4ケ月以上ものブランクを経て、書き込みに戻ってきました。この数か月、書き込みに対するエネルギーが減衰していたことは確かです。
皆さんもおわかりのとおり、「書く」という行為は、書きたいテーマとか動機が湧いて、書きたい内容をある程度組立てて、内容に正確さを期すため事実関係などを調べ直したりとか、いろいろなプロセスを経て「書く」という作業がスタートします。
ですから、ある程度のエネルギーを費やさないと「書き終える」ところまで到達しないものです。
この数か月のあいだにも、書きたいテーマや動機は、いろいろとあって、それを走り書きしておいた紙切れは何枚かあります。
ところが、内容の組立てとか、必要な下調べができず、いつの間にか時間が過ぎてしまったというのが実情です。
それだけ、日常の生きていくことに追われている結果でもありますが、日常に追われていながらも、時間を割いて「書き込み」作業をするという、以前ならやれていたことが、少しづつ出来なくなっている、つまりエネルギーが減衰している自分を感じているのです。
久しぶりに書き込んで、何を言うのかと思ったら、やや言い訳めいたことで申し訳ありません。
本題に入りたいと思います。
うまい具合に前回の書き込み(と言っても1月6日のものですが・・)で「ロシアW杯に向けて日本代表は・・・。でも心は2022W杯アジア予選の心配。」というタイトルでした。
つまりハリル監督で、このチームをグループリーグ突破に導くことは、もう期待しないで、次のW杯代表監督のことを早いうちから考えてください、という趣旨でした。
ハリル監督にはもう期待していないとは言っても、誰かに変えてどうにかして、という希望も実は持っていませんでした。何人かのジャーナリストが具体的な時期を指摘しているとおり、変えるなら、もっと早い時期であるべきだと思っていたからです。
したがって、JFA・田嶋幸三会長が、どんな理由を並べても説得力はありませんし、どうせ本音を言えない別の要因で決めたことでしょう、と思っています。
いわば、説明のつかない時期・理由での監督解任ですから、よく考えてみれば大問題の事件なのですが、今のところ、それほどの問題には発展しそうにない様子です。
このことについて、宇都宮徹壱氏が興味深い見解を書いています。SportsNaviに本日投稿された「突然奪われたW杯での楽しみ ハリル監督の電撃解任は何をもたらすか 」を、お読みください。
宇都宮氏は「今回「反田嶋会長デモ」が起こることはないだろう。確かに、怒っている人がかなりいるのは事実。しかし一方で、多くのサッカーファンはJFAに対して深い諦念を抱いている。そして何より、ゼロ年代と決定的に異なるのは、もはや日本のサッカーファンは「日本代表に依存する必要がなくなった」という事実である。なぜなら彼らは、日本代表よりもレベルの高い欧州フットボールや、日本代表よりも身近でシンパシーが感じられるJリーグを存分に楽しんでいるからだ。」と書いています。
ここで言う「ゼロ年代」というのは、2000年代、今から10数年前のサッカーファンという意味です。
宇都宮氏はコラムをこう締めくくっています。
「もちろん欧州フットボールもJリーグも、ゼロ年代以前から存在していた。ただし当時は日本代表が、それらの上位に君臨していたのである。しかし昨今、サッカーファンの嗜好は多様化し、日本代表のバリューは相対的に低下している。もちろん「代表ファン」は一定数存在するが、かつてほど熱狂的であるとは言い難い。今回の電撃解任の背景には、代表人気にすがる人々の焦燥があったと見るのが自然だろう。ただし決断の対価として、無関心層がさらに増大することは覚悟しなければなるまい。愛の反対は憎しみではない。無関心である。」
つまり、協会に対する痛烈な警鐘です。
私の冷めた気分も「JFAに対する深い諦念」から来ていると言っていいと思います。
最後に、後任となる西野監督について触れておきたいと思います。本来ならハリル監督を支え、十分力を発揮できるようサポートすべき立場の西野さんが登板することに異論を唱える向きは多いと思います。
西野さんも、そんなことは百も承知で引き受けたと思います。いわば選択肢がない中での指名ですから、岡田さんが指名された1997年当時と同じでしょう。
西野さんの就任によってもたらされるべき効果はただ一つ、1997年当時と同じ、危機感をチーム全体が共有して一体感が最大限まで醸成されることでしょう。
そういう意味で、日本代表は歴史に学べるだけの経験を積んでいることが財産です。劇的にチームが変わったと思えるような姿になることを期待して、ハリル監督電撃解任、西野監督就任という出来事を総括したいと思います。
