4月1日にソウルで行われたアジアチャンピオンズリーグ、FCソウルvs広島戦での、主審の常軌を逸した判定について、すでにネットで数多くの議論がなされている。
アジアの審判の中に、まだまだ、そういうことを平気でやる人間がいるということを、今更ながら実感したわけだが、そういう結果を受け入れなければならないというのも、おかしな話しだ。
今回の判定は、おかしいとか、微妙なとか、疑惑とかの問題ではなく、主審がそのように試合結果を作ったのであり、証拠があるかとか、何を根拠にという議論に答える必要が全くないものだ。
広島の監督・選手は紳士的にふるまったとか、広島がチームとして抗議文を提出したとか、その後の様子も聞こえてくるが、要は、それで一件落着ではない。
AFCは、何も対策をとらないか、もしくは、木で鼻をくくったような対応で終わることになるが、それでも一件落着ではない。
なぜなら、AFCでは、これからも、こういうことは起きるのであり、それについて、どうしていくか腹をくくらないと先に進めないのだ。
これからも、こういうことがあるだろうけれど「仕方がない」というスタンスをとるのか、次にこういうことが起きたら、ただでは済まないと腹をくくるのか、ただでは済まないとはどういうことなのか示さないと先には進めない。
「仕方がない」というスタンスをとるなら、それは日本サッカーの自殺行為に他ならない。世界標準から置いていかれ、世界のサッカーから本音では相手にされない道を選ぶということだ。
先日、Jリーグが浦和の横断幕問題で重い決断を迫られたように、今回、実はJFAも決断を迫られている。ただ、おそらく当事者たちは、そのような問題意識はないだろう。この恐ろしく鈍感な感性のツケが、この先10年後、20年後に回ってくる。
どの世界のリーダーたちも、自分たちの現在の対応が将来に禍根を残したりしないかという洞察力で、自分の組織を率いている。いまを凌ぐことだけに汲々として、その場しのぎ、問題の先送りに終始していると、自分たちは何の痛痒も感じることなく任期を終えるかもしれないが、10年後、20年後に引き継いだ人たちは、その時になって苦労する。
少なくとも、JFAが何も行動を起こさないという選択肢はあり得ないし、おざなりの行動では、それこそ「放置したのは加担したことと同じととられても仕方がない」ということを肝に銘ずるべきである。
JFAの人たちは、何を言われているのかわかっていると思うが、要はAFCの枢要を占めて、こんな審判がはびこる状況を変えない限り、ことは落着しない。AFCの枢要を占める話は、今日明日の話ではなく、10年、20年かかる話だ。10年、20年かかることをやっていくには、よほど戦略的に、複合・重層的に手を打っていかないとできない。なにぶんジャブジャブとしたオイルマネーがあるわけではないから・・・。
しかし、オイルマネーがないということは、極めて清廉な、世界から尊敬を集める形でしかできない、逆に、そうやれば世界からリスペクトされる。日本は、好むと好まざると、そういう道しか選べない宿命を背負っている。
2002年ワールドカップでの韓国がらみの試合での審判の判定が、FIFA90年記念DVDの「問題な10の事件」の中に4つも入ってしまうほどのことを、日本は決してできない。日本は清廉さの王道を行くしかない。
世界は、歩みはのろいかも知れないが清廉であらねばならないという価値に向かっている。JFAはその担い手として果断に行動すべきだ。