前回の書き込みで「日本がW杯で優勝するようになる条件、二人の指導者が語る共通のキーワード「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」」と申し上げました。
書き込みの最後近くでは「サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうです」と付け加えましたが、そもそも、公園でのサッカーが日常風景になれば、それだけで「サッカー文化が根付いた」と言えるのか、についてもよく考えてみる必要がありそうです。
といいますのは、ヨーロッパにしても南米にしても、スポーツ全体を見渡した場合、他のスポーツが「サッカー」に肩を並べている、もしくはそれ以上になっている状況が、あまりないということも考慮していく必要がありそうだからです。
それを考えると、ヨーロッパや南米は、日本とずいぶん違う事情ではないかという気がします。
日本には昔から「相撲」という、まさしく日本の文化の一つと言えるスポーツがあった他、野球も戦前からの長い積み上げで、すっかり日本に定着しており、文化といえるレベルのものだと思います。
もちろんヨーロッパでもイギリスならクリケット、フランスからロード自転車というように国によって、サッカーに勝るとも劣らない人気スポーツがあるようですが、大きなスタジアムに大勢の観客を集めて、テレビ放送なども含めて圧倒的なマーケットを形成しているのは、やはり「サッカー」であり、それは南米でも同じです。
日本ではメディアの露出を含めた国民的スポーツに位置付けられているのは「プロ野球」であり、そこから巣立っている大谷翔平選手をはじめとしたメジャーリーガーも、サッカーで欧州に活躍の場を求めている日本人選手たちとは、注目度がまるで違う状況になっています。
大谷翔平選手が世界ナンバーワンの地位に登り詰めている活躍は喜ばしく誇らしい限りですが、サッカーと比べた場合の世界ナンバーワンの意味合いは、少し違うのではという気もしないではありません。
やはり世界最大のプレー人口と世界最大の祭典を持つサッカーの世界や、そしてヨーロッパの各国リーグチャンピオンが集結する欧州チャンピオンズリーグなどの規模感、マーケット感を見れば、サッカーの世界でナンバーワンを目指すことも重みは断然違うように思いますが、日本人のメンタリティはそうではないように思います。
冒頭申し上げた「公園でのサッカーが日常風景にしていく取り組み」は連綿と続けられると思いますが、サッカーに携わる人々の飽くなき努力が、なかなか実を結ばない、何かが引っ掛かるのではないかと思うのです。
その要因として、日本人の「スポーツ全体の中でサッカーをみるメンタリティ」にあるように思うのです。
ですから、サッカーをプレーで楽しむ人々の裾野を広げる努力を後押しする形で、日本人のサッカーに注目するメンタリティも高めていくことも重要なのではないかという気がします。
サッカーに注目するメンタリティを高めるって、どういうことかを考えてみます。
わかりやすいのが、昨年11~12月に行われた2022年カタールW杯と、そのあと年明けすぐに行われたWBC、すなわちワールドベースボールクラシック、これに対する日本人の熱狂度の差を見ると、日本人のメンタリティが、よくわかると思います。
昨年11~12月のカタールW杯で、日本代表はグループリーグでドイツ、スペインといったW杯優勝経験国を撃破するなど歴史的な活躍でしたが、年が明けてワールドベースボールクラシック(WBC)が始まるとテレビも新聞もネットも連日連夜、WBC日本代表の活躍を取り上げ、まさにお祭り騒ぎのレベルに達しました。
そして日本が劇的な形で優勝を果たしましたから、日本列島の興奮は頂点に達しました。
2023年はその後も大谷選手のメジャーリーグでの活躍、国内プロ野球では阪神タイガースの日本一などが続き、まさに野球の1年になりました。
こうしたメディアの扱いに乗せられた日本人のメンタリティというものは、そう簡単にサッカーに向けることが難しいと痛感した次第です。
「サッカーも野球のように強くなれば注目度はあがるよ」という意見もあるかも知れませんが、これも鶏が先か卵が先かのような議論になりそうです。
かつて2002年日韓W杯で、私たちは「サッカーを愛する人間」であることの喜びを、これでもか、これでもかというほど味わいました。メディアの扱いは、まさにサッカー一色だったのですから。当時のプロ野球関係者をはじめ他のスポーツの多くの人たちは、サッカー、サッカーの毎日に無力感を味わったに違いありません。
それほどメディアの扱いによって、日本人のメンタリティは動かされていたように思います。あの大会に先立つこと4年前、とうとう日本はフランスW杯で初めてW杯の舞台に立ちました。そこに至るまでの苦難も道も日本中の人たちが知っていますから、それだけ厳しいW杯の舞台が日本にやってくるとなれば、メディアも別格の扱いだったと思います。
