EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山兄弟生誕地研究員県外研修会・「星野哲郎記念館」

2015年10月10日 | 伊予松山歴史散策
戦艦陸奥の記念館を見学後、片添ヶ浜にある「サンシャインサザンセト」で昼食を行い(レストランの食事が美味しかったです。)宮本常一記念館と星野哲郎記念館に別れて見学した。記念館は隣接しており時間が有れば両記念館を見学する予定であったが、陸奥記念館で時間が掛かり、どちらかの見学となり、私は、星野哲郎記念館を見学した。
兄弟船の詞の中の一節「雪の簾(すだれ)をくぐって進む」この言葉(歌詞)が私は好きです。
素晴らしく、海の仕事の経験者でないと浮かばない言葉と多くの作詞家、作曲家の先生方の褒め言葉である。
星野 哲郎(ほしの てつろう)さんは、本名:有近 哲郎、大正14年9月30日生れ、平成22年 11月15日逝去、日本の作詞家であり、戦後歌謡界を代表する作詞家の一人。山口県大島郡森野村(後に東和町→現・周防大島町)出身で、東京都小金井市に在住していた。各所で「星野哲朗」という表記がされることがあるが、「哲郎」が正しい表記・・とある。
星野哲郎記念館見学後、柳井港にマイクロバスで移動、途中幕末幕府の命を受けて長州征伐の際伊予松山藩が戦闘した所を通り、柳井港発14時45分発の防予フエーリーで17時20分松山三津浜港に着、18時10分秋山兄弟生誕地現着、今年の県外研修は無事終了解散した。
なお。宮本常一記念館は、時間の関係で私は見学出来なかった。
宮本常一の理念は、「郷土に目を向ける人間を育てない限り、日本がよくなることはない」「庶民の文化の発見者」として知られるだけでなく、離島振興や農山村の地域づくりの実践者でもあった。
柳田国男に従事し、渋沢敬三に師事、昭和40年日本観光文化研究所所長、武蔵野美術大学教授を歴任、著書「忘れられた日本人」がある。
坂の上の雲の著者「司馬遼太郎」は、宮本さんは、地面を空気のように動きながら、歩いて歩き去った。
日本の人と山河をこの人ほど確かな目で見た人は少ないと思いますと述べている。


星野哲郎記念館の記念スタンプと入場券。


星野哲郎記念館の全容。


星野哲郎記念館の案内板。


星野哲郎記念館の表札。


館内には、笑顔の星野哲郎さんが迎えてくれる。
星野さんは、「演歌」と称さず、遠くにありて歌う「遠歌」、人との出会いを歌う「縁歌」、人を励ます「援歌」などと称していた。星野哲郎記念館でも、これらをまとめて星野えん歌と表現している。・・いい表現である。


色んな表情の星野哲郎さん。日本最高の作詞家、苦労されその経験から生まれた詞である。


「雪の簾(すだれ)をくぐって進む」の歌、兄弟船。


レコード大賞の表彰状・・初めて見ました。


平成12年11月3日、天皇陛下から、星野哲郎さんは、勲三等瑞宝章を受章されている。
瑞宝章とは、「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に授与すると定められ(勲章制定ノ件3条1項)、具体的には「国及び地方公共団体の公務」または「公共的な業務」に長年にわたり従事して功労を積み重ね、成績を挙げた者を表彰する場合に授与される(「勲章の授与基準」)。・・とある。


星野哲郎記念館と宮本常一記念館の間にある周防大島町の観光マップ。


片添ヶ浜にある「サンシャインサザンセト」レストランの食事の敷紙として周防大島町の観光マップが使われていた。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする