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「応仁の乱」 は、一種のバブル か?

2008-07-17 00:38:00 | 戦争と平和
 今日(昨夜)のNHK「その時!」は、応仁の乱

 元は、畠山家の跡目相続をめぐる極々内輪の争いだったものが、室町幕府の将軍・足利義政が優柔不断で処理を誤ったため、周辺の大名を巻き込み急速に拡大したという。
 一方では、将軍の跡目相続問題で、足利義政の弟と息子の足利義尚が争うという二重構造となった。

 そういう都を東西に二分する戦(いくさ)を見ていた諸大名がこの機に乗じて成り上がろうと、いわば「バスに乗り遅れるなの群集心理で」(松平キャスターの言葉)京都に集結し、あれよあれよという間に25万人余に膨れ上がったという。
 まさにバブル経済時の日本人の精神行動と同じだ。

 そして、そのバブルもある者の行動を契機に一挙に冷え込み崩壊してしまう。
幕府の敵側の大名とされていた大内氏が日野富子に大金をワイロとして渡して、領地も安堵され褒賞まで得て、自らの領地に帰国したからである。
 これを見た諸大名が続々と帰国したという。
 番組では、「一夜にして京都から兵士は居なくなった」と伝える当時の文を紹介している。 もっとも「たった一日で」居なくなるとは思えないが、印象深く表現したのであろう。

 かくして戦争バブルは崩壊したが、その火の子はあちこちにくすぶり、第二の戦争バブル「戦国時代」に突入するのである。

 番組では、大名の傭兵となった農民や都市住民出身の足軽が、戦争よりも略奪・陵辱の限りを尽くしたことを描き、松平氏は「暴走した民衆は制御できない」ことを強調していた。
 指導的なカリスマなくしては烏合の衆の暴徒と化すことを示している。

 こういう日本人的メンタリティ
※バスに乗り遅れるな!の群集心理・野次馬根性
※暴走し始めたら振り返らず行き着くところまで突き進む
※指導者の考えを一面的に捉え、極端に実行しようとする。
は、今後の日本における社会変革の事業においても充分に配慮すべき重要事項だと思われる。

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NHK番組ページより引用 

 【1477(文明9)年11月20日 応仁の乱、終わる】
 日本史で最も有名な戦いの一つである「応仁の乱」。しかし、その経緯、誰が戦ったのかなど詳細はあまり知られていない。今回はこの戦乱の実相を明らかにする。
この戦いは今から500年あまり前、室町幕府第8代将軍足利義政の治世で起こった。天下を二分し京都を焼き尽くす大乱となり、この結果、戦国時代が始まったといわれる。この合戦が異様だったのは11年間も続いたことであった。当初は一大名家内部の争いに過ぎなかったものが、これほどの大乱になるとは当時誰も予想できなかった。なぜ事態は大乱へ発展したのか、なぜ早期に終わらせることができなかったのか。番組では、リーダーシップを発揮できない将軍・足利義政の動向を中心に「乱」をひもときながら、誰も望まない戦争を誰も止められぬまま、一つの時代と社会が崩壊していく様相を描く。