感情の出し方がへたとか、喜びを表現するのが下手、楽しみを表現するのが下手、それにプラスしてストレスを感じたときに発散する方法が下手であるとかが重なっていき、感情の処理とストレスに対する処理とか出来なくなり、脳内に変な構造を作るのではないかと思われます。脳内の物質が異常な出方を始めるのです。どの感情の処理の仕方が下手であるか、ストレスの解放の仕方をどうするかというのが問題であろうかと思われます。また、心の病になると感情の処理をしていなかった、またはストレスを感じた時点にフラッシュバックすることがあります。つまりここでの課題を解決していないということなのかもしれません。よく似た新しい課題を提出するというのもよい方法かもしれません。心の傷はいつまでもフラッシュバックという形で夢やふとした瞬間によみがえります。その時点に新しい処理のしかたを考えて作っていくのも重要かも知れません。問題解決に精神科では論理療法を使う場合があります。感情の適切な処理がなされていない。楽観的、悲観的など見ているのでしょうか。私は医者じゃないのでわかりませんが。

また、感情空間にはマイナスからプラスに向かうバネのようなものがあるかもしれません。悲しいときに泣き明かしたら翌朝けろっとしているなんてことがある。我慢して我慢して喜びをえるということもある。またバネが機能しない人もいるかもしれない。
そこのところでもまた障害が発生する可能性が示唆される。

時系列的に見て曼荼羅(感情の空間)が場所によって違うならば、場所に移動する前段階で、感情の変異が生じることになる。その感情の変異の過程でマイナスに作用したりプラスに作用したりすることも考えられる。

時空論円錐を全マイナス方向から全プラス方向に作ったがプラスとマイナスが混在する状況が存在するかもしれない。ここにおいて頭の働きはバグを作るか、プラスマイナスどちらかの感情方向に収斂されると考えられる。

日本的な社会についても鑑みる必要があるのかもしれません。古事記、万葉集、などをへて武士論、甘えの構造など、教材は余りあるほどあります。日本固有のバグがあるのか。発症率が各国で同じレベルということは、社会は一定量の心を病んだ人を作り出しているのかという疑問も感じざるをえません。

体調、自律神経、感情の発生、論理展開、至るところに興味の種はつきません。
しかしながら、私は現在病者である以上、自分の病気を客観的に語ることは出来ないのかもしれません。

(注)

勝手に考えていることですので学術的なことではありませんよ。
僕が入院して思って書いてるだけですよ。
宗教なんか学校で習ったくらいです。
てきとうなええかげんな情報ですから、真に受けないように。


