「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

川口能活選手「引退」誰もの心に残る彼、自身にある心残り

2018年11月05日 20時36分17秒 | サッカー選手応援
今朝の日刊スポーツ紙、1面にデカデカと「川口能活 引退」。同紙が彼に贈る最大限のはなむけです。紙面一杯に、彼の活躍を報じる紙面の数々。

そして、続々と届く称賛とリスペクトのコメントや論評。
一つひとつ丹念に読みたいので、数日かけたいと思っています。

そんな中、当の本人には完全燃焼感はなく、なんと言っても4度のワールドカップで、自身が守った試合で勝利出来なかった心残りのままの引退となったようです。

でも川口選手!!
それは時代がそうだったからです。

あなたは、日本中の悲願だったワールドカップ初出場の舞台のゴールマウスを守った選手です。それに勝る栄光と誉れはないでしょう。【この部分の途中で一旦書き込みを中断して、その後は8日に書き足しました】

あの当時、ワールドカップ本大会とは、出場したことに意義があった時代であり、川口選手は苦しかったアジア最終予選のゴールマウスも守りきった立役者です。

いくら私がそう話しても「2002年大会はゴールマウスを守れなかった。それが痛恨の極み。2006年大会は自分のミスもあって勝てなかった。だから4大会出場といっても喜べない」と言いたいのでしょう。

まぁ、中学の時からエリートGKとして世代ごとの頂点に君臨して、Jリーグに入ってからは、当時の日本代表正ゴールキーパーをあっさりと控えに追いやるほどの才能を示した川口選手ですが、GKとして完全無欠の身体能力に恵まれたわけではないことを考えれば、空前の成功を収めた選手というべきではないでしょうか。

多くのサッカーライターたちが競って川口選手の凄さを称賛しているのも、そこだと思います。GKとして決して身体能力に恵まれたわけではない中、これまでのGK像を180度覆して「少年たちが憧れ、目指したいポジション」に変えた功績が大きいからです。

おそらくご自身は、まだ、そんな実感がないと思いますが、いつか、そういう役割を果たしたんだと気づいた時、ワールドカップで一度も勝てなかったといって悔しがったことがウソのように思えるでしょう。

川口選手引退の記事とご本人の感想を知って、そんなことを感じました。
では、また。
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語り継がれるでしょう。鈴木優磨選手が鹿島の「ピッチ上の王様」になった日

2018年10月27日 19時15分44秒 | サッカー選手応援
さる24日(水)に行なわれたACL準決勝2Lg 三星水原vs鹿島戦は、後半15分までに3-1とリードをゆるしながら、鹿島が2点を返して引き分けに持ち込み、見事決勝進出を果たしました。

この試合、分水嶺となった出来事が、3点目を入れられた後半15分にありました。鹿島イレブンが円陣を組んだのです。

その出来事のいきさつを、10月26日の隔日刊「エル・ゴラッソ」紙がレポートしてくれています。

田中滋記者の記事から、その時の様子を描写してみましょう。

「あっという間の3失点に色を失う選手がいる中で鈴木(優磨)の闘志は衰えていなかった。(後半8分に)逆転されたときにレオ・シルバを呼び寄せて指示したのに続き、(この場面では)ほぼ全員を集めて円陣を組む。肩を落とす昌子に強い言葉をかけられる選手がいなければ、この試合は終わっていたかもしれない。」

その昌子は「どこがよくなかったのか、決勝に進むためには何をしないといけないのか。視野の効かない霧の中を手探りで歩いている感覚でいたとき、『源!』と自分を呼ぶ鋭い声が耳に入ってきた」

「(鈴木)優磨に呼ばれて、『あ! まずはこっちだ!』と思っていきました。」
「我にかえった昌子は、鈴木の叱咤を制して矢継ぎ早に指示を出す。まずは1点とろう。ウチが攻める時間は多く残っている。・・・・・」

昌子源選手に強い言葉をかけたことについて鈴木優磨選手は「源くんが、(失点を)ちょっとひきずっているように見えたので、強めに言った。ピッチの中では年齢は関係ないので」

「昌子にどんなことを言ったのか報道陣から問われると『忘れました』と答える。プレーだけではなく、そうした気遣いからもチームを背負う自覚と風格が漂う。・・・・・」

その円陣からわずか4分後、西大悟選手が難度の高いキックでゴール。円陣を組んでイレブンが士気を鼓舞した結果がすぐに出たのです。

これで二戦合計スコアが全くのイーブン。そして後半37分のセルジーニョの同点ゴールに結びついたのです。

AFCが選ぶマンオブザマッチはゴールを奪っていない鈴木優磨選手でした。田中記者も「前線でボールを収めては起点を作り、ピッチ内外で精神的支柱となったとなれば、そこに異論を挟む余地はない。・・・・」と書いています。

チームは決勝を残しています。勝って悲願のACL制覇を果たせば、それに越したことはありませんが、私は、この準決勝2Lgの試合。鈴木優磨選手が、鹿島の「ピッチ上の王様」に就任した日として語り継がれるに違いないと確信しました。

「王様」というと語弊があるかもしれませんが、かつての日本代表における本田圭佑選手のような圧倒的存在という意味です。

円陣を組むべく集めたのが鈴木選手だったのかどうかは明確ではありませんが、昌子源選手を我に返らせた『喝!』は、強い気持ちの人でなければできないことで、それを実際にできる鈴木優磨選手のスケールの大きさは楽しみでなりません。

私が鈴木優磨選手のことを初めて書いたのは2016年6月13日の書き込み「鹿島に第三期黄金時代到来の予感」の中です。

このタイトルをつけたように、「鹿島の試合をじっくり観戦して感じたのは、いま鹿島は次の全盛期の前夜にあるのではないか、ということでした。」

「途中から出場した杉本太郎、鈴木優磨の両選手はまだ20歳とのこと、FWの鈴木選手に至っては自ら獲得したPKを決めてしまう気持の強い選手のようで、将来が本当に楽しみな選手です。」と。

そう書いてから2年ちょっと。これから先8年で、彼はどのような進化を遂げてくれるでしょうか。彼も本田圭佑選手のように日本代表の圧倒的存在になってくれるかも知れません。

少なくとも、この準決勝2Lgにおいて、試合の分水嶺となった円陣での出来事は、それを十分予感させてくれるものですし、語り継がれると思います。

では、また。

【お詫びと訂正】
今回、昌子源選手の名前を、これまで「昌司」と書いてきたことに気が付きました。漢字変換で出た「昌司」をそのまま使っていたようです。

おそらく2016年6月13日が初めてで、それ以降、昌子選手は相当多く話題にしていますから、夥しい数の「昌司」があると思います。

本来でしたら、一つひとつ訂正しなければなりませんが、お詫びして一括訂正ということにさせていただきます。

どうぞ、ご容赦願います。

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「なでしこリーグ活性化プロジェクト」を立ち上げたいと思います。

2018年10月25日 08時07分08秒 | サッカー選手応援
前回の書き込みで、日テレベレーザの籾木結花選手が、観客動員アッププロジェクトのプロデューサーをかって出たという話をしました。

寝床に入ってから、このことを思い返した時、なでしこリーグがもっと評価されるべきだし、当「サッカー文化フォーラム」がこういう時に動かないで、何のためにフォーラムを名乗っているんだという気持ちが沸々とわいてきました。

