「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

最近、「ビバ!サッカー」な番組と記事に出会いました。

2012年08月01日 16時30分19秒 | インポート

私がサッカー大好きな理由の一つに、番組や記事に、とても楽しいものを見つける喜びがあります。

最近、立て続けに2つありました。

一つは、サッカーマガジン1413号、2012.8.7号、香川選手が表紙のものです。これに「月イチ連載」というのが載っています。これまで、ほとんど意識していなかったのですが、「お笑い芸人 土田晃之の やっぱ14番でしょう」というタイトルがついていますので、彼が月イチで持っているコーナーでしょうか。

今回、惹かれるように読んだのは、写真に名波選手(ポロシャツ姿でも何故か「選手」とつけてしまいます)があり、キャプションに「名波くんの解説は視点がスゴすぎる。ピッチサイドだけでなくスタジオでも是非」とあったので、本文に引き込まれたのです。

読んでいくうち、抱腹絶倒、面白かったのと、ある企画が浮かんだのです。

土田クンはホントに愛すべきサッカー小僧だと思います。今月のお題ということで「解説者」にまつわる彼・土田クンのいろいろな話が紹介されていて、解説者・名波さんを高く評価しているわけです。

フジから始まって、テレ朝、TBSと、解説者陣をなで切りにしていき、いつの間にかアナウンサーに飛んでいき、さらには番組づくりにも及んでいきます。このページの話は活字で読みながら番組を思い出し、想像しながら抱腹絶倒しているわけですが、思ったのは、こういうトークをぜひ、当サッカー文化フォーラムの公開スタジオでやりたいのです。話しに出てくる番組、解説者、アナウンサーの話しぶりをスクリーンに映して、観客に見ていただきながら土田クンに話してもらいたい、さぞ楽しいトークになるに違いありません。

連載しているマガジンさんも、そういう企画につなげれば二度おいしい事業になるのですが。いずれは、我が「サッカー文化フォーラム」が、その担い手になろうと思うのです。

もう一つ楽しかったもの、番組ですが、7月30日深夜放送のスパサカ、余談ですが、長寿番組ですねぇ、先週、1994年11~12月頃の「スーパーサッカー」を何本かHDD化しました。番組が始まったのが1993年秋だと思いますので、番組スタートから1年後ぐらいでしようか。

ナビゲーターは、ご存じ生島ヒロシさんと三井ゆりさん、それにTBSアナウンサーの清水大輔さんというメンバーでした。この頃「サッカー向上委員会」なる企画があって、越前屋俵太さんという珍妙ないでたちの人が、テーマに関連したあちこちに出向いて仕上げていく企画でした。

話が横道にそれましたが、現在のナビゲーターは加藤浩次(なぜか「さん付け」しないでしまいますね)、7月30日に呼んだ人が、ドラゴン久保こと、久保竜彦選手、この口数の少ないピュアなサッカーマンを、加藤浩次は楽しそうにいじくりまわして、ますます久保選手の素晴らしいキャラクターが浮き彫りになっていきます。

久保選手が、ただのいじられキャラだけで呼ばれたのではなく、本当に惜しまれて現役を離れる素晴らしいサッカー選手だったからです。そのギャップが何とも嬉しい「ビバ!サッカー」と叫びたくなる所以です。

久保選手を挟んで加藤さんともう一人、小倉隆史さんがいるわけですが、彼も元祖・モンスターと呼ばれたサッカー選手です。元モンスターと前モンスターが揃いましたが、「前」のピュアさに比べ「元」はなんと世間慣れしてしまったというか・・・。それにしても久保選手、当サッカー文化フォーラムでも、記録にこそ残らないかも知れないが「記憶に残る名選手」として間違いなく顕彰したい選手なので、いじくりたいという加藤の不純な動機ではないかと思いつつも、呼んでくれた「スパサカ」をあらためて称賛したいと思います。

