芭蕉と蕪村
句郎 芭蕉と蕪村を比べて正岡子規はなぜ蕪村を芭蕉より高く評価したのかな。
華女 私は芭蕉より蕪村の方に親しめるような気がするわ。だって、蕪村の方が明るい感じがするでしょ。「春の海ひねもすのたりのたりかな」。春の海の明るさがいいじゃない。
句郎 そうだね。明治は明るい時代だったと主張する人々が持ち上げる人の一人に子規がいるのかもしれない。
華女 「坂の上の雲」の時代ということかしらね。
句郎 芭蕉は何となく暗い感じがするのかもしれないね。明治という時代の雰囲気に芭蕉は馴染まなかったのかもしれない。
華女 「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が芭蕉の辞世の句でしたっけ。「坂の上の雲」のイメージじゃないわよ。子規は「坂の上の雲」の登場人物の一人だったでしょ。
句郎 子規は「俳人蕪村」の中で述べている。芭蕉は消極的美を表現したが蕪村は積極的美を表現したとね。
華女 子規のいう「積極的美」とは「明るさ」ということなのかしら。
句郎 そうかもしれない。四季の中で春・夏は積極的、秋・冬は消極的とも子規は言っている。
華女 なるほどね。芭蕉には秋・冬のイメージ、蕪村には春・夏のイメージがあるというわけね。
句郎 実際そうだと子規は言っている。芭蕉は比較的秋・冬の句が多いのに対して蕪村は春・夏の句が多いと言っている。
華女 ホントにそうなのかしら。
句郎 例えば、「若葉」という季語で芭蕉は二句しか詠んでいないのに対して蕪村は十余句も詠んでいると言っている。
華女 芭蕉の句でいうと「奥の細道」にある「あらたふと青葉若葉の日の光」がすぐ浮かんでくるわね。その外にはどんな句があるのかしら。
句郎 奈良の唐招提寺で鑑真を詠んだ「若葉して御目の雫ぬぐはばや」の二句しかないと子規は述べている。
華女 蕪村にはどのような句があるのかしら。
句郎 「をちこちに滝の音聞く若葉かな」とか、「蚊帳(かや)を出て奈良を立ち行く若葉かな」、「窓の灯(ひ)の梢(こずえ)に上(のぼ)る若葉かな」、「絶頂の城たのもしき若葉かな」などを子規は紹介している。
華女 芭蕉と蕪村が「若葉」を詠んだ句を比べてみると芭蕉の句には格調の高さのようなものがあるように私には感じられたわ。
句郎 「をちこちー」蕪村の句を読むと日光・憾満が淵の若葉が思い出される。雨に濡れた若葉と大谷川の水音が甦るよ。
華女 春夏を詠んでいる句が蕪村は多いから積極的だという子規の主張に疑問符が付いたような気がしてきたわ。
句郎 私もそう思う。確かに蕪村は写生しているけれども詠んだ世界の大きさ、深さが違うように思うね。
華女 芭蕉の鑑真を詠んだ句もほのぼのとしていいと思うわ。鑑真は潮風に当たり盲目になりながら日本に仏教の戒律を伝えたお坊さんなのでしょ。
句郎 そうらしい。六月六日が鑑真忌なんだ。芭蕉はこの日に唐招提寺に参っている。その開山堂の前で詠んだようだ。