と同時に、Jリーグがスタートする以前、Jリーグの夜明け前とも言える1989年に行われた、あるプロジェクトを思い出しました。

同時まだ「日本リーグ」と呼ばれていた男子サッカー【ここまで書いて、このあとは26日に書き足しました】Jリーグの前身、読売クラブvs日産自動車といった人気カード以外は、観客が2〜3000人入れば御の字という時代でした。

日本サッカー協会もリーグ事務局も、日本が本気でワールドカップを目指すなら、プロ化して本格的に取り組まなければ道は開けないと、プロリーグ構想を具体化し始めた時期でした。

当時、日本リーグ事務局のリーダーは川淵三郎さん、その事務局から出されたのが「日本サッカー活性化プラン懸賞論文募集」という公募でした。

もちろん、この公募をもとに何か新しいことをやろう、という大それたものではなく、すでに事務局が進めていた「プロリーグ計画」を出来るだけ世論の後押しを得て進めるための、話題作りの一つで、いかにもプロジェクト戦略に長けた当時の「チーム川淵」らしい企画でした。

当時、つまり、今から30年前、私はサッカーのことに興味が湧き始めた時期でした。理由はただ一つ。中学生になった息子がサッカースクールといった最小単位でのプレーから東京トレセンメンバーに選抜され、全国で広域ブロック毎に組織されているトレセンチームの全国大会に出場するところまで行き、子供の夢を親も見るといった時期だったことから、プロ選手というものが手の届きそうな感じがしたのです。

今思い返すと、私のサッカーへののめり込みが本格化したのは、この「活性化プラン懸賞論文」に応募するために、日本サッカーの人気を高める方策といったことを、本気になって考えてみたことが出発点になっているのかも知れません。

なでしこの本題に入る前の「前置き」が長いですが、もう少し書かせていただくと、そこから私は「自分がサッカーに関われるとしたら、それは何だろうか」といった、自分探しを始めたのです。

そして、それから4年、自分にやれることで、しかも、おそらくこんなことをやる人は誰もいないだろう、という考えで、Jリーグの全試合録画収録、サッカー誌、スポーツ紙のバックナンバー保存という作業を始めたのです。

もう、そこから先は「続けること」の一念で、過ごした24年間だったわけです。

そして今、これらのサッカー情報に克明に記録されている日本のサッカー文化の萌芽から進化・成長の足跡を、100年先の人たちに繋ぎ伝えることを、自分の生涯の使命と考えています。

そんな中、「なでしこリーグ活性化プロジェクト」は、再び私に、挑戦に値いする歯ごたえのあるテーマを与えてくれました。

この先、何回かに分けて、プロジェクトを練り上げていこうと思いますが、ぜひ多くの皆さんが関わる一大ムーブメントにしたいのです。

とりあえず今日は、プロジェクトを練り上げていくために意識しておきたい、いくつかのキーワードを思いつくまま並べてみたいと思います。

まず、なでしこリーグを活性化するって何か。

かつて男子サッカーが、ワールドカップ出場を果たすという悲願を達成するには完全プロ化しかない、という、揺るぎない方針のもとにJリーグをスタートさせましたが、当時噴出していたリスク論は、選手はプロとして生活が維持できるのか、観客は継続的に集客できるのか、クラブの経営は? スポンサーは? ありとあらゆることが未知の世界ですから、ネガティヴに考えたらキリがない話しだったのです。

それにひきかえ、30年後の今日、なでしこリーグはずいぶんリスクが少ない時代にいると思います。

やはり、2011〜12年の栄光を取り戻すためには何が必要か、ワールドカップでの決勝トーナメント常連国を継続していくには何が必要か、という視点で考えれば、なでしこジャパンを強くする。そのためには「完全プロ化」こそが、その道だという答えが自ずと導き出されると思います。

ですから、一つ目のキーワードは「完全プロ」です。

次にJリーグが、ホームタウンの考え方を徹底して、クラブ名から企業名を完全排除したような、いわゆるフィロソフィー、リーグとしての理念をどう打ち立てるか、です。
ここを間違うと「完全プロ化」も失敗のリスクを負います。

おそらく、多くの皆さんのお知恵を拝借しなければならないのは、ここだと思います。リーグが将来にわたり変わらず持ち続けるべき理念とは何なのか?

これが固まらないと、どこに向かって進めばいいのか決められません。

おそらく、次の取り組みは「サッカー文化フォーラム」が「なでしこリーグの理念をどう打ち立てるか」といつた1年がかりぐらいの検討の場をセットすることだと思います。

その検討の場にぜひ加わりたいという有志をまず募ります。まずはこのブログの「コメント」欄に、ぜひと思う方は意思表示してください。

お待ちしています。
10日ぐらいの間にコメントが50ぐらい寄せられればと希望しています。

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日テレvs INAC神戸戦、まるで、なでしこ代表東西対抗戦のようでした。

2018年10月23日 20時25分02秒 | サッカー選手応援
先週20日、東京・西が丘の味の素フィールドで、なでしこリーグ16節 日テレベレーザvs INAC神戸戦が行われました。

日テレは勝てば、追いすがる神戸を振り切ってリーグ4連覇を達成する試合でしたが、意地の神戸も得点を許さずスコアレスドロー。日テレの優勝は次節に持ち越しとなりました。

この試合、なでしこ代表メンバーが、日テレに12人、神戸に6人、そのほか元代表経験者を含めて、ピッチ上は、さながら、なでしこ代表の東西対抗戦の華やかさとレベルの高さでした。

この両チーム、さる7月21日にも同じ会場で、リーグカップ決勝を戦いました。その試合のことを直前になって知った当ブログは、10月20日の観戦予定を繰り上げて見に行きました。その模様は7月24日の書き込みでレポートしています。

当ブログのお目当ては「まい」と「まな」こと京川舞選手と岩渕真奈選手です。
今回は見に行けなかったのですが、日テレが深夜放送枠で録画放送してくれました。アナウンサーはどうしても日テレベレーザ中心のしゃべりでしたが、映像はしっかり平等にとらえていてラッキーでした。

今回、とうとう当ブログが以前から推奨していた京川舞選手のFWでのスタメンが実現しました。「まい」と「まな」のスタメン競演がとうとう実現したのです。

それにしても、神戸には京川、岩渕、増矢、杉田妃和、日テレには田中美南、長谷川唯、籾木、清水美沙、次のなでしこ代表の中心になるであろうキラ星のような選手たちです。

実は、なでしこリーグは観客数の伸び悩みに苦心しているそうです。そういえば当ブログが観戦した7月の試合、私の想像では7~8000人の観客で満員なのではと思って行ってみたら2000数百人で、寂しい思いでした

都内のスタジアムで観られるこんな贅沢な試合なのに、という感じです。
今回の試合には、ちょっとイイ話があったようです。

日テレベレーザが観客動員数アップのプロジェクトを企画して、そのプロデューサーに、ベレーザの背番号10番・籾木結花選手が志願して就いたというのです。籾木選手は、そういう経験は自分のためになるからと言って引き受けたそうですが、その心意気がいいですよね。

なでしこリーグが、もっと多くのお客さんで賑わうように何が考えなくちゃなりません。
いずれ、何か呼びかけたいと思います。
では、また。
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Jリーグ残り4試合、広島、鹿島、G大阪、柏、そうなっ「たられば」Ⅱ

2018年10月23日 19時40分07秒 | サッカー選手応援
今月4日、つまり20日前、同じタイトルの書き込みをしました。その時は「残り6試合」の段階でした。
そこから、わずか2試合の消化ですが、相当見えてきました。