今年初めのワールドベースクラシックのメディアの扱い、ニュースやスポーツ系番組はもちろんのこと、朝、昼のワイドショー系番組、スポーツ紙なども含めて日本列島WBC一色の状況をみて、あの、2002年日韓W杯の期間を思い出しました。
サッカー日本代表は、その後も24年間、7回連続でW杯連続出場を続け、2002年をはじめ4度もグループリーグを突破してますが、多くの日本人のメンタリティは「まだ、そこまでだよね」ということになるのでしょうか。
そこから一つ勝ち上がることがどれだけ難しいことか、2002年までの苦難の歴史を知っていれば想像がつくのですが、それはサッカーの世界を知っている人間だけの話で、多くの日本人には関心の薄いことなのかも知れません。
サッカーが、世界の舞台で結果を出せばメディアの注目も集め日本人のメンタリティが変化するのか、あるいは、サッカーという地球上最大のスポーツにメディアも日本人のメンタリティも関心を示してくれればおのずと結果もついてくるのか、これまた鶏が先か卵が先かのような問答になりそうです。
ただ一つ確かなことは、欧州や南米の国の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティと日本の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティには明らかな違いがあり、「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」という欧州や南米の国で普通に見られる風景を、日本で実現させるのは、そう簡単なことではないと思います。
日本がW杯初出場まで68年もの歳月を要したように、初出場から優勝までも、それぐらいの苦難の道になるであろうと肝に銘じて、サッカーを愛する人の輪を広げ裾野を広げ、親子・孫の3世代にわたってサッカーを愛する人たちを増やしていくんだという、息の長い時間軸で取り組むことにしようではありませんか。
「W杯優勝」が先でも「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景」が先でもいいではありませんか。できるだけ早く、そういう喜びが到来するように、私たちは、ただ、ただ頑張りましょう。
こうやって語り合い、志の輪を広げながら・・・。
書き込みの最後近くでは「サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうです」と付け加えましたが、そもそも、公園でのサッカーが日常風景になれば、それだけで「サッカー文化が根付いた」と言えるのか、についてもよく考えてみる必要がありそうです。
といいますのは、ヨーロッパにしても南米にしても、スポーツ全体を見渡した場合、他のスポーツが「サッカー」に肩を並べている、もしくはそれ以上になっている状況が、あまりないということも考慮していく必要がありそうだからです。
それを考えると、ヨーロッパや南米は、日本とずいぶん違う事情ではないかという気がします。
日本には昔から「相撲」という、まさしく日本の文化の一つと言えるスポーツがあった他、野球も戦前からの長い積み上げで、すっかり日本に定着しており、文化といえるレベルのものだと思います。
もちろんヨーロッパでもイギリスならクリケット、フランスからロード自転車というように国によって、サッカーに勝るとも劣らない人気スポーツがあるようですが、大きなスタジアムに大勢の観客を集めて、テレビ放送なども含めて圧倒的なマーケットを形成しているのは、やはり「サッカー」であり、それは南米でも同じです。
日本ではメディアの露出を含めた国民的スポーツに位置付けられているのは「プロ野球」であり、そこから巣立っている大谷翔平選手をはじめとしたメジャーリーガーも、サッカーで欧州に活躍の場を求めている日本人選手たちとは、注目度がまるで違う状況になっています。
大谷翔平選手が世界ナンバーワンの地位に登り詰めている活躍は喜ばしく誇らしい限りですが、サッカーと比べた場合の世界ナンバーワンの意味合いは、少し違うのではという気もしないではありません。
やはり世界最大のプレー人口と世界最大の祭典を持つサッカーの世界や、そしてヨーロッパの各国リーグチャンピオンが集結する欧州チャンピオンズリーグなどの規模感、マーケット感を見れば、サッカーの世界でナンバーワンを目指すことも重みは断然違うように思いますが、日本人のメンタリティはそうではないように思います。
冒頭申し上げた「公園でのサッカーが日常風景にしていく取り組み」は連綿と続けられると思いますが、サッカーに携わる人々の飽くなき努力が、なかなか実を結ばない、何かが引っ掛かるのではないかと思うのです。