では、また。
皆さんもおわかりのとおり、「書く」という行為は、書きたいテーマとか動機が湧いて、書きたい内容をある程度組立てて、内容に正確さを期すため事実関係などを調べ直したりとか、いろいろなプロセスを経て「書く」という作業がスタートします。
ですから、ある程度のエネルギーを費やさないと「書き終える」ところまで到達しないものです。
この数か月のあいだにも、書きたいテーマや動機は、いろいろとあって、それを走り書きしておいた紙切れは何枚かあります。
ところが、内容の組立てとか、必要な下調べができず、いつの間にか時間が過ぎてしまったというのが実情です。
それだけ、日常の生きていくことに追われている結果でもありますが、日常に追われていながらも、時間を割いて「書き込み」作業をするという、以前ならやれていたことが、少しづつ出来なくなっている、つまりエネルギーが減衰している自分を感じているのです。
久しぶりに書き込んで、何を言うのかと思ったら、やや言い訳めいたことで申し訳ありません。
本題に入りたいと思います。
うまい具合に前回の書き込み(と言っても1月6日のものですが・・)で「ロシアW杯に向けて日本代表は・・・。でも心は2022W杯アジア予選の心配。」というタイトルでした。
つまりハリル監督で、このチームをグループリーグ突破に導くことは、もう期待しないで、次のW杯代表監督のことを早いうちから考えてください、という趣旨でした。
ハリル監督にはもう期待していないとは言っても、誰かに変えてどうにかして、という希望も実は持っていませんでした。何人かのジャーナリストが具体的な時期を指摘しているとおり、変えるなら、もっと早い時期であるべきだと思っていたからです。
したがって、JFA・田嶋幸三会長が、どんな理由を並べても説得力はありませんし、どうせ本音を言えない別の要因で決めたことでしょう、と思っています。
いわば、説明のつかない時期・理由での監督解任ですから、よく考えてみれば大問題の事件なのですが、今のところ、それほどの問題には発展しそうにない様子です。
このことについて、宇都宮徹壱氏が興味深い見解を書いています。SportsNaviに本日投稿された「突然奪われたW杯での楽しみ ハリル監督の電撃解任は何をもたらすか 」を、お読みください。
宇都宮氏は「今回「反田嶋会長デモ」が起こることはないだろう。確かに、怒っている人がかなりいるのは事実。しかし一方で、多くのサッカーファンはJFAに対して深い諦念を抱いている。そして何より、ゼロ年代と決定的に異なるのは、もはや日本のサッカーファンは「日本代表に依存する必要がなくなった」という事実である。なぜなら彼らは、日本代表よりもレベルの高い欧州フットボールや、日本代表よりも身近でシンパシーが感じられるJリーグを存分に楽しんでいるからだ。」と書いています。
ここで言う「ゼロ年代」というのは、2000年代、今から10数年前のサッカーファンという意味です。
宇都宮氏はコラムをこう締めくくっています。
「もちろん欧州フットボールもJリーグも、ゼロ年代以前から存在していた。ただし当時は日本代表が、それらの上位に君臨していたのである。しかし昨今、サッカーファンの嗜好は多様化し、日本代表のバリューは相対的に低下している。もちろん「代表ファン」は一定数存在するが、かつてほど熱狂的であるとは言い難い。今回の電撃解任の背景には、代表人気にすがる人々の焦燥があったと見るのが自然だろう。ただし決断の対価として、無関心層がさらに増大することは覚悟しなければなるまい。愛の反対は憎しみではない。無関心である。」
つまり、協会に対する痛烈な警鐘です。
私の冷めた気分も「JFAに対する深い諦念」から来ていると言っていいと思います。
最後に、後任となる西野監督について触れておきたいと思います。本来ならハリル監督を支え、十分力を発揮できるようサポートすべき立場の西野さんが登板することに異論を唱える向きは多いと思います。
西野さんも、そんなことは百も承知で引き受けたと思います。いわば選択肢がない中での指名ですから、岡田さんが指名された1997年当時と同じでしょう。
西野さんの就任によってもたらされるべき効果はただ一つ、1997年当時と同じ、危機感をチーム全体が共有して一体感が最大限まで醸成されることでしょう。
そういう意味で、日本代表は歴史に学べるだけの経験を積んでいることが財産です。劇的にチームが変わったと思えるような姿になることを期待して、ハリル監督電撃解任、西野監督就任という出来事を総括したいと思います。
では、また。