まず広島、ここに来て3連敗です。希代のモチベーターと評価している城福監督をもってしても、立て直しがかないませんでした。

完全に広島を抜き去った川崎はといえば、先週の神戸戦で、今シーズン最も美しいゴールの一つと呼ばれるであろう、完璧なまでのパスワークを、あうことかイニエスタ選手の目の前で披露しました。

まさに王者の勝ちっぷりでした。勝負ありの前節です。

次に鹿島、ACL準決勝2L gが明日です。そのあと、この欄に加筆します。
【この部分は、25日に書いています】
鹿島の勝負強さというか、執念というか、逞しさというか、驚きの決勝進出でした。
三星水原との準決勝2Lg、敵地に乗り込んだ鹿島が前半先制して、かなり有利になったと思った後半、立て続けに3点を失い絶望的になったのは私だけだったのでしょうか。

私は翌朝の起床時間のこともあり、あきらめてテレビを消してしまいました。ところが翌朝、新聞を開いて驚きました。「鹿島、決勝進出」の見出しが躍っているではありませんか。

痛快でした。「なんと、あそこから追いついたんだ」という驚きの混じった痛快感です。
当ブログはことのほか日韓戦に熱くなります。敵地とはいえ、我が方のチームが負ける姿は見たくないのです

しかし、結果は違っていました。
すぐに、消した場面のあとから録画再生で見てみました。相手に3点目をとられたあと、すぐぐらいに西選手が追撃のゴールをあげたんですね。あれが効きましたね。

そして、その前、3点目をとられた直後、鹿島イレブンは円陣を組んでお互いを鼓舞してたんですね。放送解説陣の城彰二さん、中田浩二さんが揃って、この円陣を評価してました。

そして決勝に導く同点弾は、あのセルジーニョです。10月4日の書き込みでも「鹿島がACL制覇を果たすとしたら、それは内田篤人とセルジーニョがもたらしたものといえるでしょう」と書きました。

まさに鹿島進撃の立役者です。
これは決勝2試合も楽しみになりました。

実は、鹿島負けを決めてかかっていた私は、その理由について口出ししようと考えてました。私自身の不徳を反省しております。

【ここまでが25日加筆分です】

G大阪は、なんと6連勝です。順位も10位まで上げてきました。すごいですねぇ、宮本監督という人は。
前回の書き込みで私は「今野泰幸選手が復帰した途端の4連勝」と書きましたが、そのあとの連勝は完全に「監督力」と言いたいです。

この立て直しぶりは、今シーズンのJリーグの大きな収穫と言えるでしょうし、日本サッカー界としても大きな期待を抱かせる監督を見つけたと思います。

最後に柏、最終節までもつれそうな残留争いになってきました。何が明暗を分けるのか分からない残り4試合です。
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森保ジャパン初招集メンバー、そのまま定着濃厚ですねぇ。

2018年10月17日 21時32分33秒 | サッカー選手応援
森保ジャパンの10月テストマッチ、パナマ戦、ウルグアイ戦が終わり、あらためて森保監督の、核心を突いた選考能力に脱帽です。

昨夜のウルグアイ戦、ロシアW杯組を交えた初めてのスタメン構成で、ワントップの大迫選手はわかるとして、2列目に、中島翔哉、南野拓実、堂安律の各選手を並べた布陣。

その選手たちが、当たり前のように躍動して勝ち切る試合を見せてもらい、これは森保監督、かなりの能力と感じました。

【ここから先は18日に書き込みました】

翌朝のスポーツ紙、1面トップにサッカーを4紙とも持ってきたのは、ロシアW杯期間中以来、3ケ月ぶりです。
そうお伝えするのも、当ブログの役割です。見出しは全て「南野」。当然でしょうね。

さる8月30日の書き込みで「森保ジャパンの初選考メンバーから生き残れるのは・・・」と題して「中島、南野、堂安の各選手たちが、呼ばれたり呼ばれなかったりしているうちは、なかなか代表の底上げにはつながらず、東京五輪、カタールW杯と続く日本代表のメンバー構成が、円滑に進まないように思います」と述べました。

「そんな心配はご無用」と言わんばかりの世代間融合です。こうなると、原口、宇佐美、久保裕也、浅野琢磨といった面々が、おめおめと引き下がるのかです。

今度は彼等に奮起してもらわないと、という新たなテーマが出てきました。

それにしても、これだけ新戦力がフィットしたのには、ベテラン選手たちの融合に向けた配慮があったというのが、もっぱらの観測です。

持てる力を存分に発揮できる組織には、必ず、そういう環境を整えてくれる、いい上司、先輩がいる。これ、まさに「成功する組織」の見本みたいですね。

まだまだ、道のりは始まったばかりです。これが、そのままつづかないのが、生身の人間の集合体である日本代表の難しいところです

それでも、この先、楽しみなチームが出来ていきそうだという、期待感の膨らんだ10月テストマッチでした。
では、また。



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Jリーグ残り6試合、広島、鹿島、G大阪、柏、そうなっ「たられば」

2018年10月04日 19時06分32秒 | サッカー選手応援
Jリーグは、いよいよ残り6試合。いくつかのチームについて、どうしても書いておきたいことがあります。題して「そうなっ『たられば』」

まずは、優勝争いの広島、今年、序盤から首位を快走してきましたが、とうとう川崎に追い抜かれてしまいました。普通に考えれば、追ってきたチームの勢いに負けて沈んでしまうのですが、そうなったら城福監督の評価はガタ落ちになってしまいます。

こういう長丁場の戦いの難しさもありますが、なまじ「今年の広島はぶっちぎりの優勝」といわれるほどの経過を辿ってきただけに、ここに来ての失速を立て直せないと「優勝を目指せる監督とは言えない」という評価につながる、残酷な立場に立たされるのが監督の宿命です。

私は、むしろ城福監督のモチベーターとしての資質に賭けているところがあり、ここからが城福監督の腕の見せ所ではないかと思っています。

もし、ここから踏ん張れるチームに立て直して、トップでゴールしたら、それだけでも「ポスト森保」にあげていいと思っています。

なぜなら、FC東京や甲府での経験を確実に積み上げて今シーズンの広島があると思うので、この監督さんは確実に成長・進化していると思います。それ証明するためにも、ここで失速しないで欲しいところです。

次に鹿島です。現在の鹿島はリーグ戦以上に、悲願のACL初制覇に向かって突き進んでいます。昨日、準決勝1Lgが鹿島ホームで行われ、苦しみながらも3−2で逆転勝利を収めました。アウエーゴール2つを与えたとはいえ、こういう勝利は、チームを勢いづけます。

もし鹿島がACL初制覇を果たしたら、それはセルジーニョと内田篤人の加入がもたらしたといっても過言ではないでしょう。

昌子源選手、植田直通選手のセンターバック二枚看板が不在の中、不安定なDF陣を内田篤人選手が経験でカバーしており、金崎夢生選手が抜けた最前線のあなを埋めて余りあるセルジーニョ選手の活躍です。

二人とも「そのために来た」という思いが強いでしょうから、楽しみです。

ここからは、残留争いで明暗を分けそうな2チーム。
まず、いい感じになってきたG大阪。ちょうど9月1日、今野泰幸選手が復帰した川崎戦からリーグ戦4連勝、しかも川崎、広島を撃破してですから強い、強い。

宮本監督という人は、このあと残留を果たせば、能力的にもそうですが、どうやら、いい星の下に生まれついてる監督さんのようです。

今野泰幸選手が帰ってきた途端の急浮上です。なかなか、こうはうまくうかないのが普通ですが。

最後に柏です。今シーズンはACLを戦いながらリーグ戦をこなすという堂々たる強豪チームとしてスタートしたはずの柏ですが、気がつけば降格圏に沈み、苦しい終盤戦になっています。

