OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

このテーマで何度目かになりますが、私たちの「呼称」について

2009年05月26日 | 硫黄島・小笠原村
「きゅうとうみん」
という言い方があります。

イントネーションは、
「きゅうとう(給湯や給湯と言う場合と同じ発音)」 + 「みん」 です。
「旧 + 島民」 ではありまえせん。

「きゅーとーみん の かた ですか?」などという
使われ方をします。

昨年の訪問の時に、父島の釣具店に行った時に、
お店のひとから、「旧島民の方ですか。私も旧島民です。」と、
言っていただきました。


また、昨年の夏、よこはまHAWAIIフェスティバル会場の
小笠原村ブース(ぎょさんを二足、買いました。)に顔を出した時に、
「硫黄島と父島に行ったことがある。」と申しあげたときにも
「旧島民の方ですね。」と、言っていただきました。

イントネーションも含めると、
他のケースでは使われない独特な言葉で、
「戦前硫黄島在住だった島民の一族」という意味の
独自な用法で使われる用語です。


回数を重ねて、年に一度、川崎日光ホテルに集まる「集い」についても
紹介をしてきましたが、「名称」を
「島民関係者」から「島民」と、自分たちを呼ぼう、と
変えました。
結束、長く続けるために、「自分たちをどう呼ぶか」が
重要です。

「いおうじま」が「硫黄島」になった場面(2007年の6月、墓参帰島から
竹芝に戻る日に、呼称変更が、プレス発表されました。」にいました。
2007年の6月に、この呼称変更が実現するまでに、長く要請していた
期間があったのです。
この「いおうじま ではなく いおうとう」にも、先輩の方々がこだわりました。

IWO JIMAとあるTシャツ(デザインも、あまり評判がよくなかったです。
ヘルメット、日米の国旗に、さそり、、)が、
着て外を歩けないTシャツ(「いおうじま」と呼ばれることがたまにあることに
反対をしているメンバーの一員なので)、になってしまいました。

「我々は「島民」」、「いおうとう と、戦前呼ばれた言い方に
戻して読んで欲しい。」 と、
こだわり続けないといけない理由は
「返還された後も、戻れない。年数経過して今に至っている。」
という、とても特殊な事情があるからだ、と思っています。
「硫黄島(いおうとう)」在住というルーツを共有している
というアイデンテティを大切にして、皆で頑張っていき続けないと
いけないからです。

小笠原に住んでいる人たちは、「旧硫黄島民」とは、
呼ばずに、「旧島民」と、呼んでくれます。
「硫黄島」とつける必要がなく、「旧島民」といえば、
わたしたち、硫黄島在住者の一族のことだと、分かるからです。

私たち、「旧島民」 が 「内地」から、おが丸で、
父島に向かい、母島在住の硫黄島ルーツの方々がいらしゃるのと
父島崎中の硫黄島ルーツの方々と、父島で合流して、
小笠原村の、父島中学校と母島中学校の生徒たち、
小笠原村在住の方々の枠(硫黄島ルーツでない方々)でご参加の
メンバーとも、一緒に、おが丸で父島に向かう日が
今年も近づいてきました。

小笠原村役場職員のスタッフの方々を中心とする皆様の
ご協力と、参加者全員のチームワークで、
墓参帰島を、今年もぜひ、成功させたいと思います。

6月半ばの、天候が気になり始めました。

写真は、慰霊祭が行われる「平和祈念墓地公園(旧島民墓地)」で、
昨年撮影した白い花(おそらく白いハイビスカス(ですよね?))です。
コメント
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