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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

明治45年生まれ、八丈島から嫁いで硫黄島に。

2009年04月15日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島で、7人の子供を産んでから、
戦争が激しくなり、強制疎開、その後、こちらで3人の子供を産んだ、
祖母が、本日の昼、96歳で息をひきとりました。
(生まれたのは八丈島ではなく父島だったそうです。)

昨年の集いの時に、うちの祖母が、「戦前の在住者で最高齢。」と
役員の方から、聞きました。

祖父が死んでから、ちょうど、35年半でした。
祖父の命日が10月14日ですので、半年後の同じ14日。
「二人、月命日は同じにして覚えてもらいやすくしよう。」
と、今日まで頑張ったのだろうと思いました。

時間が流れれば、世代が変わります。


あまり、硫黄島の話をしない祖母でした。
触れたくない話(軍属として
残って戦死した親戚)もあったのだと思います。
戦後は一度も硫黄島に行きませんでした。

入院して、かなり衰弱していた、1週間ほど前の見舞の時に、
「今年も、硫黄島行って、慰霊、お参りしてくるから。」と
耳元で言ったところ、「硫黄島」と聞いて、しっかり反応しました。

10年以上前に、最初に私が硫黄島に行った時に撮影してきたビデオは
嬉しそうに、見てました。

7人の子供を連れて、硫黄島から疎開した
祖母。
「としご」も二組含む7人もの子供を産んで育てたのは。
温暖で豊かな、食べるものは十分だったから
だと思います。

写真は、祖父母、母たち家族が
住んでいた場所、元山近くの
今の硫黄島神社です。


コメント (1)
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