ーところで、縄文土器、土偶は主にどの地域から出土しているのですか。
宗左近「日本列島の全域、とくに「日本書紀」の武内宿禰に(撃ちて取りつべし)と言われている場所から北、つま
り蝦夷地方です。
縄文人は医療を知らないから、大量死が起きる。
幼児も入れると、平均寿命は、推定25歳という若さです。
すると死者の魂は生者の中で生きるしかない。
そのためには何が必要だったか。
人間に似ていて人間を超えたもの、祖先神はをかたどったものを作って祈る。
それが土偶です。
よくいう、単なるお守りの工芸品ではないんです。
ーではどういう役割を
宗左近「教科書では"煮炊きする生活の実用品"ということに主眼が置かれますが、これも同様にそんな単純なもの
ではないと思う。
祭器なんです。
だからあんなに過剰な装飾を施してある。
たとえば縄文中期の火炎土器、あれは神である火山を表しているんです。
一目見て、非日常 の装飾である事が分かる。
その大きさ、形状からしても、どんな土器にも祭器性があったとしか考えられない」
ー縄文はどの程度の規模だったのですか。
宗左近「移住地域は沖縄から北海道中部まで日本列島ほぼ全域。
ただし、大阪から東日本を1000キロとすると、西は1という割合です。
竪穴式住居に一戸あたり6人住んでいた。
この住居が7~8戸、円形、楕円形の土地の外間に建てられいて、中央は広場になっています。
ここに死者の骨を土器に入れて埋める。
これが最小単位のムラです。
このムラが、数百mから1kmの距離を置いて住んでいました。
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