ちなみに久保選手は、サッカーマガジン1412号 2012.7.31号にも「さらばJ」というコーナーに登場している。こちらはいたって真面目なページ作りになっています。さらにいえば、番組も記事も、久保選手の中学1年のお嬢さんが、なでしこを目指せる逸材だと紹介していました。楽しみです。

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五輪サッカー男女、いよいよ次が関門になりましたね。

2012年08月01日 15時29分44秒 | インポート

前回書き込みから半月も空けてしまいました。前回も申しあげましたが、神奈川県の倉庫撤収と、セカンドハウスの取得の関係に忙殺され、なかなか書き込み時間がとれませんでした。

しかし、ビデオテープからHDDへの変換作業だけは途切れさせないようにして、昨日まで73本です。8月13日が丸2ケ月ですので、そこまでに100本に到達したいと思います。

倉庫撤収作業やHDD変換作業していて思ったのですが、1986年以降、日本の社会でサッカーの意味合いが年々高まってきましたが、一つのピークを超えて、いまは高原状のなだらかな時期にあるのではないかということです。

日本代表を頂点にした日本サッカーのレベルは、いまなお進化を続け、右肩上がりで上昇を続けていることは間違いないのですが、社会全体におけるサッカーへの見方というのは、1996年に日韓ワールドカップ共催が決まり、1997年にワールドカップ初出場を成し遂げたあたりから2002年のワールドカップ終了まで続いた数年間の熱気と興奮が一つのピーク時期であり、その後は、その時期と同程度の盛り上がりはあっても、それ以上の熱気・興奮にはなっていないと感じるのです。

私はテレビ放送、スポーツ新聞、サッカー雑誌・スポーツ専門誌をつぶさに見続けてきた皮膚感というか、肌で感じるものがあるのですが、それらの情報量という物差しで測ってみても、あの5年間ぐらい、とりわけ2000年に入ってから2002年までの3年間は、膨大な情報が吐きだされていたことになります。

おそらく、これからデジタル処理によって、定量的に示すことができると思いますが、やはり2002年が一つのピークになっていると思います。

ただ、昨年から、なでしこジャパンの活躍によって新たな情報ファクターが加わりましたから、今回のロンドン五輪のように男女とも快進撃ということになれば、次のピークを作る可能性を感じています。

そのロンドン五輪サッカー、なでしこのほうは準々決勝の相手がマルタ率いるブラジルに決まり、男子は今夜、準々決勝の相手が決まる第3戦を迎えます。

なでしこはブラジルを撃破できればメダル獲得に自信が持てるでしょうし、男子も今夜のホンジュラス戦でグループリーグ1位通過できれば、準々決勝の対戦相手に自信が持てますので、共に次の試合が関門となります。

それにしても男子への評価は急上昇ですね。ここまででも立派です。なんといってもスペインを破り、それを次の試合で無駄にせず連勝してグループリーグ突破を決めたのですから、歴史的快挙です。彼らはまだまだ満足せず、上を目指していますので頼もしい限りです。

最初からメダルの期待を背負い、やや気の毒な立場にたった、なでしこジャパンもプレッシャーをはねのけ、ここまで来ています。なんとかブラジルに勝たせてあげたい、皆んなで「気」をイギリスまで届けたいものです。

五輪が始まってから少し情報が薄くなってしまいましたが、香川真司選手のマンチェスター・Uでのスタートもビッグニュースですね。

10日ほど前は、香川真司選手のことを書きたかったのですが、落ち着きましたら、あらためて詳しく書こうと思います。視点は、やはり、中学生に入った段階で単身親元を離れて武者修行に出ようとする、その自立心、向上心の強さですね。

これまでのサッカー選手で、香川選手と似たようなチャレンジをして成功した選手に、高校1年の時にブラジルにわたったカズ選手がいます。

もちろん、同様のチャレンジを試みたサッカー少年も多いと思うのですが、いろいろな要因で香川選手、カズ選手のようにはなれなかったわけです。

そこを掘り下げてみたいと思っているのです。皆さんのご意見もお聞かせいただければと思います。お待ちしています。

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