多喜二を読む
―この一篇は、「殖民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。
この言葉は「蟹工船」の最後に小林多喜二が附記したものだ。句労君、小説「蟹工船」で描かれた世界がなぜ日本国内の殖民地・北海道への資本主義侵入史なのか、わかるかな。
わかりませんね。「蟹工船」で描かれている世界は船上の蟹の缶詰を作る工場で働く悲惨な労働者の状況ですよね。それがどうして資本主義の北海道への侵入なのか、先生、教えて下さい。
教えるのは簡単だけれどもね。大切なことは自分で考えることだね。そもそも資本主義という経済の仕組みができあがってくるのは、いつごろからだったか。覚えているかい。
もちろん、覚えていますよ。イギリスで産業革命が始まると同時に資本主義という経済の仕組みができあがっていく、このように世界史の授業で教わりましたよ。
さすが句労君、その通り。
産業革命という出来事がなぜ資本主義という経済の仕組みをつくっていったのか。その理由はなんだったっけ。
それは産業革命によって産業資本が成立、確立したからだと先生は説明していたのを覚えていますよ。
その通り。良く覚えているね。でも理解しているか、どうか、疑問だけれどね。
先生は昔から嫌なことを言うと皆言っていましたよ。
そんなことを生徒たちは皆言っていたの。それは悪かったね。では、聞くが産業資本とは何なの。
それは工場ができたということなんでしょ。
では、工場のことを産業資本というのかね。
そうなんじゃないですか。
先生、そう説明していましたよ。
それでは工場がなぜ産業資本なのか、説明してほしいな。
それは工場で生産されたものが商品として売れる。こうしてお金が儲かるからなんじゃないですか。
資本とは工場製品がお金になることをいうのかね。
そうなんじゃないですか。違うんですか。
違ってはいないけれども、資本の本質を説明しているわけではないな。句労君の説明では小説「蟹工船」が殖民地・北海道への資本主義侵入史だと納得してもらえるかな。
僕は納得してもらえると思います。船上の蟹缶工場でつくられたものが東京のような大都会で高く売れて、儲かるわけですから。
なるほど、しかし多喜二が「蟹工船」で描いた世界はそこで働く労働者の悲惨な実態だよね。この悲惨な実態がなぜ資本主義なのかの説明になっていないと思うんだけどね。
そうですね。じゃ、資本とは工場で商品を生産する労働者のことをいうのでしょうか。
句労君、その通りなんだよ。資本とは労働者のことを言うんだよ。工場で商品をつくる労働者のことを言うんだ。マルクスは「資本論」のなかで資本とは血と汚物にまみれて生まれてくると言っているんだ。ここでいう資本とは労働者の誕生のことを言っているんだ。「蟹工船」で働く労働者たちは、命の危険に曝されて血を流し糞壺で寝起きする。まさに血と汚物にまみれて生活している。農村や都市で食い詰めた人々が蟹工船に職を求めて集まってくる。このことが資本主義の殖民地北海道への侵入なのだ。