珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

義姉の言葉

2018-10-12 | 日記
私の義姉は、一男三女を育てる子育てのよき先輩である。(4人目が、私の娘と同い年)
一人お産みになると
妊婦ではなくなった自分を寂しく思い、妊婦を見ては羨ましくなったと言ってのけた、一人産むのにつわりでヘロヘロになっていた私から見たら、宇宙人か神のようなお方であられる。

その義姉が仰るには
子どもが中高生になると、遊びに来る子がたいてい「家庭不和の不満」をこぼすそうである。
夫婦の不仲や、母親がご飯を作らない(夫は女を作るが)なんて話をする。
そしてそんな奥さんに限って、会うと、そういうことは「おくびにも出さないのよ」と言っていた。

愚痴くらい言えばラクになるのに、なんで頑張っちゃうんだろう?
と義姉は言っていた。

本音より
見栄なのかもね~

それからもう一つ。
ジェンダーフリーで、女も男も同じだけ学歴をもって同じだけ仕事をしたら、確かに男女平等。
でもそういう二人が結婚したら、なぜかうまくいかなくて、それに悩む家庭をいっぱい見てきたと言っていた。
同じだけ仕事して同じだけ稼いだら、同じだけ疲れて同じだけお腹がすいて、同じだけ安らぎたいのが日常である。
だけど二人ともがやはり平等に、「やってあげる」より「やってもらって」育っている。
二人ともが「やってもらいたい」のに「やってくれる人」がいない。

勉強さえできれば褒められた価値観に
「学歴って邪魔にはならないっていうけど、邪魔になる時もあるのよ…」

人様の価値観にモノ申す気もない。
ただ、理屈と現実ってちがうんだろうとは思う。

見たままを素直に語れる言葉って強い。
これは一つの実感である。
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参考になった記事紹介

2018-10-12 | 思うこと
ちょっと注目記事を見つけたので、一部抜粋して貼り付けておきます。
ネット情報を見る時や、それらを見ての発言だろうネットのつぶやきを聞く時の参考になりました。

※あくまで参考までに。
ちょと長いですが、以下引用


SNSのような個人プラットフォームにおける情報配信の問題点は、編集者や出版社という“フィルター”を通すことなく、ありのまま、思ったままの意見を好きなだけ個人配信できることだ。
もちろん自由な個人配信はSNSでの美点でもあるが、自分側のストーリーを語れるプラットフォームには、気づかないうちに偏ってしまう思考を抑止してくれる力が働かないのだ。

大多数の人々は、自分のオンラインアイデンティティからかけ離れた情報をSNS上でシェアしたり、“いいね”を付けたりすることはないという。

つまり、いかに膨大な情報がオンライン上にあふれていても、目にとまり、読んでみる情報とは、個人のアイデンティティ、または人格にある程度沿ったものであるということだ。

また、「自分の価値観を否定するもの」や「目にしたくないもの」は、アンフォローなどで自主的に排斥される。このようにして、SNSプラットフォームは、あたかも自分自身の声が反響しているかのような“類友同士”の場となる。これが「エコーチェンバー(共鳴室)」と呼ばれる空間だ。
そしてこのエコーチェンバーは、陰謀論やデマといった、偏った思考を蔓延させてしまうひとつの要因になっている。
では、なぜ陰謀論やデマは、世の中にはびこり続けるのか? 
サイエンスニュースと違い、それらには、もともと科学的裏付けが曖昧という性質がある。
よってネットで検索すると、賛否両論の意見が見受けられるものだが、「人々は自分の信念と共存できる“証拠”だけをシェアするのだ」

私たちは、セオリーがデータによりサポートされているかどうかなど、合理的なレベルでものを考えない。
あくまでも、自分のオンラインアイデンティティに沿った情報を探し出すのである。

人々が、ある情報の真偽に対するリサーチをする目的は、すでに自分のなかで決まっている“答え”を確認する行為でしかない。
ゆえに、最初から信念に反論する情報には目を通すことをしない。
これが「確証バイアス」であり、偏った思考をつくり出してしまうものだ。


正しい情報を提示すれば、陰謀論やデマの拡散は抑えられるのか?

残念なことに、デマや陰謀論を信じる人々に、ただ“正しい情報”を提示するだけでは、彼らの信念を変えることは難しいという。
それはなぜか? 情報の妥当性の判断には、個人の内面的な部分、つまり育った環境や経験が大きくかかわってくる。
陰謀論者が信じる情報が内包する社会的価値観とは、個人のアイデンティティというコアな部分に触れるものであり、自分が生きるための指標としてきた「世界観」を揺るがす“事実”を、人は簡単には受け入れることができないからだ。

ゆえに、陰謀論者がSNS上で相反する情報を目にした場合、それらは無視されるか、自分の価値観を守るべく保守的になる。

意見の衝突は、困ったことに解決策をみることは少ない。「感情的信念」対「論理的意見」という構図では、逆にさらなる二極化を促し、対立してしまうことになるのだという。


では、どうすれば、世の中にはびこるデマや陰謀論を排除し、社会に必要な情報を伝えていけるのだろうか? 

「確証バイアスの説得力は非常に強いものです。一度、個人が彼らにとっての“真実”を見出したが最後、外からの意見や、反論には耳を傾けなくなります」




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