そんな柏が降格したら、それは唯一、細貝萌選手を使い続けなかったツケが回ってきたからだと思います。
昨シーズン、当ブログは3度ほど柏と細貝選手について書いています。

最初は、2017年4月8日「Jリーグ各チーム・ベスト補強は細貝選手加入の柏?」、次が2017年5月21日「細貝萌選手加入の柏、首位争いに急浮上、因果関係はあるの?」そして2017年8月13日「細貝萌選手、強豪・柏の重石(おもし)と評価は高いけれど胸中は?」です。

すでに昨年半ばから、柏の細貝萌選手の活かし方に懐疑的になっていた私ですが、その頃はまだ彼自身も何とか現実を受け入れチームに貢献しようと頑張っていたようてす。

しかし、今シーズンは4月半ばあたりからベンチ入りメンバーからも外れることが増えたようで、それと歩調を合わせるかのようにチーム成績も、じわじわと下降線を辿ってきました。

細貝選手は、9月2日ブログに「今できること」というタイトルで「正直、最近考えてしまうことが多く、迷うことが増え、混乱することが増えた」と苦しい胸の内を吐露しています。

心情が痛いほど伝わってきます。

そのような気持ちの日々を過ごしている中、9月7日に車を運転してバイクと接触事故を起こしてしまいました。柏は、細貝選手をチームの中心として活かす構想など何も持たずに獲得して、飼い殺しのように扱い、とうとう精神的に追い詰めて事故を起こすまでにしてしまったのではないでしょうか。

柏が降格したら、その報いかもしれませんね。そうならないことを祈ってます。

Jリーグ残り6試合、そうなっ「たられば」
最後は、やや怨霊がかった話になり、柏サポーターから非難ごうごうになるかもしれませんが、当ブログは昨年から疑問を投げかけていたことですので、「だから言わんこっちゃない」という思いです。


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今更ながら知る中田英寿選手の偉大さ

2018年09月28日 18時34分34秒 | サッカー選手応援
一昨日26日の書き込みで、最新のN umber誌が、中田英寿選手の欧州挑戦20周年という節目をとらえて「越境フットボーラー欧州戦記」という特集を組んだことをお伝えしました。

そして、日本サッカー界不滅の偉業ともいえる欧州挑戦の成功者である中田英寿選手の偉大さを感じたと書きました。

実は、1年前の書き込み「日本選手の欧州サッカー挑戦、これまでと、この先」では、中田選手について、こう書きました。

「かつて、中田英寿選手も中村俊輔選手も、ペルージャやレッジーナといった第一段階での成功は手にしました。しかし第二段階には進めなかったと思います。ACミラン、インテルあるいは他のリーグのビッグクラブに引き抜かれるところまでは行かなかったと言えます。

確かに中田英寿選手はASローマでスクデットを獲得できました。そのことをもって「成功を収めた」といっていいのかもしれません。けれども、私は、中田英寿選手自身には、それほどの達成感はなかったように思います。チーム内での彼の立ち位置は、フランチェスコ・トッティという絶対的なエースの次のセカンドチョイス的なものではなかったでしょうか。(中略)

つまり欧州挑戦の第二段階というのは、スタートが「プロビンチャ」(地方の弱小・中堅クラブ)であっても、最終的に世界最高峰のリーグのビッグクラブに引き抜かれ、そこで押しも押されぬレギュラーを張れることができた時だと思うのです。」

そして、次にこう続けています。
「いま日本選手は、そこを目指すところにきたといえます。乾選手や柴崎選手に続き・・・・」と。

つまり、20年前の中田選手の欧州挑戦は、今でいえば欧州挑戦の第一段階の成功だけであり、第二段階には進めなかった」といっています。

この書き込みは、今と20年前をごっちゃにした書き方になっています。20年前の世界最高峰のリーグだったセリエAで、第一段階も何も、いきなりペルージャで成功したことを成功と言わず、セリエAのビッグクラブといわれるACミラン、インテル、ユベントスに引き抜かれるところまで行けなかったのだからといっています。

それは、まるで小中学生のサッカー選手が、大人に交じって堂々と渡り合ったのに「プロ選手とやったわけではないので、たいした出来事ではない」といっているようなものでした。

20年前の、そうした挑戦と成功に憧れて、その後の選手たちが続くことができたのであり、中田英寿選手に対する現地の評価があったればこそ、その後の日本選手に道が開かれたことは、紛れもない事実です。

中田英寿選手は欧州で9年間プレーし続けた選手です。20年後の今日ですら、そこまで活躍し続けている選手は数えるほどしかいない偉業を「偉業」と呼ばずにいたことを恥じなければなりません。

今回のN umber誌特集の、中田英寿選手の部分を書き下ろしたのは、もはやサッカーライターとしては大御所といってもいい年代になったであろう、金子達仁氏です。

その金子氏が、こう書き出しています。
「(N umber編集部のメンバーには)中田のペルージャでのデビューを知らない子が多いんですよ。中田英寿って存在が当時の日本にとってどんな意味を持っていたのかも」

まさに20年の流れを端的に表現してますし、だからこそ、今、この特集を組む意味が分かるというものです。

そして、金子氏は、当時の中田英寿選手の置かれた状況について、つぎのように書いています。
「開拓者、先駆者の挑戦をリアルタイムで体感していない人たちには、ぜひとも想像していただきたいのだ。
自分以外はすべて敵といってもいい環境で、未踏の地に挑むことの困難さと偉大さを。」

金子氏が、こう訴えたのは、彼自身さえも初めて気付かされた、中田英寿選手のある話の持つ意味の重さを、伝えたかったからだと言います。

金子氏と中田英寿選手は、今年6月、この企画のこともあってイタリアを巡る旅をしたそうですが、その時に中田英寿選手が、20年前の同じ時期にスペインからイタリアに移籍した、当時、鳴り物入りだったデ・ラ・ペーニャという選手と自分とでは「覚悟がちょっと違ったのかも知れない」という話をしていたというのです。

つまり、デ・ラ・ペーニャ選手には、仮にうまくいかなくても帰れるリーグがある、という気持ちがあったのではないだろうか、「その点、僕の場合はイタリアに来た時点で、帰るという選択肢はまったくなかったから。

【ここからの書き込みは、10月1日に加筆したものです】

やるか、つぶれるか。そこの出発点というか、」

そのあとに続いた話こそが、金子氏が「こうやってもう一度中田英寿について書く機会がなければ、何も気づかないままスルーしてしまった可能性が高い」として、気付かされた「覚悟がちょっと違ったのかも知れない」という言葉だったというのです。

金子氏は続けています。「覚悟がちょっと違った? いまになって思えば、何と多くの意味の込められた言葉だったことか。」

中田英寿選手自身は、あのキャラクターです。力説風に言うでもなく、さりげない口調で言ったことでしょう。

けれども、その「覚悟」の重さというか深さというか、厳しさたるや、まさに本人の言葉を借りれば、「やるか、つぶれるか」ここでいう「やるか、」というのは、あらゆる障害を乗り越えて結果を出すということであり、「つぶれるか」というのは、いかなる事情があろうとも結果が出ずに終わってしまうかです。自分には、選択肢がそれしかない、という覚悟です。

おそらく、結果が出せなければ生きては帰れない、それぐらいの気持ちだったのでしょう。それを知ることができて、あのデビュー戦のユベントス戦での2ゴールという「(ハットトリックの可能性さえあった)衝撃的なパフォーマンスが20年目にして腑に落ちたところです。