信頼関係

2006-05-19 19:26:21 | 日記・エッセイ・コラム

築けてきたのかなあ。信頼関係。

利用者さんから手紙をもらいました。

いろいろな話もしてくれました。

なんか信頼関係が築けてきてるのかなあって感じです。

でも、この信頼関係って大切にしないと

壊れるときはすごいんだろうなあ。

大丈夫かなあ。

って大丈夫にしよう。うん。

そうだ、ピアヘルパーのときに

お世話になったFさんと連絡を取らなければならない。

このブログみていてくれてるかなあ。

うん。平日に電話しよう。メモメモ。

ボクの机の横には常時メモ用紙がある。

そして机の横にはそれを貼り付けるボードがある。

変なのがそこまでしてるのにメモを読み忘れたり

メモがなくなったりするところだ。

不思議な生態をしているのかなあボクって。


ショック

2006-05-15 22:56:38 | 日記・エッセイ・コラム

利用者さんが途中でしんどいから帰るといい始めて

ちょっとショックでした。なんか試されているようで。

帰るといってるときは笑ってるんですね。

しんどいといってる時はしんどそうなんですね。

帰るとなると元気になって

何かするにはしんどいそうなんです。

で、何か考えんといかんなあと思いつつ、

気を紛らわすことができない。

利用者さんとの信頼関係が出来ていないんだなあ。

落ち込んでしまいました。

まだ利用者さんの人となりがわかっていないのかな。

落ち込み気味です。

あ~あ、わかばマークの職員は

まだまだ手助けが必要なのでしょうか。

う~ん。凹んでます。

明日は休みやから気分いれかえようっと。

信頼関係をどう作っていくかやなあ。

うん。


眠ることの重大性

2004-12-20 12:43:29 | 日記・エッセイ・コラム
眠ることの重大性は風邪をひいたら寝ているようにいわれるくらい重大なことのようだ。
僕のように精神に障害をおって状態が悪いときほど眠ることは重大なのだろう。
夢によっていろいろのことが整理されたり、また睡眠によって脳のバランスの調整をしたり
しているのかもしれない。
悲しいときになくだけ泣いて寝入ってしまえば翌日は案外すっきりしているとかある。
僕の場合は夢の中で泣くだけ泣いて、そう夢の中で泣いていたときがある。
夢の中で怒っていたときもある。
日常で抑圧した感情が夢の中で放たれたりもするのである。
時には考えていることをひょんな形で夢に表してくれたりもする。
今日はここまで


姿勢矯正体操(オリジナル)

2004-12-18 07:43:40 | 日記・エッセイ・コラム
心の病の人には特有の姿勢があるらしい。
そこで僕は姿勢から直そうと考えて
体操をしている。

まずは背伸びグーッと背伸びをしたら
息を吸って吐くと同時に伸ばす。ぐぅあ~ッという感じ。
パッと力を抜く10秒くらいかける。

次にゴリラのポーズ。
ゴリラが胸をたたく格好をして
胸を張る。
胸を張るときは肋骨を広げるように
意識する。このとき息を吸うとよく肋骨が広がる。そして息をためて、これも10秒くらい。これもグーッとやったらパッと力をぬいて息を吐く。

ヒーローが腰に手を当ててすくっとたっているポーズ。
ボディービルダーが胸の筋肉を強調するときにするポーズかな。
次に背骨と内臓を意識して
まっすぐに伸びるように
持ち上げる。このとき息をすって、これも10秒くらいためてパッと出す。
これは説明が難しいけどこれをすると
あたたかくなる。

そして、へその下3cmくらいのところに
空気というか気を流し込む。下腹に力が入ったのを確認すればよい。空気を吸って、ためて、それをみぞおちに流してさらに下のへその下のところに送ったらわかりやすい。息を吸って、ためてみぞおちに、みぞおちに流すには空気を吸ったらそれをコラッて起こる気もちでぐっとおくればよい。それから腸を通ってだからいったん中にはいって、気合を入れた空気をいったんまた呑んで、へその下のところに送る、つまりぐっときばるに近い状態をする。そしたら息を吐く。下腹に力が入れば空気がおくられたことがわかる。
これをするとしばらくしてオナラが出る。

それで空気を入れ替えて、頭にもじゅうぶん酸素が行くようにしたら、けっこう気が晴れる。



空間思考

2004-10-20 13:09:42 | 日記・エッセイ・コラム
X軸にプラスが喜マイナスが怒。
Y軸にプラスが楽マイナスが哀。
Z軸にプラスが好きマイナスが嫌いを
配置した空間を想像する。


X軸上の揺れが発見されれば境界性。
Y軸上の揺れが発見されればそううつ性。
Z軸上の揺れが発見されれば統合失調性。

X軸の揺れが行動に走らせるタイプの人は
空間はX軸を中心にしてX軸上にストレスが存在する。

そううつ質の場合
Y軸のマイナス要因に強いストレスを感じる。

統合失調の場合
好き嫌いのZ軸上に強いストレスを感じている。

感情空間には図示してないがここに人間は不安と期待とを持つ。
病気の人の場合は不安の方が期待よりも優位に立ち様々な症状を悪化させる。
期待を抱く人の場合は正の連鎖が生じやすく。不安を抱く人の場合負の連鎖を生じやすい。
また、連鎖は感情空間のプラス局面ではプラスに、マイナス局面ではマイナスに働く場合がある。
正の連鎖について極度に素晴らしいことが連続して生じると不安を抱くときがある。
これが正の連鎖を足止めさせるが、この不安を乗り越えた先に何か待っているのかもしれない。
僕にはこの経験がないので記述することは出来ない。

それでもって、時空論の図をXYZの原点を中心に上下に円錐を描く
全プラスから全マイナスの方向に描く。


さらに宗教的概念で地獄から天国までの世界を描き人間の現在が原点になり上下現実にないものは削除していく
生老病死のある現在に生きねばならないので…。また餓鬼や畜生その他の世界も今にあるものだから…。
今を生きる人間にとって座標上に訳のわからない世界は存在しない。知りうることの出来ない世界はわからない。
これもまた無知の知であろう。
そしてこの原点を中心に今に曼荼羅を描き中心に自分が座り自分が自分であるとたらしめる。
曼荼羅の周囲の各人も同じように自分が中心の曼荼羅を描いている。
そして、時空論円錐状の感情とそれぞれの曼荼羅上の人とのかかわり、難しいからどのような感情に自分がなるかを考え
対処していこうと。。。。。。。。普通自然にやってます。

