以前いた会社で、業務の都合上、毎年春の一定期間だけ、学生のアルバイトを複数募集していた。
その面接官から、私はある仕事をよく頼まれた。
それはごくたまにあった不採用になった学生に断りの電話を入れることだった。
面接担当からは、自分はそういうことが苦手で、でも他に頼んでも誰もが嫌がる中、海は嫌な顔をしないで引き受けてくれるからと言われた。
いやそういうと私が非情な人間みたいだけど、自分としては何の他意もなく、明るくサバサバと断っていただけである。
アルバイトは定員が埋まるまで、よほどのことがないと落とさないので、不採用は実は「よほど」というか、明らかに心配な感じの子だけだった。
だから電話をしても、ボソボソとハイ…とつぶやく返事もロクにできない子だったりした。
そういう学生に「今回は誠に残念ながら。また次回おねがいしまーす」と明るく伝えて電話を切る。
それが適役のようだった。
断るということが苦手な人が多いらしい中、私はこれに関してはあまり悩んだことがないと思う。
これまで断ったからといって、しつこくされたことも、確執が生まれたこともなかったと思う。
皆が悩む新聞の断りも、お茶を出して笑って断ったら次の日から止まってしまって、「今月いっぱいはOKですよ!!」と慌てたことがあったくらいだった。
娘が小学校の時、行きたくもないマラソンの朝練に誘われて「行く」と言ったもの、だんだん行きたくなくなってそれを断れずに、しまいに泣き出したことがあった。
誘った友達は一緒に行くことを楽しみにしていたので、言い出せなくなったのである。
「一回だけだよ。次から自分で断って」
最初に断れば(これが大事)ここまで苦しむことはなかったのに、と私は一喝して、友達のお母さんに断りと詫びの電話を入れた。
笑って電話を切った私を見て、娘から少々尊敬の眼で見られたようだが、これは人生で結構役に立つと思う。
「嫌われる勇気」じゃなくて「断る力」
以前、chで私は「無痛人間」と書かれたことがあるが、確かに断ることには無痛かもしれない(笑)
しつこく勧誘などしてくる個人や団体なども、そういう意味では平気というか(断ればいいんだから)、ケロッと見られるところはあるのかなと思う。
その面接官から、私はある仕事をよく頼まれた。
それはごくたまにあった不採用になった学生に断りの電話を入れることだった。
面接担当からは、自分はそういうことが苦手で、でも他に頼んでも誰もが嫌がる中、海は嫌な顔をしないで引き受けてくれるからと言われた。
いやそういうと私が非情な人間みたいだけど、自分としては何の他意もなく、明るくサバサバと断っていただけである。
アルバイトは定員が埋まるまで、よほどのことがないと落とさないので、不採用は実は「よほど」というか、明らかに心配な感じの子だけだった。
だから電話をしても、ボソボソとハイ…とつぶやく返事もロクにできない子だったりした。
そういう学生に「今回は誠に残念ながら。また次回おねがいしまーす」と明るく伝えて電話を切る。
それが適役のようだった。
断るということが苦手な人が多いらしい中、私はこれに関してはあまり悩んだことがないと思う。
これまで断ったからといって、しつこくされたことも、確執が生まれたこともなかったと思う。
皆が悩む新聞の断りも、お茶を出して笑って断ったら次の日から止まってしまって、「今月いっぱいはOKですよ!!」と慌てたことがあったくらいだった。
娘が小学校の時、行きたくもないマラソンの朝練に誘われて「行く」と言ったもの、だんだん行きたくなくなってそれを断れずに、しまいに泣き出したことがあった。
誘った友達は一緒に行くことを楽しみにしていたので、言い出せなくなったのである。
「一回だけだよ。次から自分で断って」
最初に断れば(これが大事)ここまで苦しむことはなかったのに、と私は一喝して、友達のお母さんに断りと詫びの電話を入れた。
笑って電話を切った私を見て、娘から少々尊敬の眼で見られたようだが、これは人生で結構役に立つと思う。
「嫌われる勇気」じゃなくて「断る力」
以前、chで私は「無痛人間」と書かれたことがあるが、確かに断ることには無痛かもしれない(笑)
しつこく勧誘などしてくる個人や団体なども、そういう意味では平気というか(断ればいいんだから)、ケロッと見られるところはあるのかなと思う。