悲しいことに、この事件を通して私自身の「祖国フィンランド像」にひびが入りました。
この1ヵ月余り、フィンランドの様々な新聞、雑誌やインターネットサイトからこの事件について取り上げられたものを読んできました。フィンランドの世論は最初のショック状態から今少しずつ回復に向かっているように見えます。しかし今もなお、何故18歳の男子高校生が自分の通う高校の校長先生と7人の生徒達を殺さなければいけなかったのかということは理解できません。
悲しいことに、この事件を通して私自身の「祖国フィンランド像」にひびが入りました。
この1ヵ月余り、フィンランドの様々な新聞、雑誌やインターネットサイトからこの事件について取り上げられたものを読んできました。フィンランドの世論は最初のショック状態から今少しずつ回復に向かっているように見えます。しかし今もなお、何故18歳の男子高校生が自分の通う高校の校長先生と7人の生徒達を殺さなければいけなかったのかということは理解できません。
2007年11月7日、私のふるさとフィンランドがいっぺんに有名になった事件が起こりました。それは90回目の独立記念日、一ヵ月前のことでした。フィンランドが誇る教育現場で、銃乱射事件が発生し8人の命が絶たれたのです。そのニュースは飛び火のように世界中に広がりました。事件が起こったヘルシンキ近郊のトゥースラという小さな町は世界の注目の的になりました。
この悲劇はなぜ起こったか。その理解に苦しむのは私だけではないでしょう。この悲劇な出来事を防ぐことは出来なかったのはなぜ?無念の気持ちが残ります。まして今、フィンランドの学校教育は学力世界一の座を保ち続けていることで知られているからです。聞かれたらどう説明すればよいのか、答えるのに苦しんでいます。
・ イスラム原理主義、神は姿見せない。緑の絨毯だけ。
・ 神仏、どっちにこれから行くのか?
・ 受け留める側必要なもの選ぶ。
・ 神仏を区別しない。日本人は生まれは神道、結婚はカトリック、死は仏教。
・ 神道が宗教として行くには仏教、霊山、取り入れた。
・ 仏教も秘かに神道やっている。
・ 救済できるか、共生しょうとする。
・ 神様を表す時、権現使った。
・ 神さま降ろす。
・ 山伏に神さま語らせた。
・ 木曽の御岳。
・ 「霊を語るには自分自身が霊を乗り越えていなければいけない。」
・ヨケラ教会;24時間門戸を開いている。
小礼拝は18時
・ ツゥスラ教会:12~23時門戸を開いている。
小礼拝は18時
・ ケッロコスキ教会:12~19時門戸を開いている。
小礼拝は18時
・パイヤラチャペル:19時音楽礼拝。
以上がトゥスラ郡の全教会の行事であった。当然他の教会でも小礼拝がもたれ、小中高生徒が数多く参加している。そしてロウソクや献花の場所も指定された。普通ロウソクと献花は現場に挙げられるが、現場は警察により封鎖されているためである。
11月11日、トウスラ教会で父の日、家族及び追悼礼拝が行われて、全国に生放送された。ヨケラ教会のこの日の礼拝は多かれ少なかれ追悼礼拝となった。そして18時には全教会で ヨケラのために追悼小礼拝が執り行われた。
11月12日、ヨケラ教会で17時からへイッカ監督による小礼拝が行われ、そこにはヨケラの住民、緊急管理に携わった教会職員、ボランティア、そして被害者の家族等が招待された。
以上のように教会はこの問題に懸命に取り組んでいる。
カントラは当日事件現場に最初駆けつけた教会職員の一人である。彼は機関紙のインタビュウに以下のように答えている。
・11月7日12時20分、ヨケラ教会のキッチンからトウスラ教会に事件の電話が入った。牧師、二人の青年指導者、ディアコニカの5人で教会へ駆けつけたのが12時55分。現場にはフィンランド赤十字社、SOS車。郡関係者等が来ていた。もちろん警察官らは来ていた。すぐに教会職員に非常招集をかけ、応援を求め、緊急管理所を教会に設立した。現場はすごく混乱していたので、最初にしたことは教会職員をカウンセリンググループ、逃げてきた生徒や先生の名前の確認グループ、駆けつけてきた家族と生徒を引き合わせるグループなどに分け、口頭で確認し、スグに行動を開始した。
私はヘルシンキのルーテル教会で青年指導者として仕事をしている。事件当日は休暇で日本におり、朝の番組で事件を知った。ニュース番組はヨケラの学校(事件現場)で「フィンランドで????」という最初の印象となぜ英語さんだ?と言う複雑な感覚があった。早川理事からこの原稿を頼まれたとき、あまり気は進まなかったが、「フィンランドに帰ったら教会が事件後どのように働いたか調べてみたい」と思った。フィンランドのキリスト教会は単に日曜日にに礼拝を守っているというだけではなく、国民のために日常のさまざまな場面でその時その時必要な仕事に取り組んでいるが、今回のような問題を未然に防止できなかったのは何故か、が知りたかったし、発生した問題にどのように取り組んでいるのか、そしてこのような事件をどのように解決して行くのだろうかと、という事を調べてみることにした。
数年前知り合いの農家(ロシア国境沿い)に、銃は4丁持っている知り合いに電話し、「あなたが何処に銃を保管しているのか教えてくれ」と言ったところ、彼は家族以外の人には教えることは出来ない」といった。また「保管箱とその鍵は一緒の部屋に置いてはいけない」とも教えてくれた。この返事を聞いて私は外部の人間から自分を守るためだと、直感的に思った。国境が海だけの国と陸続きの国境を持つ国とは、その安全(国防も含めて)に対する感覚が違って当然だと思う。多くのフィンランド男性は徴兵される。だから彼等は彼等は銃についての知識と心得がある。民間人、しかも陸続きの国境沿いに住んでいる人々の国境に対する感情及び感覚を十分理解しているとは言わないが、「イザ鎌倉!????」と言う時、彼等の銃は私達を守ってくれると信頼している。