珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

何度でも言われるこれ2

2021-04-06 | S教団関係
バリ活がその憎悪を中枢をでなく、同じ同志でありながら末端に向ける酷い例を見た。
ある元バリ活さんのブログから引用させて頂くと。
私は、チョイス活動家を軽蔑し相手にしたく有りません。
どういう訳か、この手の人間を嫌い遠ざけるという感性を持っています。
最低野郎と思います。
それは、創価脳時代に悩まされて、お荷物に感じ、無責任だと認識して居たからなのかと考えます。

軽蔑する、相手にしたくない、最低野郎、お荷物で無責任……はー( ̄∀ ̄;)
人それぞれなので、こういう人もいるんだなあと思ったけど、あくまで人それぞれと思う。

私も青年部のバリ活時代に、両親共が人望のある幹部の娘さんでありながら、会合になかなか出ない、性格も少し難しい子といわれる部員さんがいたけど、個人的には全く気にしたことがなかった。
私には、その子は他の部員さんと変わらない〇〇ちゃんであって、何のマイナス感情も感じたことはなかった。
なぜだろうか考えてみたら、まずもって、その子のために会合の出席率が何%なんて言われても、そんなものがどうでもよかったことが一つ。
嫌なことを何とか説得させようと思う、使命感?も発想自体も、なかったことも一つ。
それを無慈悲とか無責任とは思わなかったことも一つ。
その子がそれでいいなら、それが一番だった。

今敢えて分析してみたらの話だけど、なんで自分が何のイジワルをされたわけでもない、他人の人格や判断や人生を、軽蔑とかお荷物とか無責任と罵れるのかさっぱり解らない。

ゆえに、この構図も人によりますね。
たまたまそういう人がいるというだけの相関関係を、因果関係にしてはいけない。
たまたまそういう人がバリ活だったということで、「バリ活ゆえにチョイ活が憎し」のような短絡的な言い方は、撤回した方がいいなと思った次第である。

ちなみにその人は、
「幹部が率先垂範の言動で会員にお手本を示し、会員に尽くし切るのがS会員の本当の姿だという指導そのままに活動した自分」と違って、 
最低野郎は「どういう理論で、どのように感じ考え、どのような毎日を過ごして居るのか興味が有る」ということなので、参考までに書くと、
 一例ですが、決してバリ活タイプの幹部は軽蔑などせず、大好きで尊敬して感謝していました。そしてユル活タイプとも仲良しでした。
あとは組織上の人の指導はすべてが絶対とは思わず、言ってみれば参考に聞くセミナー程度?のような感じで聞いていました。活動より祈りの方に重きを置いていた感じです。
やめた時はあっさりでした。チョイスが組織の実態を知らないメルヘンだから覚醒しないということでもありません。
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これらの言葉

2021-04-06 | 日記
大阪府知事が「府職員が破ったあるまじき行為」と言っていたので、何の不正?と思ったら
「マスク会食をしていなかった」と真顔で言っていた。
個人的にはイソジンよりズルッときたけど、これはいつの間にか真顔で受け要られている昨今のマナーとなっていた。

「マナー」とか「常識」とか「社会人として当たり前」という言葉は、ノーマル時代にはそりゃそうだという説得力があったけど、それはあくまでノーマル時代の話で、今のそれとは別物と思う。
これは中味を言っているのではなく、その言葉の「意味自体」が変わってしまったからである。
なぜって、長年の人生経験の間で、お互いが不快感なく、居心地をよくするために自然発生的に生まれたそれらが、
今は権力者の命令をポスターに刷ったり、ホームページに載せたら、即刻「マナー」「常識」「社会人として当たり前」の出来上がり~。
ゆえに昨今この単語を口にされると、胡散臭いイメージになる。

実際、県のホームページを見たら堂々
大人数での会食は控えましょう。飲食をする場合には、飛沫による感染リスクが非常に高いとされていますので、感染のリスクを軽減する取組が必要です。そこで、マスクを着けたままで飲食する新しいマナー「マスク飲食」をお願いします。 

と明記してあった。

こんな不潔ったらしいことが、独裁決議された途端、大人のマナーで、社会人としての常識になる。

オエーーーーーーーッとなるんですけど( ̄□ ̄;)

マナー、常識、社会人として当たり前。
この言葉は、私の知っているノーマル時代のものには聞こえない。
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