近くにジュンク堂書店があり、9フロアまるごと本、本、本なのでサッカー本もいろいろ取り揃えている。時々、いずれ欲しい本をチェックしておき、予算的になんとかなりそうな時期にまとめ買いしている。
その流れで、仕入れた本のうち2冊はフォトブックだ。
「写蹴」というタイトルの本は、キャプションとして「ファインダー越しに見た歴代サッカー日本代表の素顔」「秘蔵写真と回顧録で振り返る日本サッカー40年の軌跡」とある。
もう1冊は「Jリーグ20周年記念フォトブック」である。文字通りマリノスVSヴェルディの開幕戦でスタートしたJリーグ、1993年シーズンから2011年シーズンまでのさまざまなシーンを切り取ったキメ細かな記録写真集だ。
こうした資料に触れて思うのは、やはり継続性の妙だ。どういうことかというと、例えば「写蹴」、最初の1枚が1970年代初頭の日本代表合宿を取材した時の写真だそうで釜本選手が端のほうに大きく映っている。
まさに40年前の日本サッカーの立ち位置がそのまま切り取られているという感じだ。
カメラマンの今井恭司さん、私は存じ上げないが日本代表のオフィシャルカメラマンというお立場のようなので、かなりの重鎮の方だ。
当プログがめざしているのは、こういう本が出たらすぐ「サッカー文化フォーラム」のギャラリーで出版記念写真展を開くということだ。これだけの写真、サッカー専用のギャラリーを持つ当フォーラムならではの企画だ。
同じ企画があるのかどうかネットで検索してみたが、一番最近で2010年に南アフリカW杯の闘いぶりを紹介した写真展が「日本サッカーミュージアム」で開催されて以来、今井さんがらみのサッカー関連写真展はなさそうだし、予定もないようだ。
もっとも、このフォトブック、初版発売が2010年6月で、まさに南アフリカW杯に合わせての発売だったようだし、それから2年経って入手している当方も気の抜けたビール状態だ。
もう一つ、この本で感じているのが、この本のあとにつながるようなフォトブックをあと40年後でも20年後でも出したいということだ。この本は南アフリカ大会のカメルーン戦までのタームで収められている。
つまり、そこからつながって途切れないフォトストーリーを描きたいのだ。今井さんが、20年後、40年後も続けてくださればサイコーだが、そうでなければ今井さんの思いを受け継いでくれるフォトジャーナリストを探す必要がある。当ブログ、当サッカー文化フォーラムはそういうことも企画実現していきたい。私ができなくなる前にどなたかに引き継ぎたいので、ぜひ多くの方に賛同してご連絡をいただきたい。
同じような思いを持っている本がもう一冊ある。2002年4月に出版された「サッカーを知的に愉しむ」という文庫本だ。光文社出版、林信吾、葛岡智恭共著。
この本が出てからちょうど10年である。この本にはサッカーのことを、さまざまな視点から捉えた、それこそ知的好奇心を満たす魅力がある。しかし10年も経つと、状況の変化によって陳腐化している視点や、別の考察が必要な要素も出てくる。それを10年後の現在地から書き起こして欲しいと思っている。
光文社にハガキを出してみたが、なしのつぶて。時間ばかりがどんどん過ぎていくので、自分で書いてみたいと思っている。要はサッカーの歴史を、いくつかのメディアを通して悠久につなげていきたいのだ。
もう一冊、「Jリーグ20周年記念フォトブック」のほう、これは当方が入れ込んできた20年だけに一コマ、一コマ、蘇ってくるようなショットの連続だ。例えば1993年5月、もはや開幕戦のシーンやジーコのハットトリックぐらいしか取り上げられる機会がなくなったが、実は日本人初ゴールはサンフレッチェの風間八宏、そうだったんだ。ということは開幕戦、マリノスVSヴェルディで得点したのは第一号マイヤーのほか、ネットで確認してみたらマリノスのエバートン、そして得点王になったラモン・ディアス。なにせヴェルディのそうそうたる攻撃陣は封じられたのだ。
そして翌6月、日本人として初のハットトリックはガンバの永島昭浩、そうだったんだ。このように第一号となった選手というのは、その後の選手生活でも
さらに写真ページをめくりながら、次第にJリーグの光と影に思いが及んだ。それはヴェルディとアントラーズのその後である。
ヴェルディとアントラーズ。「文句なしの優等生状態」と「やっとこすっとこブラさがっている状態」とでも言おうか、これがJリーグスタート前の1991年と、20年後の2011年では、全く立場が逆転している。なぜそうなってしまったのか。
あるいは、どこが分岐点だったのか。そう考えた場合、どうしても突き当たるのが1993年のJリーグ初代チャンピオンを決めるチャンピオンシップ、その第二戦である。ジーコのつば吐き事件を生んだPKの判定ジャッジが分岐点になったのではないか。
これは天下の暴論かも知れない。これまで幾度か俎上にのぼった議論なのかも知れない。しかし、6月16日の「世界のサッカー、その光と影」でも述べたようにジャッジをめぐる影は、さまざまな疑念につながる。
いまも「あの年はどうしてもヴェルディの優勝で終わらせたかった勢力がいた」とささやかれているのだ。
しかし「禍福はあざなえる縄のごとし」、そこから両チームの行く末は明らかに逆転した。確かにヴェルディは翌年もJリーグを制覇して連覇したが、まず華を失った。そして世の中の視線が変わった。江川事件以後ダーティイメージを背負った巨人軍と同じ視線を浴びるようになった。
そして、あとはご覧のとおり。川崎から東京へのホームタウン移転でほとんどのサポーターを失い、あげくにはチーム存続の危機にまで陥った。まさに「やっとこすっとこブラさがっている状態」となった。
一方のアントラーズ、1991年、やっとこすっとこ入れてもらったJリーグにおいて20年後には盟主と呼ばれるチームとなった。
すくなくとも「Jリーグファーストトゥエンティ」つまりJリーグ最初の20年は、ヴェルディとアントラーズの2チームが主役だった20年といって間違いない。
次の20年、どうなるか20年後にまたこのブログを読み返しながら「Jリーグセカンドトゥエンティ」を総括してみたい。
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