季語とは、ねー
華女(はなこ)さん、どうして俳句には季語があるのかな。短歌には必要ないんでしょ。
俳句とは季語を表現する文芸だと朝日カルチャーセンターの先生が言っていたわ。昔からそういう決まりで楽しんできた文芸じゃなかったんじゃないかしらね。
そうなんだろうね。でもどうしてそういう決まりができたのか、句労は疑問に思うんだけどね。
そんなこと、どうでもいいんじゃないの。仮にその理由が分かったとしても俳句を作る楽しみが増したりするの。
確かにね。でも俳句に対する理解が深まるような気もするけどね。
句労君。それで何か、分かったの。いつも少し分かるとそんなことを言うじゃない。思わせぶりなことを。
うん。実は少し分かったんだ。句労は歴史が好きだからね。俳句という文芸が誕生してくる中で季語というものができてきたようだ。
句労君の話はいつも長ったらしくて嫌ね。結論をスパって言ってくれればそれでいいから。
そう簡単には言えないよ。芭蕉の時代には俳句のことを俳諧の発句と言っていたでしょ。俳諧とは、どんな文芸をいうのか、知っているでしょ。
「知っているでしょ」とは偉そうに、当たり前でしょ。江戸文学の単位は優だったのよ。
大学の成績なんて当てにならないからね。同好の士が集まって五七五と主賓が詠むと七七と付ける。次の人がまた五七五と詠む。こうして三十六の歌を詠む。これを歌仙をあむといった。この連句を俳諧と言ったんだよね。
いつまでつまらない講釈が続くの。
もう少し我慢してもらえないかな。江戸時代は市民会館のような施設はないからお金持ちの自宅に招かれて句会をした。仲間たちは招かれると中心になっている人が招かれてありがとうございます、と挨拶する。心から感謝しているとその気持ちを五七五の言葉で表現したんだ。それが挨拶句というものだったんだ。
なるほど。それで季語はどうなったの。
五月雨をあつめて早し最上川
という芭蕉の句があるでしょう。この句は初め「五月雨を集めて涼し最上川」と詠んだんだ。なぜ芭蕉はこう詠んだのかというと。最上川河口の町、大石田の船宿の主、高野平右衛門亭に招かれ芭蕉は即興で挨拶句を詠んだ。最上川の川風が涼しゅうございますね、と挨拶したんだ。その挨拶句に亭主は「岸にほたるを繋ぐ舟(ふな)杭(ぐい)」と付け、夜になるとほたるが飛びますよ、とかえした。この即興の証が季語の始まりだったようだよ。招かれたその家で目に付いたものを詠む。
じぁ、どうして「五月雨をあつめて早し最上川」と奥の細道にはあるの。
奥の細道は旅を終えてから一気に書かれたものだから、公にするには「五月雨を集めて涼し最上川」より「五月雨をあつめて早し最上川」のほうが力があると考えたんじゃないかと思う。
俳句という文芸の特徴に即興性があるけれども、この即興性と季語というのは深く結びついている。俳句は座の文学とも言われているけれども、同行の士が集まり心を通わせた遊びから俳句は生まれてきた。