この覚悟について金子氏はこう書いています。

「とはいえ、当時の中田英寿が内に秘めていた覚悟が、相当に異質なものだったのもまた事実である。
ペルージャのユニフォームに袖を通したとき、中田は21歳だった。失敗しても、まだ十分にリカバリーが効く年齢でもあった。にもかかわらず、彼は「Jリーグに戻って出直す」というリカバリーの道を、あらかじめ、そして完全に断ち切ってイタリアに渡っていた。
これがどれほど異様な決断だったかは、その後の挑戦者たちがたどった道のりを見ればわかる」

つまり、欧州挑戦に出た選手は数え切れないぐらいになったけれど、Jリーグに戻らずに現役を終えた選手は、中田英寿選手をおいて他にいないというのです。

メジャーリーグに挑戦した野茂英雄投手もそうだったように、改めて、彼らが抱えていた覚悟というものの重さ、凄みを感じざるを得ないと讃辞を送っています。

金子氏はまた、中田英寿選手が、サッカー選手としても、プロスポーツ全体においても、多くのものを変え、そして先駆者になったと書いています。

ことサッカーについていえば。中田英寿選手の成功により、雲の上のそのまた上だった世界最高峰の舞台・セリエAは、日本人にでも手の届くところにあると多くの人が知った、ということ。

そして金子氏は「彼がもたらした最大の変化は、アスリートの立場、ではなかったか。」と喝破しています。

すなわち、彼がある時期から、メディアとの関係に違和感を感じ始め、それに頼ることをせず、自らインターネットを通じて情報発信するようになった、そのことこそ、日本のアスリートとメディアとの関係に革命を起こした出来事だったと。

確かに。

彼はサッカー界のみならず、スポーツ界全体にとっても時代の先を行き、時代をリードした存在だったということがわかりました。

メディアという存在は、第4権力とも呼ばれ、一個人がまともに闘おうとして勝てる相手では決してありません。
ある個人が、何かのきっかけでメディアの標的になると、それこそ社会的に抹殺されかねないことになります。

中田英寿選手も、ある時期、そうした類のバッシングを受けたことについて、金子氏が詳しく書いておられますので、関心を持たれた方は、N umber誌961号をお読みください。

最後に金子氏は、こう自問しています。
「中田英寿は天才ではない。(中略)だが、天才ではない中田は、天才ですら届かなかった領域に足を踏み入れた。日本のサッカーだけではなく、スポーツ界全般にまで影響を及ぼす存在となった。
なぜそんなことが可能だったのかーーーずっとそのことを考えてきた。答えが見つかれば、第二、第三の中田英寿の出現を促すことができる。もう何年も、答えを探し続けてきた。
そして、まだ探し続けている。」

金子氏の書き下ろしは、ここで終わりではなく、氏自身なりに辿り着いている答えを紹介しています。それも本文をお読みください。

金子氏の書き下ろしを通じて、今更ながら知る中田英寿選手の偉大さをご紹介しましたが、今回のN umber誌には、もう一つ興味深い記事が載っていました。

それは、中田英寿選手の代理人でもあり、中田英寿選手のプロモーション一切を取り仕切った所属事務所社長でもある、サニーサイドアップの次原悦子氏の、ペルージャ入団交渉の真相ともいうべき「ペルージャ契約秘話」がそれです。

当時31歳だった次原社長、セリエAに精通しているわけでもなく、契約ビジネスのプロでもない彼女に全てを任せた中田英寿選手の信頼感たるや、やみくもな賭けなどとは無縁の中田選手、人を見る目の確かさに驚嘆してしまいます。

「中田と私はガウチの城に幽閉された」というキャプションがついているこの真相秘話、これもぜひ本文を。

N umber誌からの引用、特に金子達仁氏の書き下ろしからの引用が長くなり、ほとんど書き写しと言われてしまいそうな内容になりました。

けれども、「Jリーグ」というプロスポーツのジャンルに初めて登場したといっても過言ではない、本格的ライターの金子達仁氏が、日本におけるサッカー文化の醸成に果たした貢献を大いに顕彰したいが故のことであります。

最後に、そのことをお伝えして終わりたいと思います。

では、また。







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日本選手の欧州サッカー挑戦、これまでと、この先(2)

2018年09月26日 17時55分01秒 | サッカー選手応援
今回のタイトル、実は、ちょうど1年前、2017年9月14日付けの書き込みの続編ということになります。
なぜかといいますと、最新のN umber誌の特集が「越境フットボーラー欧州戦記」だからです。

この時期にこの企画を打ったのは、中田英寿選手のイタリアセリエAでの衝撃デビューから20年の節目だからだそうです。

N umber誌では、この通常版とは別に「中田英寿20年目のイタリア」という別冊を出しています。日本サッカー界不滅の偉業ともいえる欧州挑戦の成功者の足跡を辿るのにふさわしい企画です。

今回の通常版でも、中田英寿選手の偉大さをいまさらながら読み取ることができましたので、それについては、あらためて書き込みたいと思います。

このN umber誌では、中田英寿選手以後を紹介していますが、1年前の私の書き込みでは、Jリーグ以前とJリーグ以後という仕分け、例えていえば、紀元前と紀元後ということで、Jリーグ以後の欧州挑戦の流れを俯瞰して、さらには、今後、欧州で成功するということは、どういう姿なのかを予測してみました。

Jリーグスタート以後、ここまでの欧州挑戦の流れ、その意味合いといった点については、1年前に書き込んだ分析とN umber誌の視点は同じのようです。

そして、私は、今日、欧州サッカーで成功を収めたと評価されるためには、第一段階として、欧州4大リーグといわれるトップクラスのリーグであれば、まずプロビンチャといわれる地方の小クラブで実績を残し第二段階でビッグクラブに引き抜かれ、そこで堂々とレギュラーを張れる選手にならないといけないのでは、と書きました。

そして、スタートが必ずしもトップクラスのリーグでなくても、第二、第三ステップを踏んでビッグクラブに辿りつき、そこで活躍してもいいわけで、いわば、道のりが長いということです。

このことについて、今回のN umber誌の中で、スペイン在住10年になるというライターの豊福晋氏も、乾貴士選手が成功しつつある要因として「(欧州挑戦を)エイバルという田舎から静かに始めた彼のモデルは(成功の)ひとつの指針になるだろう」と書いています。

つまり、同じ中小クラブでも、バルセロナにあるエスパニョールのようなクラブではうまくいかない、という意味もあると思います。こういうクラブは、いろいろと騒がしいので、すぐ結果を求められ、余計なプレッシャーを背負ってしまう、ということだろうと思います。

このクラブを選んだ、西沢明訓選手、中村俊輔選手、当時は、なかなか、そこまでわからなかったと思います。そういう先人たちの経験が後に続く選手たちに学習効果をもたらしたということになります。(書き込み翌朝、訂正とお詫び 当初、城選手、大久保嘉人選手も所属と書きましたが、記憶違いでした。訂正してお詫びします)

さて、今回のN umber誌、欧州挑戦の最新の選手から堂安律選手と植田直通選手を選んで紹介しています。堂安選手などは、まさに20年前に生まれた選手だからのようです。
1年前の私の書き込みは、そのもっと先を考えていました。

バルセロナの下部組織にいた久保建英選手、レアルの下部組織にいる中井卓大選手をはじめとした、まだ十代の選手たちの10年後は、欧州にどのようなに挑戦して、どのような成功を手にするか、楽しみでなりません。

