「じゃあな、もう二度と来る事は無いだろう」
心の中だけで言っても良かったのだが男はあえて口にした
それは自分に言い聞かせるという意味も込められていたためだ
男は振り返りその場を離れた
後ろではまばゆいほどの満月の光と静かで力強い波の音がいつまでも続いていた
ここは母の家の近くの埠頭跡
自宅からは車で20分ぐらいかかる、「母の家」というのは別居している為である
昔は漁業がにぎわっていたこの場所も、数十年前に工業地帯が誘致され
何年も経つと工業用排水などの影響でまずい魚しか取れなくなってしまった場所だ
男は数年前からこの場所をたびたび訪れていた
なんとも女々しい理由だが「心を癒してもらう為」である
この雄大な海を感じる事により自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされる
例えば自分が居なくなる(死ぬでも良いが)としよう
そうなった場合この世界にとって何が変わるんだろう
きっと何も変わらない、人間が一人居なくなっても明日は来る
そして多分何億分の1の人間以外はいつもどおりの生活をするだろう、それだけの存在なのだ
そう感じる事により男は自分の悩みがいかにしょぼいかを自分に投げかける
「お前の悩みなんてちっちぇえよ」
それで心が軽くなるならばやらない手は無い
それに男は波の音が好きだった
ある眠れない日、夜中の1時ぐらいにここにきて砂浜で独り体育座りをして
2時間ぐらい波の音を聞いていただけの時もあった
何にしても癒されるのだ、男は山も好きなのだがそれも似た様な部分があるからである
あの雄大の景色を前にしての自分の存在など、という気分に浸ることで心を軽くするのだ
しかしそれももう終わり
今日限りここには来ないし、来る気も無い
別に海が嫌になったわけじゃない、ただもういいのだ必要ない
そりゃあ別の理由で来る事はあるかもしれないが、「癒される為に一人で来る」事はもう無い
少し寂しい気もする、何度も助けてもらった場所だからだ
別れの時は辛い時が多いが、今はそんな気分ではない
むしろ、「船旅に出る時に母が見送ってくれている」というそんな場面に似ている気がする
何にしても、今までありがとな
記念に写真を撮ってみた「・・・」
話は飛びまして
母の研究室の壁
というか全部本で埋まってます、まあ大学の先生の研究室というのはどこも似たようなもんだw
一部をピックアップ
これを見ていただければ俺と母が大体普段どんな会話をしているか想像できると思います
ちなみに俺と母は世間話は全体の1%未満ぐらいしか話しません
そのほかはだいたいこういう話とか環境問題の話とか宗教とか倫理学とかそういう話しかしませんw
まあ普通の環境で育った人間じゃない事は間違いないですね
ちなみに二人の姉とはそういう話はしなかったらしいです
俺だけ特別、理由は特に無いそうですけど
強いて言えば俺の方が興味を持って聞きまくってたから、とか
「なんで~なの?」という問いは俺の母への口癖みたいになっていましたからね
更にその答えの中の疑問を問い、返ってきた答えの疑問を・・・と
いつも「ごめんやけどもう疲れた」といってギブアップしていたのは母でした