まず感情の絶対空間があり、曼荼羅の中心である自分は相対空間。絶対空間上を相対空間が時空論の図の円錐状に動いていく
舵取りは自分のみではない。曼荼羅がある以上、周りの仲間とも連関する。曼荼羅上の人物は固定ではない。が、影響を受ける。
自分がちゃんと自分の物語の中心にいればそれでよい。まあ病気になるとここの点で自分とは何かとか、自分の物語の中心から外れてしまったりする。理想と現実のギャップで自分を受け入れなかったりするのである。ここにおいて相対空間上に空の自分が生じ、ここから自分を攻撃するという行為が生まれてくる。自分の物語から自分が乖離するのである。
曼荼羅は会社に行けば会社で曼荼羅が生じるし、家庭におれば家庭での曼荼羅が生じる。
それぞれに役割を演じるというかそのように行為する。したがって曼荼羅が固定ではない理由になる。
曼荼羅は相対空間に過ぎなくなる。生きる人間の曼荼羅なんてそんなものである。
もし仮に絶対空間上に曼荼羅が存在するなら、原点が中心の喜怒哀楽のない好きも嫌いもない彼岸へといってしまう。
人間が楽しいのは相対空間上で場所ごとに曼荼羅を形成しそこで感情空間を生きるという点で楽しいのである。
感情のみに支配されて生きるわけではないから、また面白く、いずれにせよ感情がプラス局面にむくように考えるその論理もまた楽しいものである。新しい局面に向かうのに論理を持ってし、または論理も持たず、期待と不安を抱いて、とりあえず進んでいく。面白い。

鏡の理論
相手の行動を自分なりに解釈する過程で人間は自分を投射する。このとき、理解できるものにはシンクロし、理解できないものには拒否反応を示す。好き嫌いの基本的なところは、投射した結果、理解できるか出来ないか、類は友を呼ぶのことわざどおりになっていく。友達は投射する心の鏡であり、様々な感情がシンクロしやすい。シンクロするとどうなるか。よく恋の心理学などで書かれているようなことが起こるのだけれども、このテクニックを使ってやる恋は不自然だから覚えてやるとろくなことではないと付け加えておく。シンクロするとよく似た動作をするもので、感情の伝播も起こりやすい。これが正の段階で起これば素晴らしい連鎖を生じてお互いを高めあうことになるが、負の面に差し掛かることもある。この場合に、相手を見て負の局面から脱すればよいのだけれども、好きさあまって憎さ倍、ってなるようなこともしょうじる。論理的思考法が必ずしも感情の思考をとめることは出来ないから、ここの点で注意が必要である。負の局面を迎えたら気分転換を図る必要がある。もしくは場所を移すなり、局面をかえる話題なども必要かもしれない。人を好きで接することが仲間を増やす基本となるが、感情が移入できない、同調しない人は必ず存在するから、この点を無視してはいけない。すべての人を理解できるほど人間が素晴らしい、神のような人はいない。だからといって敵対するのも問題で、距離を置いておくのがいいのかもしれない。


Z軸の好き嫌いという局面はまさしく欲求を意味し、はじめに生死の好き嫌いがあり、マズローの理論のように考えてもいい。
Z軸の欲求である好き嫌いは自然に形成されるものもあれば作られるものもある。108の煩悩を知らないが、
昔からそれくらいあるのなら、また喜怒哀楽の空間もその数だけ存在するのかもしれない。
意欲というものはこのZ軸を示していることがわかるだろう。欲求すなわち意欲。Z軸も膨張したり収縮したりする。

喜怒哀楽の局面で障害になるのが感情型の精神障害、感情の障害がひどくなると適応障害になる。
適応障害は好き嫌いの局面で起こるけれどもそれがひどくなると統合失調になるけど発症時期は思春期限定らしい。