この書き込みを読んでくださった皆さん、せっかくですので、ぜひ2017年9月14日の書き込みも訪ねていただければと思います。

では、また。

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巨大マネーに支配されていくのか、全世界のサッカーは(2)

2018年09月13日 19時45分10秒 | サッカー選手応援
前回の書き込みで、欧州主要リーグの各チームが、アラブや中国などの巨大マネーに次々と買収されている状況をお知らせしました。

そして、それらは必ずや、自分たちの野望を実現するために、陰謀を巡らせ不正を犯してでも、という状況を作り出していくことになります。

さる7月に、日本語翻訳版が出版された、アメリカ人ジャーナリスト ケン ベンシンガー著の「レッドカード 汚職のワールドカップ」は、FIFAとその傘下の各大陸サッカー連盟を舞台に繰り広げられた、驚くべき不正の実態、それに使われた気の遠くなるような賄賂の構造を、ハリウッド映画顔負けのタッチで描いてくれています。

この書物については、さる7月15日の書き込み「『なぜ今回のW杯は“ロシア開催”だったのか』の世界と、スタジアムをきれいにして帰る日本人の世界との、あまりにも大きな落差」で、すでにご紹介しました。

そして今回、詳細のストーリーや汚職の実態について、どう描かれているのかをご紹介したかったのです。

英語で書かれたこのノンフィクションドラマを、翻訳版らしからぬ淀みないタッチで読ませてくださった翻訳チームの皆様にも敬意を表して、メンバーをご紹介します。北田絵里子氏、手嶋由美子氏、国弘喜美代氏のお3方、いずれも、複数の翻訳書実績を持つエキスパートの方のようです。皆さまもぜひ、早川書房出版の同書をお読みになって下さい。

読書意欲をそそるように、簡単に、どんな実録ドラマなのかご紹介します。

この本で取り上げられている事件は、すでに2015年に全世界のサッカー界を揺るがした汚職事件で、当時、FIFA副会長だったトリニダード・トバゴ出身のジャック・ワーナーという人をはじめ何人かの関係者が逮捕されるという前代未聞の出来事を、いわば、その真相究明、しかも内偵調査の段階からの長い長い闘いの道のりを描いているものです。

この事件を、執念深く粘り強く追跡し続けたのは決してサッカー大国とは言えないアメリカの税務当局の犯罪捜査チームと、FBI(連邦捜査局)のニューヨーク支局、そして検察当局のニューヨーク局でした。

本書の冒頭にはこう書かれています。
「FIFAとサッカー界を舞台にした汚職の物語は、果てしなく入り組んでいる。あまりにも壮大で、ここで包括的にまとめたり解明したりすることはむずかしい。数十年にわたる詐欺、贈収賄、私的金融取引、免責を含む腐敗の一方で、ひたむきなファンの熱情を追い風に、サッカーは世界的なひろがりを見せる一大スポーツとなり、数十億ドル規模の娯楽に成長した。

本書では、気の遠くなるほどの複雑さと規模で知られるただ一つの刑事事件、これまでだれもが、ーーとりわけ幻滅した世界のサッカーファンたちがーーあきらめていた領域にまで突き進んだその捜査の大筋を、できるだけ幅広くたどっていく。これはまた、この事件を世界最大のスポーツスキャンダルにした、やり手だが堕落しやすく、ひたむきだが軽率、謙虚にして傲慢、忠実にして不実な人々の物語である。」

その、「やり手だが堕落しやすく・・・・・」の主な中心人物とは、ユダヤ系アメリカ人にして、1970年代にニューヨーク州の小さなユースサッカー協会のボランティア事務局から、20数年後には北中米カリブ海サッカー連盟選出のFIFA理事のポストに就くまでに成り上がった、チャック・ブレイザーが一人。

その風貌が「私腹を肥やした」というのは、この人のことを言うのではないかと思うような感じなので、写真をつけておきます。真ん中の人は言わずと知れたブラッター前FIFA会長、右の人はフランツ・ベッケンバウアー氏、そして左側がチャック・ブレイザー



もう一人は、そのチャック・ブレイザーの智恵を借りて、北中米カリブ海サッカー連盟を舞台にあらゆる利権を独占的にあやつり、その政治的立場を利用してFIFAの舞台でも副会長として暗躍して、遂には司直の手に落ちたジャック・ワーナー。先ほど2015年に逮捕されたと紹介した人です。

この人も写真をつけておきます。



この二人以外にも法外なリベートや賄賂を受けていた人物として多くの人の名前が出てきますが、このノンフィクションドラマの主人公はこの二人です。

リベートや賄賂をもらった側がいれば、それを出した側もいるわけで、その主要な相手として、南米大陸から北米大陸にかけてのサッカーイベントを巨大な利権行事に仕立てあげることに成功したブラジルのスポーツマーケティング会社「トラフィック・スポーツ社」の創業者、ジョゼ・アビラという人が登場します。

このように、このドラマ、あくまでノンフィクションドラマですが、その主役が南北アメリカ大陸関係者ということで、アメリカの税務・捜査当局が長い間の内偵の末、摘発できたのかもしれません。

本の中でも触れられていましたが、関係者がヨーロッパ大陸の人間の場合には、それぞれの国の法の壁や、捜査当局間の連携の難しさがあり、こうも大規模な摘発はできなかったようです。

世界を揺るがすような、大スキャンダルを暴くのは、やはりアメリカ、そんな思いを強く抱かせるドラマ、捜査の仕方も「そこまでやるのか」と言った徹底ぶりです。

その代表的なものが、捜査の突破口になると目星をつけた容疑者、ここでは、チャック・ブレイザーですが、彼と司法取引することによって捜査協力を求めるというやり方です。日本の捜査ではなかなかお目にかかれない内容です。

せっかくですから2つほど具体的な場面をご紹介しましょう。

まず、チャック・ブレイザーに税務当局特別捜査官のスティーブ・ベリーマンが、司法取引を持ちかける場面。
【「あなたは何年も所得税を申告していませんね。総額数百万ドルの収入源がある証拠をいくつも見つけています。(中略)総合すると、あなたは税犯罪だけで最長30年の実刑に服すことになります。」

ベリーマンは捜査令状に目を通す時間をブレイザーに与えたのち、最後にこう言った。「力を貸していただきたいんです」そして捜査官ふたりはじっとブレイザーを見つめた。この瞬間こそが重要で、ここ数週間はノリスやヘクター(※検察当局の関係者)を交え、延々と出方を論じ合っていた。

このトランプタワー(※いま何かと話題のこのビルにブレイザーのオフィスがある)での対決は、試合の結果を左右するビッグブレーで、ブレイザーの選ぶ道はいずれかひとつだった。ブレイザーがこの取引に応じれば、いかようにも事件を進展させられる。彼がサッカー界の全容を見せてくれるだろう。(中略)これはとてつもなく大きな賭けだった。

やがてブレイザーが長くゆっくりと息を吐き、ベリーマンは体に熱っぽい緊張が走るのを感じた。
「力を貸しますよ」ブレイザーは言った。】
チャック・ブレイザーに究極の選択を迫る場面てす。映画を観ているようです。

次は、チャック・ブレイザーが、当局からの要請で賄賂を送った側の中心人物ジョゼ・アビラに接触し、彼に彼自身の違法行為を語らせて、それを極秘に録音しアビラ逮捕の動かぬ証拠にしようという作業の場面。これを捜査当局は「提供セッション」と呼んでいます。

