「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

リオ五輪サッカー代表、輪廻転生の戦士たち

2016年01月27日 19時06分30秒 | サッカー日本代表
リオ五輪サッカーアジア最終予選、1月22日(金)夜の準々決勝イラン戦も、昨夜の準決勝イラク戦もライブテレビ観戦していない。

正直、怖くて見ていられない。という理由からだ。

そして、今朝、5時台のニュース音がかすかに聞こえてきて「彼らはやったのだ」とわかった。
いま選手たちは「勝利の戦士たち」になった。

私自身もこの欄で以前触れたことがあったように、五輪への連続出場記録が途切れる不安を大きくする世代だった。

しかし、彼らは、周囲を不安にさせる以上に自分たちが「悔しい、このままでは終わらない、見返してやる」という気持ちをたぎらせていた。

手倉森監督は「ネアカ」の立ち振る舞いを見せながら、クールブレインで、日本代表として勝てる戦略、それはつまり岡田監督が結果を出してきた「守りを固めて僅差でもなんでも勝利を最優先した戦い方をする」という方針を貫いてきた。

まさに、よくぞブレずに貫いてくれたと感謝したい。

近年「日本らしいサッカー」とか「日本人の特性を前面に出した戦い方」などという議論が盛んだった。けれどもブラジルW杯では、それを標榜したザッケローニ体制で惨敗した。

やはり、いまの日本サッカーの現実は、勝つために守りから入り、少ない手数でもいいから勝利最優先の戦法をとるしかない。

それにしても、なんという因果か。

1993年、カタール・ドーハ、イラク戦、ロスタイム、これらのキーワードで語られるアメリカW杯アジア最終予選の「ドーハの悲劇」、そのキーワードをそっくりあてはめて、裏返す形で勝利したのだ。

1993年生まれの世代によって成し遂げられたこの出来事を「輪廻転生」と呼ばずしてなんと呼ぼうや。

彼らはまさに「ドーハに散った戦士たちの生まれ変わり」として生を受け、23年の時を経て、焦点が「カタール・ドーハ、イラク戦、ロスタイム」にピタリと合った時、勝利する戦士たちだったのだ。

日本のサッカーも20数年の歴史を重ねると、こうした奇跡的な巡りあわせを得るものだ。サッカーを愛する者として、なんと幸福なことか。

リオ五輪代表戦士たち、胸を張って帰ってきて欲しい。

最後に韓国戦という因縁が待ち受けている。すでに本大会出場権を決めているシュチエーションでの韓国戦、これも何度か経験していて、私の中に残っている印象は「勝ったためしがない」というものだ。調べれば、どの世代かは勝ったことがあるのかも知れないが。

手倉森監督は、DFの要、岩波選手をイラク戦で外したが「彼にとって悔しいのは当然だろうし、それを次にぶつけてくれることも計算に入っている」とコメントしたという。つまり監督にとって韓国戦は消化試合でもなんでもなく、しっかりとシナリオを描いている試合のようだ。

韓国戦はライブでテレビ観戦しよう。夜中なので睡魔に負けてしまうかもしれないが・・・。

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