その要因として、日本人の「スポーツ全体の中でサッカーをみるメンタリティ」にあるように思うのです。
ですから、サッカーをプレーで楽しむ人々の裾野を広げる努力を後押しする形で、日本人のサッカーに注目するメンタリティも高めていくことも重要なのではないかという気がします。
サッカーに注目するメンタリティを高めるって、どういうことかを考えてみます。
わかりやすいのが、昨年11~12月に行われた2022年カタールW杯と、そのあと年明けすぐに行われたWBC、すなわちワールドベースボールクラシック、これに対する日本人の熱狂度の差を見ると、日本人のメンタリティが、よくわかると思います。
昨年11~12月のカタールW杯で、日本代表はグループリーグでドイツ、スペインといったW杯優勝経験国を撃破するなど歴史的な活躍でしたが、年が明けてワールドベースボールクラシック(WBC)が始まるとテレビも新聞もネットも連日連夜、WBC日本代表の活躍を取り上げ、まさにお祭り騒ぎのレベルに達しました。
そして日本が劇的な形で優勝を果たしましたから、日本列島の興奮は頂点に達しました。
2023年はその後も大谷選手のメジャーリーグでの活躍、国内プロ野球では阪神タイガースの日本一などが続き、まさに野球の1年になりました。
こうしたメディアの扱いに乗せられた日本人のメンタリティというものは、そう簡単にサッカーに向けることが難しいと痛感した次第です。
「サッカーも野球のように強くなれば注目度はあがるよ」という意見もあるかも知れませんが、これも鶏が先か卵が先かのような議論になりそうです。
かつて2002年日韓W杯で、私たちは「サッカーを愛する人間」であることの喜びを、これでもか、これでもかというほど味わいました。メディアの扱いは、まさにサッカー一色だったのですから。当時のプロ野球関係者をはじめ他のスポーツの多くの人たちは、サッカー、サッカーの毎日に無力感を味わったに違いありません。
それほどメディアの扱いによって、日本人のメンタリティは動かされていたように思います。あの大会に先立つこと4年前、とうとう日本はフランスW杯で初めてW杯の舞台に立ちました。そこに至るまでの苦難も道も日本中の人たちが知っていますから、それだけ厳しいW杯の舞台が日本にやってくるとなれば、メディアも別格の扱いだったと思います。
今年初めのワールドベースクラシックのメディアの扱い、ニュースやスポーツ系番組はもちろんのこと、朝、昼のワイドショー系番組、スポーツ紙なども含めて日本列島WBC一色の状況をみて、あの、2002年日韓W杯の期間を思い出しました。
サッカー日本代表は、その後も24年間、7回連続でW杯連続出場を続け、2002年をはじめ4度もグループリーグを突破してますが、多くの日本人のメンタリティは「まだ、そこまでだよね」ということになるのでしょうか。
そこから一つ勝ち上がることがどれだけ難しいことか、2002年までの苦難の歴史を知っていれば想像がつくのですが、それはサッカーの世界を知っている人間だけの話で、多くの日本人には関心の薄いことなのかも知れません。
サッカーが、世界の舞台で結果を出せばメディアの注目も集め日本人のメンタリティが変化するのか、あるいは、サッカーという地球上最大のスポーツにメディアも日本人のメンタリティも関心を示してくれればおのずと結果もついてくるのか、これまた鶏が先か卵が先かのような問答になりそうです。
ただ一つ確かなことは、欧州や南米の国の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティと日本の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティには明らかな違いがあり、「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」という欧州や南米の国で普通に見られる風景を、日本で実現させるのは、そう簡単なことではないと思います。
日本がW杯初出場まで68年もの歳月を要したように、初出場から優勝までも、それぐらいの苦難の道になるであろうと肝に銘じて、サッカーを愛する人の輪を広げ裾野を広げ、親子・孫の3世代にわたってサッカーを愛する人たちを増やしていくんだという、息の長い時間軸で取り組むことにしようではありませんか。
「W杯優勝」が先でも「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景」が先でもいいではありませんか。できるだけ早く、そういう喜びが到来するように、私たちは、ただ、ただ頑張りましょう。
こうやって語り合い、志の輪を広げながら・・・。
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