二世問題の前に免罪符のように持ち出されるのは、「子を思う親の愛情」である。
私も一応親であるので、それらしいことを書いたりもするけど、いやいやたまにはこれもブッた斬ったるわ( ̄∇ ̄)
「善かれと思って」私も必死に子育てをした。まだ成人にさせてないから現在進行形だけどね。
頼れる身内もいなかったし、夫は不在が多かったし、それこそ熱が出たくらいで横にもなれず、必死で買い物に行って、風呂に入れてと頑張った。
子供が喜ぶことなら何でもしてあげたいと思った。
が、一方で、娘が小学校2、3年生くらいまではネットを見たこともなかったから、情報は育児本や、自治体の案内や、テレビからとっていた。
それらには、例えばワクチンについては耳障りのいいことしか書かれてなかったし、うっかりすると「打つのは義務で打たせないのは虐待」のようにカンタンに誘導されてしまった。
まあ「情弱」ってやつですね。
母親の愛は何よりも深いとか強いとか言ったところで、そんなに強いならば、もっと有益なことを知る努力ができただろうにね。
愛情ってそんなに簡単ではないと思った。
少なくとも私の愛情は、強くも深くもなかったと思う。
母性なんて未熟。
二世問題は未熟ゆえに起こる。
でもそれを許容するのも愛情かなあ、と思ったりもする。