例年通り、上陸してすぐに、全員参加で、硫黄島旧島民平和祈念墓地公園での旧島民慰霊祭が行われます。全体としては例年になく涼しい時間が多かった今年の訪問でしたが、この慰霊祭の時間には気温
が上がっていて、特に日光の強さが厳しい時間帯でした。
前の方に来賓の方々もいる私たち旧島民が後ろ半分にいるメインのテントは、テントで日差しが遮られている面積に比べて席数が多過ぎて、全体が覆われていなくて、しかも、時々刻々と太陽の位置が変わるので大変でした。最前列が直射日光を受けると全体で開式直前に移動しましたが、今度はすぐに最後列が日差しを避けられなくなりました。
ただ、気温は高く日差しは厳しかったのですが、式の半ば辺りから、さわやかな風が吹き始めて、かなりの心地よい涼しさをもたらしてくれましたので、かなり楽になりました。あの風がなかったら大変だっただろうと思います。
来賓の挨拶に続き、父島と母島の中学生の言葉がありました。今年の生徒たちも、戦争と硫黄島のことを本当にしっかり勉強してくれてきていました。平和を考える重要性を知って、これからも成長していってくれる前途有望な中学生たちだと思いました。
中学生たちをメインに、みんなで声を合わせて、「故郷の廃家」を歌いました。ことしは、ややバックに流れる伴奏音のペースが遅くて、ゆっくりと合わせるの苦労をして歌が先に行ってしまうところがありましたが、大きな声で、歌うことができました。
硫黄島で、昭和20年に若い命を落とした兵士たちが声を合わせて歌っていたというこの歌を、年に一度、硫黄島で私たちが歌います。
写真は、中学生たちと、列席者とで献花をした後の献花台です。
が上がっていて、特に日光の強さが厳しい時間帯でした。
前の方に来賓の方々もいる私たち旧島民が後ろ半分にいるメインのテントは、テントで日差しが遮られている面積に比べて席数が多過ぎて、全体が覆われていなくて、しかも、時々刻々と太陽の位置が変わるので大変でした。最前列が直射日光を受けると全体で開式直前に移動しましたが、今度はすぐに最後列が日差しを避けられなくなりました。
ただ、気温は高く日差しは厳しかったのですが、式の半ば辺りから、さわやかな風が吹き始めて、かなりの心地よい涼しさをもたらしてくれましたので、かなり楽になりました。あの風がなかったら大変だっただろうと思います。
来賓の挨拶に続き、父島と母島の中学生の言葉がありました。今年の生徒たちも、戦争と硫黄島のことを本当にしっかり勉強してくれてきていました。平和を考える重要性を知って、これからも成長していってくれる前途有望な中学生たちだと思いました。
中学生たちをメインに、みんなで声を合わせて、「故郷の廃家」を歌いました。ことしは、ややバックに流れる伴奏音のペースが遅くて、ゆっくりと合わせるの苦労をして歌が先に行ってしまうところがありましたが、大きな声で、歌うことができました。
硫黄島で、昭和20年に若い命を落とした兵士たちが声を合わせて歌っていたというこの歌を、年に一度、硫黄島で私たちが歌います。
写真は、中学生たちと、列席者とで献花をした後の献花台です。