この遣り取りになる事前からの準備がなされないのが、分かり易い状況なのかと知れてしまうのがかえってマスコミの問題を露呈しています。
普通会見であっても、余程でない限りは事前に相談するものです。
報道するマスコミの国民からの不信感もあるのでしょうから、あまりに酷い態度だと何を聞くのかよりもそこに参加するに値しないだろうとなってしまいます。
そんな動画さえも散見される昨今です。
基本的にプレスリリースで済む話を会見で説明するのは国民に向けてであって、マスコミの相手をしている訳ではなくなりました。
ネットで同時に多くの人に伝わるので、極論新聞の活字に起こす必要もなければ、テレビ中継して貰う必要もなくなったのです。
おそらく、1990年代後半くらいからはむしろ積極的にネットでの配信を利用する政治家も出てきました。
極論、ネットで視聴者から質問を受付けて直接質問するような事も可能になりました。
その時代に冷静な質問をしないで興奮してしまう記者を会見に参加させても政府は何も得しませんよね。
例えば、謝罪会見を見て謝らせるのを見ている視聴者へのアピールとかならまだ格好にはなりますが、それでも被害者とかからの話とかできちんとしていなければただの吊し上げで不快になっても無意味でしょう。
質が落ちたのは首相だけでなく、マスコミ側もそうですし、ついでにネットの反応なども確かに自分目線になりがちで社会的な視野に立つのは難しいのでしょう。
マスコミ界や大学教授の論法だと通用するような価値観が大手を振ってまかり通るのでしょうけど、野党にしてもそうなのですが結局国民が納得するような話になるのかは難しいのです。
一般論と学術的な論法が違う場合に多く、首相の批判は高まるのかとも思えてなりません。
一般論だと憲法でさえも国民投票の対象であり、それを実現するのが自民党の掲げたテーマでもあります。
が学術的な世界では禁断の行為の如く憲法は守られるものとして前提になっています。
ところが、憲法自体を国民が一度も認めるような話をしていません。
その上で報道の自由でもそうなのですが、そう決まっていた戦後社会の継続に過ぎず個人情報保護法や国際的な政治的国家機密なども考慮すると今の憲法ですらあやういのに学校を出たままの思考回路で判断するとマスコミのような事になるんですよね。
横道に逸れてしまいましたが、こんな言い方をすれば分かり易いのでしょうけど政治家は学者でも正義感の強い記者でもなく国民投票で選ばれただけの存在です。
だから、私なんかからすると選挙以外にも試験してある程度の常識やモラルを必要しないと社会が崩壊するとさえ思ってしまいます。
野党で例外的な一部の人は本当にあれで良いのかと考え込んでしまうのですがそれを選んだ有権者が居る以上民主主義なんでしょうね。
マスコミの記者で特に有名な方でそれがライフワークのように政府批判や一部よりの人がいるのは事実なのでしょう。
ただ、それでも会見が成立しなくなるような行為、または質問の繰り返しなどで疲弊させてしまったのは良くないのかと思いました。
大坂なおみ選手の負けた時の会見では有りませんが、政府側が不利な会見で鬱にさせても傷害罪ですよね。
冗談めいた話ですが、なんかそこまで行かなくても倦怠期の冷めた夫婦の会話のような状況くらいにはなってしまったのかと思います。
マスコミの報道を正しく評価出来る機関を設けてせめて偏りとか、強引さとか、切り抜き度合いとかきちんと精査出来るような組織が欲しいものです。
妄想とまでは言いませんが、下手するとその報道機関が解釈するストリーで質問して具体的な証拠や専門知識、データー等が揃わない中で決め付け、またはレッテル貼りの質問攻勢なのは考えないといけない時期になったのかと思います。
本来なら官房長官ともっと揉めても良さそうなのに何故か首相に負荷が掛かるのが良いのか疑問に思うのです。
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