2014年2月16日(日)
きのうの 『読売新聞』 の長期連載 【歴史検証シリーズ】 は、『特攻』 でした。
読売新聞と雖も、特攻を『美化』したりしている訳ではありません。
新聞一面に収めるシリーズのため、各回厳選された(そこに作為が働くかも)
内容に絞っているので、限られたものにはなりますが、比較的客観的に書かれている
ように見えます。
さて、きょうは束の間の上天気で、気温も昨日より10℃ほど上がって快適な気候。
私の方といえば、今日は 福岡県大刀洗町にある 【大刀洗平和記念館】 に
友人と3人連れで行ってきました。
以前は、篤志家の手で維持管理されていましたが、数年前に筑前町に運営が移管。
現在は、福岡県・筑前町立 【大刀洗平和記念館】 となっています。
内部は、『ゼロ戦の復元機』 (実物です!)以外の撮影は禁止。
館内には、特攻隊員の遺品や、航空機の計器、航空隊員の制服などが展示してあるほか、
特攻隊員が、特攻攻撃への出撃を前にして書いた、遺書や家族への手紙や寄せ書き
などの実物と、それを読み易いように活字にしたパネルが展示されていました。
多くが、大正末期から昭和初期に生まれた人たちで、15歳~25歳以下までの方が
大半です。 若くして生命を掛けさせられた国家の誤った政策に憤りを覚えます。
まだ、日本が大東亜戦争に突入していない頃の航空兵は『狭き門』で競争率は70倍
以上だったそうで、まさにエリート中のエリートしか航空兵にはなれず、それゆえ
多くの少年のあこがれの的だったようです。
また、訓練も長く厳しいもので、それに耐えた者だけが『ゼロ戦乗り』になった
ようです。 従って米軍も恐れるファイターとして名を馳せたとのこと。
しかし、敗戦続きで劣勢になった昭和19年頃には、『促成栽培』で、『志願』すれば
いわば誰でも航空兵に『養成』される状況に。
その『志願』も、そのまま『特攻志願』であり、本心とは別の処で『志願』の装いを
施した強制的なものであったようです。
そして、『養成』の方も、戦闘機として「空中戦」を戦えるような能力は不要で、
離陸さえできれば、後は、敵に向かって突入するだけの訓練になったようです。
終盤では、『赤とんぼ』の名で親しまれた『練習用複葉機』まで、特攻に使われました。
そういう中で、徴兵猶予されていた理系の大学生など、日本の将来を担うべき
数千名の優秀な人材が、『特攻』と云う無残な作戦で失われて行ったのです。
館内では、30分ごとに所要時間16分間ほどの映画と、一日2回の朗読の時間があり、
11時前に到着したので、その両方を連続で視聴することができました。
映画は、靖国神社『遊就館』で上映されている映画とは、全く違って、
昭和20年3月27日に米軍によって決行された『大刀洗大空襲』がテーマです。
朗読の方は、毎回別の話が朗読されるようですが、この日・この時間には、
特攻に出撃する父親に子ども達や家族が『鶴』を折り、その一つ一つに激励やお別れの
言葉を書いた千羽鶴を戦闘機に乗せて出撃・突入すると言う話ですが、多少ながら
特攻を美化したように思われる処もありました。
館内の天井には、米軍B29爆撃機の実物大の枠組みがパイプで構成されていました。
これも撮影できないようでした。
ゼロ戦の復元機と比べれば確かに大きいですが、それでもYS11ほども無いのでは?
と思わせる程度で、思ったより小さい機体でした。
【関連記事】
【大刀洗平和記念館】 (福岡県・筑前町立) を訪れました
【観劇レビュー&旅行記】 - 2014年2月16日(日)
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きのうの 『読売新聞』 の長期連載 【歴史検証シリーズ】 は、『特攻』 でした。
読売新聞と雖も、特攻を『美化』したりしている訳ではありません。
新聞一面に収めるシリーズのため、各回厳選された(そこに作為が働くかも)
内容に絞っているので、限られたものにはなりますが、比較的客観的に書かれている
ように見えます。
さて、きょうは束の間の上天気で、気温も昨日より10℃ほど上がって快適な気候。
私の方といえば、今日は 福岡県大刀洗町にある 【大刀洗平和記念館】 に
友人と3人連れで行ってきました。
以前は、篤志家の手で維持管理されていましたが、数年前に筑前町に運営が移管。
現在は、福岡県・筑前町立 【大刀洗平和記念館】 となっています。
内部は、『ゼロ戦の復元機』 (実物です!)以外の撮影は禁止。
館内には、特攻隊員の遺品や、航空機の計器、航空隊員の制服などが展示してあるほか、
特攻隊員が、特攻攻撃への出撃を前にして書いた、遺書や家族への手紙や寄せ書き
などの実物と、それを読み易いように活字にしたパネルが展示されていました。
多くが、大正末期から昭和初期に生まれた人たちで、15歳~25歳以下までの方が
大半です。 若くして生命を掛けさせられた国家の誤った政策に憤りを覚えます。
まだ、日本が大東亜戦争に突入していない頃の航空兵は『狭き門』で競争率は70倍
以上だったそうで、まさにエリート中のエリートしか航空兵にはなれず、それゆえ
多くの少年のあこがれの的だったようです。
また、訓練も長く厳しいもので、それに耐えた者だけが『ゼロ戦乗り』になった
ようです。 従って米軍も恐れるファイターとして名を馳せたとのこと。
しかし、敗戦続きで劣勢になった昭和19年頃には、『促成栽培』で、『志願』すれば
いわば誰でも航空兵に『養成』される状況に。
その『志願』も、そのまま『特攻志願』であり、本心とは別の処で『志願』の装いを
施した強制的なものであったようです。
そして、『養成』の方も、戦闘機として「空中戦」を戦えるような能力は不要で、
離陸さえできれば、後は、敵に向かって突入するだけの訓練になったようです。
終盤では、『赤とんぼ』の名で親しまれた『練習用複葉機』まで、特攻に使われました。
そういう中で、徴兵猶予されていた理系の大学生など、日本の将来を担うべき
数千名の優秀な人材が、『特攻』と云う無残な作戦で失われて行ったのです。
館内では、30分ごとに所要時間16分間ほどの映画と、一日2回の朗読の時間があり、
11時前に到着したので、その両方を連続で視聴することができました。
映画は、靖国神社『遊就館』で上映されている映画とは、全く違って、
昭和20年3月27日に米軍によって決行された『大刀洗大空襲』がテーマです。
朗読の方は、毎回別の話が朗読されるようですが、この日・この時間には、
特攻に出撃する父親に子ども達や家族が『鶴』を折り、その一つ一つに激励やお別れの
言葉を書いた千羽鶴を戦闘機に乗せて出撃・突入すると言う話ですが、多少ながら
特攻を美化したように思われる処もありました。
館内の天井には、米軍B29爆撃機の実物大の枠組みがパイプで構成されていました。
これも撮影できないようでした。
ゼロ戦の復元機と比べれば確かに大きいですが、それでもYS11ほども無いのでは?
と思わせる程度で、思ったより小さい機体でした。
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