夫が帰宅して、仕事の愚痴をこぼし始めると、私はまあ30分くらいなら聞くけど、それが限界である。
「ごめん、眠くなったわ」
とさっさと話を終わらせて、その場を離れることにしている。
(夫はそれをわかっているので30分以内でまとめないといけない)
私自身もある。
長引いた愚痴が「あー実にくらん」の一言で、きれいに消滅してしまったことが。
愚痴というのは言ってスッキリして終わる人ばかりじゃなくて、言うほどに快感になって延々言い続ける人がいる。
「ふうん、そうだったんだね~、大変だったね」「うんうん、そうだよね、可哀想ね」
なんて親身に聞いていたら、それは一生続く。
気がついたら「生きがいになってしまった」のならゴーモンである。
以前、引きこもりの少女の、ネガティブすぎる発想を断ち切ろうとして
「そんなのたいしたことないよ、大丈夫!」
と言ったらヘソを曲げられたことがあった。
少女にとっては「重大な」「深刻にしたい」ことを、ゴミみたいに扱われることがおもしろくなかったんだと思う。
私はこれがよくわからなかった。
重篤な病気かと思って病院に行ったら「たいしたことありませんよ」と笑われたとして、嬉しくないのかなと。
「人生を狂わされた」
なんてめんどくさい言葉が何年も止まらないという人がいたら「あ、そう」くらいがいいのでは?
「そうだよね~、狂わされたよね~」という喝采じみた声がある限り、永遠に人生は狂わされたままなのではないだろうか。
「ごめん、眠くなったわ」
とさっさと話を終わらせて、その場を離れることにしている。
(夫はそれをわかっているので30分以内でまとめないといけない)
私自身もある。
長引いた愚痴が「あー実にくらん」の一言で、きれいに消滅してしまったことが。
愚痴というのは言ってスッキリして終わる人ばかりじゃなくて、言うほどに快感になって延々言い続ける人がいる。
「ふうん、そうだったんだね~、大変だったね」「うんうん、そうだよね、可哀想ね」
なんて親身に聞いていたら、それは一生続く。
気がついたら「生きがいになってしまった」のならゴーモンである。
以前、引きこもりの少女の、ネガティブすぎる発想を断ち切ろうとして
「そんなのたいしたことないよ、大丈夫!」
と言ったらヘソを曲げられたことがあった。
少女にとっては「重大な」「深刻にしたい」ことを、ゴミみたいに扱われることがおもしろくなかったんだと思う。
私はこれがよくわからなかった。
重篤な病気かと思って病院に行ったら「たいしたことありませんよ」と笑われたとして、嬉しくないのかなと。
「人生を狂わされた」
なんてめんどくさい言葉が何年も止まらないという人がいたら「あ、そう」くらいがいいのでは?
「そうだよね~、狂わされたよね~」という喝采じみた声がある限り、永遠に人生は狂わされたままなのではないだろうか。