慰霊墓参訪島歴が多い先輩方が、私たちが宿泊することができる平和祈念館の前に植えたがじゅまるの木です。
この木の写真を、昨年もブログに投稿しました。
1年で、それほど目立つような急成長で大きくなってはいないな、と感じました。南国ですから、植物が大きくなるのは早いのですが、1年で、「こんなに大きくなったのか」というほどではありません。
ということは、
森で目にするがじゅまるたちは、相当年数経っているということだと思います。巨大な木はがじゅまる以外にも、かなりあります。
激戦終結から64年半です。
おそらく、立派ながじゅまるなどは戦前から残ったものだと思います。64年は長い時間ですが、戦後だけであれだけ大きくなったとは考えにくいです。
戦争が終わった時に、どれぐらいの植物が焼かれて島が丸裸にされてしまっていて、どれぐらいが米軍によって戦後植栽されたものかは分かりませんが、今の硫黄島は、巨大な戦前からの木々と、戦後の植物とが混在しているのではないかと思います。
祈念館のこの、がじゅまるが立派な大きな木になる頃まで、戦前硫黄島在住島民のコミュニティが活発に活動を続けていて帰島という夢がかなっているようにと、そういう祈りで、先輩たちがこの木を植えたのだと思います。
このがじゅまるの木の上に、私たちの滞在の時には、休憩日よけ用にテントが張られています。
この木の写真を、昨年もブログに投稿しました。
1年で、それほど目立つような急成長で大きくなってはいないな、と感じました。南国ですから、植物が大きくなるのは早いのですが、1年で、「こんなに大きくなったのか」というほどではありません。
ということは、
森で目にするがじゅまるたちは、相当年数経っているということだと思います。巨大な木はがじゅまる以外にも、かなりあります。
激戦終結から64年半です。
おそらく、立派ながじゅまるなどは戦前から残ったものだと思います。64年は長い時間ですが、戦後だけであれだけ大きくなったとは考えにくいです。
戦争が終わった時に、どれぐらいの植物が焼かれて島が丸裸にされてしまっていて、どれぐらいが米軍によって戦後植栽されたものかは分かりませんが、今の硫黄島は、巨大な戦前からの木々と、戦後の植物とが混在しているのではないかと思います。
祈念館のこの、がじゅまるが立派な大きな木になる頃まで、戦前硫黄島在住島民のコミュニティが活発に活動を続けていて帰島という夢がかなっているようにと、そういう祈りで、先輩たちがこの木を植えたのだと思います。
このがじゅまるの木の上に、私たちの滞在の時には、休憩日よけ用にテントが張られています。