くぅも晴れるや!!てぃらさんさん!!

統合失調症のおいらの思うこととか考えたこと書いています
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何のことはない

2016-06-30 18:13:09 | Weblog
むかし『羊たちの沈黙』がはやったとき

プロファイリングというのが流行った

プロファイリングが流行っていたとき

~心理学という本も流行っていた

たぶんにもれず

おいらもそれらの本を読み漁った

そうしたおいらがメンヘルになった

そしたら今度は

病気の本を読むようになった

森田療法

認知行動療法

オープンダイアローグ

人間~この未知なるもの

いろいろ読んだけど

自分をほんとうに楽にしたのは

ほかでもない

プラス思考が身についてからだ

減点思考でなく

加点思考だ

ないものやできないことを

数えてもきりがない

あるものやできることを

足し算したほうが

気分がいい

そして

口癖のように

何かしてもらったら

すみませんといっていたのを

なにかしてもらったら

ありがとうと

言うようにしたことが

すべての始まりだったように思う

あるものを数えないものを数えない

足し算で良かったを増やす

良かったはなにも

生きてるだけでつくものだ

そうやって良かったの

質をかえていけばいいのだ

それでもなお

ないとかできないを数えない

それらを数えてもきりがないのだ

そして

みずからのタイを育てる

タイを育てて獲得する

ちょうど布袋さんが鯛を釣るのを

がんばるように

なかなかつれないタイを

頑張って釣るのだ

簡単に釣れたんじゃあいけない

ありがたみがない

こどもの欲望をむやみに叶えてはいけないのだ

頑張って獲得することが大事で

そこからはじめて

獲得したタイを料理するのだ

獲得したタイはおいしく料理したい

がんばって手に入れたものは

なんとかおいしく扱いたくなる

そうやって

たいせつに扱われていく

あるものを数え

できることを数える

足し算的評価から

タイを育て

獲得する

そして大切に育てる

そうやっていく

何をいいたいんかわからへんけど

いろいろ心理学等について勉強したけど

愛情とか物欲とか

いろんなことが

こういう

家庭を通さないといけないんだなぁと

なんとなく思っただけ

何をいいたいんかわからへんけど

足し算や獲得というのがたいせつやなぁと

むやみに簡単に叶えられたらアカンのかなぁと

こういった思考法も

簡単に手に入れたものではない

そういうことなのかなぁと

答えやとき方を

塾で教えるけれども

それが大事なことなのだろうか

問題解決の過程が

人を豊かにするのかもしれない

なんとなく思ったこと

何を言いたいのかはわからへんけど

何のことはない

知らんかった

2016-06-24 21:16:24 | Weblog
恒星が死んだら

ブラックホールになるの

知らんかった

ということは

恒星の成分として

ブラックホールはあるわけや

ということやな



人間の中にもブラックホールは

あるんやろうなぁ

だから腹が減るんやで

ていうか

標準装備してるんかなぁ

ブラックホールを




光を一定にとどめるために

ブラックホールを装備してる?

なんのこっちゃ

知らんいうのは怖いなぁ

知識がないので

こういうことになるんやなぁ


おいらのカンやで

2016-06-15 15:11:26 | 宇宙
おいらのカンでは

原子核のナカにブラックホールとおなじ

成分が入ってる

そして地球や惑星の核の中にも

ブラックホールとおなじ成分が入ってる

そいつらは引力と関係している

って言うのはおいらのカン

ていうか長いこと考えてるとそう思った

って言う似非科学

でも

このブログで描いている宇宙のこと

かなりの確立で調べもしないのに

当たってるよなぁ

っていうか

ゼロに近いところで考えて

最新の科学者とおなじ考えと結果やねんなぁ

おれってもしかして天才?

そんなわけないよなぁ

核にブラックホールとおなじ成分があったほうが

中性子とかいろいろの説明がしやすくなると

思うねんけどなぁ

ここもミクロコスモスやからなぁ

宇宙の一部やねんなぁ

とアホなことをまた思っとります

生物が何故食べないといけないかとか

なんとなくバカな発想も入っています


そういうもんだろう

2016-06-02 22:55:10 | Weblog
ひとは歩くほうを向く

歩くほうを向くということは

行きたくない方向は目を背ける

しかしその目線は上下ある

これは何を意味するかは分からないけど

楽しんで散歩をしている人は

その目線や視線の方向は自由だ

そして歩みもゆっくりしている

車のように早くなると

視線や目線の送り方はカモシカになる

これは自分の人生についても

いくぶんいえることなのだろう

いきたい方向を向く

手足はその方向に伸ばす

ダンスをしているのなら

手足の方向は自由だろう

なにを言いたいかわからないけど

そういうもんだろう

じゃぁ歩きながら耳目に触れるものは

なんなのだろう

それは自分が見たい方向なのだろうか

カモシカで聴いているのだろうか

なりたいように笑顔が咲くのだろう

いきたいように笑顔が咲くのだろう

人生を散歩や旅のように楽しむか

ゲームのように勝ち負けを求め楽しむか

それは自由だ

いくぶんどちらの要素も

備えているもんかもしれない

生きなければいけないし

食わなければいけないのだから

そう簡単なことでもないのだろう

人ともかかわらないわけにはいかない

行くてがまっすぐな見通しのよい道ばかりでもない

山野であったり都会であったりする

時には暗い夜道だったり

明かりのない道だったりする

誰もはいったことのない道なき道かもしれない

それでもまえを向き

手足を前後に動かして歩くしかない

立ち止まることもあるし

足がすくんだりすることもあるだろう

何をいいたいんかわからへんけど

その道を歩いているのはひとりではない

いつもひとりではない

ひとりに見えるときですら

ひとりではない

ひとりでに歩く必要がないからだ

なにをいいたいんかわからへんけど

陰日なたに寄り添うものがある

そういうもんだろう

つらいときは

すべてがみえないかもしれない

そういうもんだから

立ち止まったりする

つらいなぁ

視線は落ちる

振り返り確かめる

幽霊みたいに歩いている

こころここにあらずやな

つらいなぁ

でもな

歩くんやなぁ

文句いいながら歩いたり

黙って歩いたり

いろいろある

歌いながら歩く人もいる

そういうもんやねんなぁ

なんやろう

何をいいたいんかわからへん

どう歩こうが自由やねんけどな

歩きスマホで死ぬ場合があるらしい

なんのこっちゃで

そういうもんだろう