バリ活がその憎悪を中枢をでなく、同じ同志でありながら末端に向ける酷い例を見た。
ある元バリ活さんのブログから引用させて頂くと。
私は、チョイス活動家を軽蔑し相手にしたく有りません。
どういう訳か、この手の人間を嫌い遠ざけるという感性を持っています。
最低野郎と思います。
それは、創価脳時代に悩まされて、お荷物に感じ、無責任だと認識して居たからなのかと考えます。
軽蔑する、相手にしたくない、最低野郎、お荷物で無責任……はー( ̄∀ ̄;)
人それぞれなので、こういう人もいるんだなあと思ったけど、あくまで人それぞれと思う。
私も青年部のバリ活時代に、両親共が人望のある幹部の娘さんでありながら、会合になかなか出ない、性格も少し難しい子といわれる部員さんがいたけど、個人的には全く気にしたことがなかった。
私には、その子は他の部員さんと変わらない〇〇ちゃんであって、何のマイナス感情も感じたことはなかった。
なぜだろうか考えてみたら、まずもって、その子のために会合の出席率が何%なんて言われても、そんなものがどうでもよかったことが一つ。
嫌なことを何とか説得させようと思う、使命感?も発想自体も、なかったことも一つ。
それを無慈悲とか無責任とは思わなかったことも一つ。
その子がそれでいいなら、それが一番だった。
今敢えて分析してみたらの話だけど、なんで自分が何のイジワルをされたわけでもない、他人の人格や判断や人生を、軽蔑とかお荷物とか無責任と罵れるのかさっぱり解らない。
ゆえに、この構図も人によりますね。
たまたまそういう人がいるというだけの相関関係を、因果関係にしてはいけない。
たまたまそういう人がバリ活だったということで、「バリ活ゆえにチョイ活が憎し」のような短絡的な言い方は、撤回した方がいいなと思った次第である。
ちなみにその人は、
「幹部が率先垂範の言動で会員にお手本を示し、会員に尽くし切るのがS会員の本当の姿だという指導そのままに活動した自分」と違って、
最低野郎は「どういう理論で、どのように感じ考え、どのような毎日を過ごして居るのか興味が有る」ということなので、参考までに書くと、
一例ですが、決してバリ活タイプの幹部は軽蔑などせず、大好きで尊敬して感謝していました。そしてユル活タイプとも仲良しでした。
あとは組織上の人の指導はすべてが絶対とは思わず、言ってみれば参考に聞くセミナー程度?のような感じで聞いていました。活動より祈りの方に重きを置いていた感じです。
やめた時はあっさりでした。チョイスが組織の実態を知らないメルヘンだから覚醒しないということでもありません。