先日、YouTubeで見つけて気に入ったバンドのCDを買って聴いていたら、なかなかいい曲があった。
最初は昭和歌謡か?と思ったけど、いやいや全然いいブルースなのである。
「この曲なんかいいよね。癖になる」と言ったら、
「人は半音を聴くと心地いいんだよ。そんなふうにできている」
と言われた。
そんなふうにできている?
この人はたまにわけのわけらんことを言うけど、音に敏感な男が言うんだからそうなのかもしれない。
夫は昔バンドをやっていた。
そもそもの出会いが、道端で、そのライブのチケットを受け取ったことがきっかけだった。
私はその時、たまたま旅行中で
「ごめん、私ここの人間じゃないの。明日には東京に帰らなきゃいけないから」と断ったら
「俺、来月から東京の××で暮らすんだけど」と言われた。
「××?なら電車ですぐだよ」
「じゃあ今度向こうで会おう!!連絡先教えて」
若い時なんてそんなもんである。
お互い実に軽いノリで、一月後、5分しか会ってない顔も覚えていない同士で再会した。
彼は社会人になりたてのホヤホヤだった。
大学は辞めたんだ、と言った。
医学部をやめた?
ふつうの家庭じゃ出せない入学金や授業料を出してもらって、この男はなんて無駄なことを!!
「お金をドブに捨てる」とはまさにこのことだと言ったら、彼は
「俺はレールに乗せられることは向いてないんだよ。医学部に行けとプレッシャーかけられてきたからそこまではやったけど、後は情熱が持てなくなった。女と遊ぶことしか興味なかったし」とあっさり言った。
おそろしいことに、こういうボンボンでも無理やり大学行かせて、ともかく医者にさせる家庭は少なからずあるようである。
夫の友人で、親から「医師」以外の選択は認められずに、留年しながら結局挫折して心を病んだ人もいる。
そんなことを思えば早いうちに見切りをつけた方がいいとは思うけど、この人はこれからどうやってその代償を埋めていくんだろう?と思った。
仕事を始めた彼は、あんなに起きれなかった朝もちゃんと起きて、よほど頭も身体も動くようだった。
少なからず学生時代は苦痛だった「続けられる」という手応えを初めて感じたそうだ。
それ以来、同じ仕事を今日まで続けている。
夫を見ていると、別に大学を辞めたこと自体は何の経歴にもならないし威張れたことでもないのに、それが無駄とか失敗とかというふうにも思えない。
「違うな」と気づくためにやることもあるのかもしれない。
夫の名前が初めて映画のテロップの「助手」ではなく最初に出た時、人生はわからないもんだと思った。
そして「すぐ答えが出る」ものなんてないんだと思った。
これはイエス!これはノー!なんて、すぐ答えを出さなくてもいいのではないだろうか。
一言、一言の書き込みに瞬時に白黒のジャッジがくるネットを見ていて、それもこれもいつか遠い笑い話になるのかなあと思ったりするのである。
最初は昭和歌謡か?と思ったけど、いやいや全然いいブルースなのである。
「この曲なんかいいよね。癖になる」と言ったら、
「人は半音を聴くと心地いいんだよ。そんなふうにできている」
と言われた。
そんなふうにできている?
この人はたまにわけのわけらんことを言うけど、音に敏感な男が言うんだからそうなのかもしれない。
夫は昔バンドをやっていた。
そもそもの出会いが、道端で、そのライブのチケットを受け取ったことがきっかけだった。
私はその時、たまたま旅行中で
「ごめん、私ここの人間じゃないの。明日には東京に帰らなきゃいけないから」と断ったら
「俺、来月から東京の××で暮らすんだけど」と言われた。
「××?なら電車ですぐだよ」
「じゃあ今度向こうで会おう!!連絡先教えて」
若い時なんてそんなもんである。
お互い実に軽いノリで、一月後、5分しか会ってない顔も覚えていない同士で再会した。
彼は社会人になりたてのホヤホヤだった。
大学は辞めたんだ、と言った。
医学部をやめた?
ふつうの家庭じゃ出せない入学金や授業料を出してもらって、この男はなんて無駄なことを!!
「お金をドブに捨てる」とはまさにこのことだと言ったら、彼は
「俺はレールに乗せられることは向いてないんだよ。医学部に行けとプレッシャーかけられてきたからそこまではやったけど、後は情熱が持てなくなった。女と遊ぶことしか興味なかったし」とあっさり言った。
おそろしいことに、こういうボンボンでも無理やり大学行かせて、ともかく医者にさせる家庭は少なからずあるようである。
夫の友人で、親から「医師」以外の選択は認められずに、留年しながら結局挫折して心を病んだ人もいる。
そんなことを思えば早いうちに見切りをつけた方がいいとは思うけど、この人はこれからどうやってその代償を埋めていくんだろう?と思った。
仕事を始めた彼は、あんなに起きれなかった朝もちゃんと起きて、よほど頭も身体も動くようだった。
少なからず学生時代は苦痛だった「続けられる」という手応えを初めて感じたそうだ。
それ以来、同じ仕事を今日まで続けている。
夫を見ていると、別に大学を辞めたこと自体は何の経歴にもならないし威張れたことでもないのに、それが無駄とか失敗とかというふうにも思えない。
「違うな」と気づくためにやることもあるのかもしれない。
夫の名前が初めて映画のテロップの「助手」ではなく最初に出た時、人生はわからないもんだと思った。
そして「すぐ答えが出る」ものなんてないんだと思った。
これはイエス!これはノー!なんて、すぐ答えを出さなくてもいいのではないだろうか。
一言、一言の書き込みに瞬時に白黒のジャッジがくるネットを見ていて、それもこれもいつか遠い笑い話になるのかなあと思ったりするのである。