EEKの紀行 春夏秋冬

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「陽光桜」昨年より遅れて満開・砥部町

2017年04月02日 | 伊予松山歴史散策

陽光桜が昨年よりも遅れて満開となりました。画像は4月1日午後撮影です。

場所は、愛媛県砥部町の赤坂泉です。(重信川、南側堤防で重信大橋の直ぐ下手です。)

陽光桜、日本国内では、色が染井吉野よりも濃い色で如何なものかと批判めいた声があったが、高岡さんは、外国人好みの色合い、これはあえて高岡さんはこの色にしたと言われている。

 平成27年11月“知らざる偉人” 陽光桜を作り上げた「高岡正明」さんの生涯をモデルに、人生の真の姿を描かれた映画、「陽光桜」が製作され全国で上映された。主演が笹野高史さん、共演は的場浩司さん、宮本真希さんでした。

陽光桜を作り上げた「高岡正明」さんの顕彰碑と(画像右下)陽光桜で、愛媛県砥部町の赤坂泉にある。・・今が満開(4月1日)。

陽光桜を作り上げた「高岡正明」さんは、愛媛県東温市の方で最良の組み合わせで作出され”天地に恵みを与える日の光” という意味の 「陽光」と命名し、農林水産大臣から桜としては全国で初めて種苗登録147号として証明された。

一級河川「重信川」の南側堤防下に90本植栽されている。

堤防は、サイクリングロードとして整備されている。

重信川は、伊予松山城築城の普請奉行「足立重信」が改修した河川で、改修者の名前が河川名として残っているのは非常に珍しいそうです。

元教師だった高岡さんは、送り出した教え子たちが大東亜戦争で戦場に散ったことを悼み、鎮魂の思いでこの桜が生まれることにつながったという。陽光桜は今年も満開となった。

皆さんカメラ持参で鑑賞に浸っていた。

青空に、ピンク色の濃い花びらが青空に溶け込んで行くよう。

高岡さんは、陽光桜を、国内外へ無償で贈り続け、明治23年9月16日、和歌山県串本町にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で折からの台風の強風にあおられ岩礁に激突座礁し遭難沈没したトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難者を追悼してイスタンブールに贈られた陽光桜が外国に贈った最初である。現在立派に成長しているそうだ。

 陽光桜は、「天城吉野」に「台湾緋桜」を交配して作られた、実生苗の中から選び抜き育成されたもので樹勢は強く、テングス病に強く胴枯れもしない。

染井吉野桜は、テングス病に弱く胴枯れも起こし短命だが、陽光桜は長寿と言われている。

こんな立派な長所が出るのは5万回に1回ぐらいの確立で人間業では出来ない事、高岡さんの思いが神に通じたとしか考えられない。茨城県結城市にある「日本花の会」結城農場研究所の専門家の言葉が返って来て高岡さんは満足そうに家族に話した。・・とある。

育成地 (愛媛県) における開花は 3月中旬から3月下旬。
 外国に贈り咲き誇る国々は、トルコ・イタリア・リトアニア・チュニジア・メキシコ・スリランカ・カンボジア・ベトナム・タイ・中国・台湾・韓国・等々で「平和の使者」として広くその使命を果たしている。

現在は、高岡正明さんご他界され、長男の高岡照海ご夫妻が陽光桜の苗木を贈り続けている。

高岡正明顕彰碑。

平成21年9月30日に愛媛県伊予郡砥部町(とべちょう)の赤坂泉に建立された。

高岡正明顕彰碑の裏面で、高岡正明さんの功績が揮毫されている碑文。

平成21年9月30日に愛媛県伊予郡砥部町(とべちょう)の赤坂泉にて、高岡正明氏生誕100周年を記念し、NPO団体日本さくら交流協会によって建てられた顕彰碑の除幕式が行われた。子息の高岡照海氏は「父は死ぬまで世界平和のため桜の交流に力を注ぎましたが、私も死ぬまで携わりたい」と決意を述べられた。

赤坂泉は「陽光」と「ソメイヨシノ」が160本植えられた重信川の土手沿いにあり、お花見の名所として地元では有名です。昨日4月1日撮影、今が見頃です。陽光桜が終わると、染井吉野桜が開花します。昨日、染井吉野は開花してなかった。

 

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