感情の空間は欲求によって幾段にも重なっており生死を基本にマイナス軸からプラス軸への円錐形を2つ形成する。時空論の図のような格好になる。しかしながら、各個人間でマイナスに働く力の状態や、例えば忙しさ、責任、これらの解釈が楽観的であるか悲観的であるかでマイナス力が強いかプラス力が強いかなどに分けられる。また、成長過程での幼児期から思春期またそれ以降もそれぞれに成長に応じる各欲求を経験するが、それらのとらえ方の問題が適切ではないバグになって心の病を引き起こす要因にもなるかもしれない。成長段階における欲求、人間が基本的に持つ欲求、経済レベルにおける欲求など、様々な欲求をふる過程で感情の示すものが上手く処理できていなかったら問題が基本的に発生し、欲求に対するストレスがそこに加わるとより問題を複雑にし、変容していき、心の問題となって脳に異常な物質を作り出すと思われる。


病気になる人はたいがい感情の処理がうまい具合に働いていないのではないかと思われます。哀しいときの感情の出し方がへたとか腹が立ったときの感情の出し方がへたとか、喜びを表現するのが下手、楽しみを表現するのが下手、それにプラスしてストレスを感じたときに発散する方法が下手であるとかが重なっていき、感情の処理とストレスに対する処理とか出来なくなり、脳内に変な構造を作るのではないかと思われます。脳内の物質が異常な出方を始めるのです。どの感情の処理の仕方が下手であるか、ストレスの解放の仕方をどうするかというのが問題であろうかと思われます。また、心の病になると感情の処理をしていなかった、またはストレスを感じた時点にフラッシュバックすることがあります。つまりここでの課題を解決していないということなのかもしれません。よく似た新しい課題を提出するというのもよい方法かもしれません。心の傷はいつまでもフラッシュバックという形で夢やふとした瞬間によみがえります。その時点に新しい処理のしかたを考えて作っていくのも重要かも知れません。問題解決に精神科では論理療法を使う場合があります。感情の適切な処理がなされていない。楽観的、悲観的など見ているのでしょうか。私は医者じゃないのでわかりませんが。


また、感情空間にはマイナスからプラスに向かうバネのようなものがあるかもしれません。悲しいときに泣き明かしたら翌朝けろっとしているなんてことがある。我慢して我慢して喜びをえるということもある。またバネが機能しない人もいるかもしれない。
そこのところでもまた障害が発生する可能性が示唆される。


時系列的に見て曼荼羅(感情の空間)が場所によって違うならば、場所に移動する前段階で、感情の変異が生じることになる。その感情の変異の過程でマイナスに作用したりプラスに作用したりすることも考えられる。


時空論円錐を全マイナス方向から全プラス方向に作ったがプラスとマイナスが混在する状況が存在するかもしれない。ここにおいて頭の働きはバグを作るか、プラスマイナスどちらかの感情方向に収斂されると考えられる。


時空論円錐がマイナスからプラスへ形成されたとき、交点ゼロマイナスとプラスの間にY軸とX軸をの間に-45度の地平線を描くことが出来るそしてZ軸に対して計算わからんから何度かの地平線が描ける。つまりここが原点で、ここから時間が流れていき向かう方向がプラスかマイナスか。そら揺れるでしょう。宇宙が闇から始まったとしたら希望が持てます。時空論がマイナスからプラスへと向かうものとしてとらえられます。光からなら逆でしょう。現在、僕たちが揺れながらプラスに行ったりマイナスに行ったりしていることを考えると宇宙の理論は面白いように考えられていくのかなあ。今現在の時点にはプラスもマイナスもなりうる。う~ん、まだ考えなあかんか。闇も光も、マイナスもプラスも同時期で混在して広がって、空間を形成しってなったら笑うよね。宇宙の理論はおらしらんけん。膨張収縮して、期待と不安やなあ。ここはええわ。


日本的な社会についても鑑みる必要があるのかもしれません。古事記、万葉集、などをへて武士論、甘えの構造など、教材は余りあるほどあります。日本固有のバグがあるのか。発症率が各国で同じレベルということは、社会は一定量の心を病んだ人を作り出しているのかという疑問も感じざるをえません。


体調、自律神経、感情の発生、論理展開、至るところに興味の種はつきません。
しかしながら、私は現在病者である以上、自分の病気を客観的に語ることは出来ないのかもしれません。


(注)

勝手に考えていることですので学術的なことではありませんよ。
僕が入院して思って書いてるだけですよ。
宗教なんか学校で習ったくらいです。
てきとうなええかげんな情報ですから、真に受けないように。