夕方のNHKラジオのニュースショーで、「裁判員制度」を特集していた。
今週は、連続してこの問題を取上げていたようだが、今日の夕方帰宅時の車内でたまたま放送の一部を聞いただけだった。
「裁判員制度」については、ある程度知っていたつもりだが、まさに『つもり』であって、今日の放送の一部だけでも知らなかったことが幾つかあった。
なので、今日の放送で解った「知らなかったこと」を御紹介する。
な~んだ、なんにも知らなかったんじゃないか!と言われるかも知れない。
※「裁判員制度」が開始されるのは、来年2009年の6月からだそうです。
※ 今年2008年の11月頃から、第1回目の「裁判員」選任と通知が15万人程度に
送られるそうです。宝くじより当たる確率は相当高いとのこと。
そして、陪審員制度との決定的違いが解りました。
「陪審員制度」では、12人の陪審員が裁判官とは完全に独立して審議し、有罪・無罪の評決 をし、基本的にはこれが評決結果:判決となるのに対して、
「裁判員制度」では、裁判員6名(一般国民から手順に従って選定)と裁判官3名が一緒に審理し、評決も9名の合意によって(場合によっては多数決で)行う のです。
この差は、制度の本質を全く違える(たがえる)ほど大きい。
アンケートでも「私に他人を裁けるか不安・疑問」という声が高いと聞きます。 確かに、万が一凶悪犯と言えども、畠山鈴香さんのように冤罪の可能性もあり、
『死刑判決』を下したりしたら、一生心に傷が付くでしょう。
裁判官は、その重い任務を職業として選んだのですから、幾ら重い決定であっても判断する責任があります(たとえ、誤った判決となろうとも)。
しかし、この重責を自らその責務を選んでもいない国民に負わせるのは酷と言うものでしょう。
その結果、映画のヘンリー・フォンダのような特別な人はともかく、一般国民は協議の主導権を職業裁判官に依存し、自らの意志で決定を下すことを避けるように行動すると考えられます。
起こる事象は「裁判員制度」の形骸化です。
結局、「裁判の公開性・公平性」の建て前を『担保する』だけの看板倒れに終わり、従前とちっとも変わらない裁判が行われるようになってしまいかねません。
※ それともう一つ重要な問題点は、
一般裁判員の6名がたとえば「無罪」と言う結果を決めても、職業裁判官3名が「有罪」と判断すれば、「無罪」とはならない という、
とんでもない条件付制度 だって事です。
解説によれば、一般裁判員の結論に職業裁判官の内少なくとも一人以上が同じ結論を下した場合にのみ確定することになっているそうです。
これじゃ、職業裁判官3名がが結託すれば、一般裁判員が それぞれの個人の時間と労力を多大に浪費して議論して下した結論を、幾らでも反故にできる
ということになります。
制度そのものが、形骸化する要素を発足前から内在していると言わなければなりません。
このような、非民主的側面は今まで報道されてこなかったのではないでしょうか? お恥ずかしながら、私は初耳でした。
この記事をお読み頂いた皆さん!ご存知でしたか?
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「裁判員制度」については、来年6月の発足まで随時捕捉して行きたいと思います。
最高裁判所開設 「裁判員制度」解説コーナーは、ここをクリック
saiban-in.com
Wikipedia 「裁判員制度」は、ここをクリック
今週は、連続してこの問題を取上げていたようだが、今日の夕方帰宅時の車内でたまたま放送の一部を聞いただけだった。
「裁判員制度」については、ある程度知っていたつもりだが、まさに『つもり』であって、今日の放送の一部だけでも知らなかったことが幾つかあった。
なので、今日の放送で解った「知らなかったこと」を御紹介する。
な~んだ、なんにも知らなかったんじゃないか!と言われるかも知れない。
※「裁判員制度」が開始されるのは、来年2009年の6月からだそうです。
※ 今年2008年の11月頃から、第1回目の「裁判員」選任と通知が15万人程度に
送られるそうです。宝くじより当たる確率は相当高いとのこと。
そして、陪審員制度との決定的違いが解りました。
「陪審員制度」では、12人の陪審員が裁判官とは完全に独立して審議し、有罪・無罪の評決 をし、基本的にはこれが評決結果:判決となるのに対して、
「裁判員制度」では、裁判員6名(一般国民から手順に従って選定)と裁判官3名が一緒に審理し、評決も9名の合意によって(場合によっては多数決で)行う のです。
この差は、制度の本質を全く違える(たがえる)ほど大きい。
アンケートでも「私に他人を裁けるか不安・疑問」という声が高いと聞きます。 確かに、万が一凶悪犯と言えども、畠山鈴香さんのように冤罪の可能性もあり、
『死刑判決』を下したりしたら、一生心に傷が付くでしょう。
裁判官は、その重い任務を職業として選んだのですから、幾ら重い決定であっても判断する責任があります(たとえ、誤った判決となろうとも)。
しかし、この重責を自らその責務を選んでもいない国民に負わせるのは酷と言うものでしょう。
その結果、映画のヘンリー・フォンダのような特別な人はともかく、一般国民は協議の主導権を職業裁判官に依存し、自らの意志で決定を下すことを避けるように行動すると考えられます。
起こる事象は「裁判員制度」の形骸化です。
結局、「裁判の公開性・公平性」の建て前を『担保する』だけの看板倒れに終わり、従前とちっとも変わらない裁判が行われるようになってしまいかねません。
※ それともう一つ重要な問題点は、
一般裁判員の6名がたとえば「無罪」と言う結果を決めても、職業裁判官3名が「有罪」と判断すれば、「無罪」とはならない という、
とんでもない条件付制度 だって事です。
解説によれば、一般裁判員の結論に職業裁判官の内少なくとも一人以上が同じ結論を下した場合にのみ確定することになっているそうです。
これじゃ、職業裁判官3名がが結託すれば、一般裁判員が それぞれの個人の時間と労力を多大に浪費して議論して下した結論を、幾らでも反故にできる
ということになります。
制度そのものが、形骸化する要素を発足前から内在していると言わなければなりません。
このような、非民主的側面は今まで報道されてこなかったのではないでしょうか? お恥ずかしながら、私は初耳でした。
この記事をお読み頂いた皆さん!ご存知でしたか?
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