【録音装置をこっそり身につけたブレイザーは、ロンドンでアビラと落ち合い、(事前に捜査当局と一緒に考えておいた)作り話を持ち出した。

いつものように挨拶を交わすと、ブレイザーはアビラに60万ドルの支払いについてスペイン語で尋ね、その金を最初はウルグアイの銀行から、つぎはパナマの会社から二度にわたって受けとったことも、録音のために忘れずに言い添えた。

そしてアビラに尋ねた。そのことを覚えているか? ひょっとしてその書類を持っていたりしないか? こんなことを尋ねるのは心苦しいが、FIFAの倫理委員であるガルシアから聞き取り調査を受けていて、逃れるにはその書類を見せる必要があるのだと言った。

ふたりは長年の知り合いで、馬も合った。(中略)ところが、どういうつもりなのか、アビラは支払いをしたことを否定し、そちらの頼みを聞く筋合いはないと言い張った。

ブレイザーがなおも食いさがると、この会話を終えたがっていたアビラは、ブラジルに戻ったら調べてみるとようやく約束した。

これはロンドンでブレイザーがおこなった最後の録音で、ベリーマン(税務当局特別捜査官)が段取りにかかわることのできなかったただひとつの録音だった。

四半世紀近くにわたってサッカー役員に賄賂を支払いつづけてきたアビラは、犯罪への関与をにおわせる発言を避けた。】

追いかける方も逃げる方も、 ギリギリの攻防です。

この攻防の主な舞台は、先に書きましたように、南北アメリカ大陸です。しかし、本の中では、2018年ロシアW杯、2022年カタールW杯開催地決定に関する不可解な動きについても取り上げおり、巨大マネーを繰るカタールの大富豪モハメド・ハマムが登場しています。

今回のテーマ「巨大マネーに支配されていくのか、世界のサッカーは」(1)では、カタール、U AEのマネーが席巻していることをご紹介しました。

その動きを見て黙っていないのが、アラブの盟主を自認するサウジアラビアです。いまやサッカー界の利権とマネーの震源地は、アメリカ大陸から完全に中東にシフトしたと言えます。

中東はすべて AFCすなわちアジアサッカー連盟の構成諸国です。したがって、これからのサッカー界における利権と巨大マネーの構造に、好むと好まざるとにかかわらず、我が日本も巻き込まれかねない時代に入ったと考えなければなりません。

それは、つまるところ、2022年W杯が、なぜカタール開催なのか、と言った釈然としないことが、これからもアジアでは平気で起こることを意味しています。

フェアプレーのフラッグの陰では、一体何が起きているのか、容易に窺い知れないということです。

では、また。










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巨大マネーに支配されていくのか、全世界のサッカーは(1)

2018年09月07日 20時42分17秒 | サッカー選手応援
9月4日の書き込みで「イニエスタのフィロソフィー」について語りました。

イニエスタが神戸に脈々と受け継がれるフィロソフィーをもたらし、楽天・三木谷社長の資金力で神戸の戦力が強化されれば、20年後ぐらいには、常勝軍団と呼ばれるクラブとなり、鹿島と覇を競い合う「Jリーグにおける宿命のライバル」と言われるようになるかもしれないと。

その書き込み動機を与えてくれた、スポーツN umber誌960号の、もう一つテーマは「全世界のサッカーを支配するかのような動きを見せている巨大マネー」についてでした。

かつて、私たちはロシアの大富豪アブラモビッチ氏が、イングランド・プレミアリーグのチェルシーを買収し、豊富な資金力で選手をかき集め、まわりを戦々恐々とさせたことを記憶しています。

それ以前は、自国の大富豪がクラブの経営権を握るケースしか知りませんでしたが、縁もゆかりもない外国人が乗り込んでくる時代になったのだと感じたのです。

そして近年、その動きは加速度的に広がっていることをN umber誌はレポートしています。プレミアリーグではマンチェスター・シティの経営権を握るU AEのアブダビ王族、フランスリーグではパリ・サン=ジェルマンを買収した同じ中東のカタールの国営投資会社、イタリア・セリエAではインテルの経営権を握った中国人オーナーといった具合です。

中国人による爆買いとも言える進出ぶりは、セリエA、リーガ・エスパニョーラ、プレミアリーグと、とどまるところを知らない勢いのようです。

彼らは、それぞれの野望を抱き、途方もないマネーを注ぎ込んでサッカーの世界を牛耳ろうとしています。これまでは、欧州サッカーの一部での出来事のように思われていたことが、全世界を巻き込みつつある様相を呈しているようです。

すでに日本のサッカーも無関係ではなくなってきています。例えば横浜マリノス、先ほどあげたマンチェスター・シティとの提携関係を結んでいます。もちろんマリノスのメリットも大きいwinwinの関係ですが、シティの世界戦略に組み込まれていることも事実です。

Jリーグは、まだローカルリーグ扱いで、巨大マネーにとって旨みのない感じですが、そのうち、何がキッカケになるかわかりませんが、どこかの巨大マネーのターゲットにされる日が来るかもしれません。

仮に巨大マネーが入り込んでも、クリーンなビジネスとして日本のサッカーファンに新たな夢を提供するだけなら大歓迎かも知れませんが、そんなことは幻想であり、巨大マネーが支配する世界には必ずと言っていいほど、腐敗、不正、陰謀といった、およそフェアプレーとは無縁の、闇の世界がうごめいています。

次回の書き込みでは、日本語翻訳版が今年7月出版された、アメリカ人ジャーナリスト ケン・ベンシンガー著の「レッドカード 汚職のワールドカップ」で克明に明らかにされた、FIFAとその傘下の各大陸サッカー連盟を舞台にした、驚くべき賄賂の構造についてレポートします。

では、また。
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G大阪の布陣に1人戻ってきただけで、強いガンバに変身

2018年09月07日 20時25分28秒 | サッカー選手応援
9月1日に行われたJリーグ第25節、降格圏に沈むG大阪は、優勝争いに絡んでいる川崎と対戦しました。最近の両チームの出来からして、ガンバに勝ち目なしと思っていましたが2-0で勝ちました。

3日発売のエルゴラッソ紙が、今野泰幸選手の写真を大きく掲載、彼の活躍を報じていましたが、まさに1人戻ってきただけで、強いガンバに変身したことを、まざまざと見せてくれました。

この日のガンバのメンバーをあらためて見ると、とても降格圏に沈む必要のない戦力のように思います。前線に渡邊千真選手が加入したのも大きいですが、何と言っても「コンちゃん」が戻ってきた効果が絶大だと思います。

次の26節、磐田戦が俄然見ものです。磐田は25節、名古屋に6失点と屈辱的な負け方をしていますから、こちらも負けが許されない立場です。

だからといってガンバが、ここで負けては川崎戦に勝った意味がなくなります。まるで、シーズン最終盤のような、ヒリヒリする試合になりそうですか、ここでガンバが勝ち切れれば、名古屋に続いてガンバも、降格圏脱出ロケットに点火されるかもしれません。

コンちゃんこと、今野泰幸選手の復帰によって得た勝利は、そう期待を持たせるだけの価値のあるものだと感じました。

では、また。
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「フィロソフィー」を語るイニエスタ、ついに現れた?鹿島のライバル

2018年09月04日 19時58分59秒 | サッカー選手応援
直近のスポーツNumber誌960号は、その名も「イニエスタ来た!」
イニエスタを獲得した楽天・三木谷社長の戦略を「イニエスタと楽天の野望」と銘打って紹介するとともに、イニエスタへの密着インタビューで、彼が考えていることを紹介しています。

これを読んで、私はジーコが鹿島に植えつけた「ジーコイズム」と言われるクラブのポリシーのもと、他の追随を許さない圧倒的な実績を誇る鹿島アントラーズと、いずれ覇を競い合う宿命のライバルとなるクラブが生まれる可能性を感じました。

実は、この宿命のライバルについて、当ブログでは、いまから5年前になりますが、2013年10月10日の書き込み「NHK-BSドキュメンタリー『宿命のライバル・マドリッドvsバルセロナ』に想う」で、Jリーグにおいて鹿島の宿命のライバルは、どのクラブになるだろうかと投げかけています。

その時あげた「ライバルたり得る条件」について、次のように書いています。
「この先Jリーグで、ナショナルダービーと呼ばれるような関係が生まれる場合、今後20年くらいの中で、鹿島と同程度の実績をあげるチームが出ることが一つの条件になる。しかも、そのチームを強くしたカリスマが出ることも必要だろう」と。

その当時は、磐田と名古屋に可能性を感じているとも付け加えていますが、ここにきて、「ヴィッセル神戸」がその「宿命のライバル」「ナショナルダービークラブ」への道をスタートさせるのではないかという期待感が湧いてきました。

N umber誌でインタビューを担当したサッカーライターの豊福晋氏は、イニエスタが「かつてヨハン・クライフがバルサにアイデアとフィロソフィーをもたらし、それが今ではクラブに根付いている。僕も何かをこのクラブに植え付けたい・・・」という考えを持っていることを聞き出しました。

そして「ヴィッセルにスタイルが築かれるとしたら、それはイニエスタが去った後も時を超えて生き続けることになるかもしれない。(中略)目の前の結果だけではなく、長期的に何かをクラブにもたらすことのできる存在。そうして発足したのがイニエスタ・プロジェクトだった」と書いています。

そうです。ヴィッセル神戸が、この先Jリーグチャンピオンになり、アジア制覇を果たしてF I FAクラブワールドカップでバルセロナと決勝を争うクラブになれば(このバルサとの決勝こそ、楽天・三木谷社長の夢なんだそうです。なにせ両チームともユニフォームにはR akutenの文字が書かれているわけですから、これはもう夢というより、野望ですな)というのが、前提ですが、そこに脈々とイニエスタイズムというフィロソフィーが受け継がれていけば、おそらく20年ぐらい先には、鹿島と神戸2強時代が来るでしょう。

では、また。


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申し訳ないぐらい耐えてくれた「なでしこ」金メダル

2018年09月04日 18時49分21秒 | サッカー選手応援
アジア大会女子サッカー、なでしこジャパンは準々決勝北朝鮮、準決勝韓国、決勝中国を、耐えて、我慢して、粘り強く戦って破り、見事に金メダルに輝きました。

海外組や阪口夢穂選手などを欠いて臨んだ大会ではありましたが、高倉麻子監督の手腕を改めて実感した優勝です。

それにしても、我が日本を取り巻く東アジア情勢をそのまま持ち込んだみたいな3連戦になってしまい、大和なでしこに、本当に申し訳ないぐらい苦しい思いをさせてしまった気がします。

欧州では、かつては隣国同士、不倶戴天の関係にあった歴史を持つ国はいくらでもありますが、いまはEUとして一体の国同士になっています。そういう国同士が欧州選手権を争うわけですから、東アジア4ケ国の状況とは、ずいぶん違っているように思います。

果たして東アジア4ケ国に、そういう時代などくるのだろうかと考えこんでしまいます。

そもそも「日本にだけは絶対負けたくない」という感情をむき出しにして挑んでくる相手と戦うのは、大変なエネルギーを要します。

そりゃ、どこの国も勝負には負けたくないですよ。しかし、そのスポーツ種目の真のライバル関係にある場合なら「あの国にだけは負けたくない」という感情があっても何の不思議もないわけですが、それとは別の感情から挑まれる勝負は、厄介千万です。

それだけに、なでしこジャパンの選手たちには、しなくてもいい苦労をかけている気がして申し訳ないのです。

決勝でも、身体能力で勝る中国の波状攻撃に何度もさらされながら、小柄な日本の選手たちが身体を張って守り抜いている試合を見ていて、高倉監督が言っていたように「粘り強く戦う「なでしこ」のDNAが受け継がれている」ことを、つくづく感じました。

形は少し違いましたが、準決勝の韓国戦、決勝の中国戦ともに、試合終了近くなってから決勝点を奪ったのも、なでしこらしい勝ち方でした。

何か、わだかまった関係にある日本と他の3ケ国。いつまで続くかわからないまま、なでしこの選手たちには、これからも頑張って欲しいですし、私は、ずっと申し訳ない気持ちを抱きながら応援していきます。

ては、また。


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アジア大会U-21日本代表、胸を張れる銀メダルです。

2018年09月02日 19時36分15秒 | サッカー選手応援
昨夜、アジア大会サッカー男子決勝が行われました。

宿命の日韓戦、韓国はアジア大会仕様のU-23代表に、プレミアリーグでプレーしているソン・フンミンをオーバーエージで呼びキャプテンマークを託す、金メダル絶対の布陣です。

韓国選手にとって金メダルは、兵役免除につながる道でもあるだけにモチベーションが半端ないわけです。それに「日本だけには絶対負けたくない」という「だけには」要因も重なり、U-21
日本代表にとっては、勝てる要素が極めて少ない対戦になりました。

しかし、試合は立派でした。攻勢攻勢の韓国に対して全員が体を張った守備を続け、少ないチャンスを果敢に攻めていました。いつ点をとられてもおかしくない試合を、とうとう延長戦にまでもっていったところで、十分彼らは戦えたと思います。

そして延長に入り2点をとられましたが、それでもなお戦いの意欲を落とすことなく1点を返し同点のチャンスも作りました。

1-2になってからの韓国は、同点にされたら・・・と、さぞ恐怖感を抱いたことでしょう。結果はそのままタイムアップでしたが、U-21日本代表、胸を張れる銀メダルです。

彼らが得た経験値は大変なものです。しかも海外組や何人かのケガ人でメンバーがベストとは言えない中での経験です。チーム力の底上げという成果は何物にも代えがたいものです。

彼ら自身も感じていることでしょう。この銀メダルは、これから足りないものを加えて東京で金メダルをとるための通行証のようなものだと。

それにしても、彼らの足元の技術の高さは半端ない感じがします。韓国の選手たちの強いプレッシャーの中で素早い判断を確かなものとする足元の技術です。DFから最前線までビルドアップの繋ぎが、U-23代表の韓国相手に、まったくひけを取らないレベルの高さです。

ロシアW杯のあと、西野監督が退任することになった会見で話していました。「日本のアンダー世代は、大変な才能に溢れています。すごい可能性を持っています」と。

私は、この韓国戦を見ながら、あの西野監督の言葉を思い出しました。「こりゃすごいわ、次のカタールまでに、どんだけ多くの才能が台頭してくるか」と。

今回の選手たちの中からフル代表に何人か招集される日が来るのも、そう遠くないのかも知れません。堂安選手や富安選手たちの世代だそうですから、五輪後には大挙してフル代表を占めるようになるかも知れません。

2000年シドニー五輪で中核を成したゴールデンエイジ世代が、2002年W杯メンバーに大挙引き上げられた時を思い出します。早いもので、あれから20年という周期になります。

あの時の1999年ワールドユース準優勝と今回のアジア大会銀メダルが重なるような気がします。韓国との決勝戦は、それだけの価値のある試合だったと思います。

では、また。



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