この騒動が起きて、以前、遠い昔に読んだ本を思い出した記事を書いた。
そしてもう一つ、もう一つ、今のこのもどかしい感覚を言い当てる話があった…と、とデジャブのようにずっと頭にひっかかっていたものを、やっと今日思い出した。
それは中学の時たぶん教科書で読んだ話で、ネットとは有り難いことに、短いキーワードを打ち込んだら、それを探し当てることができたo(^▽^)o
それがこの「思考代行業」(加藤秀俊著)という短いエッセイ。
ぜひ読んでみてください。
ある時を境に、マスコミが世の中を解説することをやめてしまってかなり経つ。
私の感覚だと、ある日、頭の上から聞きなれないエンジン音がして、見上げたら低空飛行していた飛行船からフッと何かが落とされた。
爆発音はしなかったけど、瞬間、何故か「アッ、ヘンなものが落とされた…」と思った。
それが合図だったかのように、次々と言論が封じられていった。
いや、変わらず語っているような顔はしているけど、それらは音声を抜き取られて口パクしている人形のようで、私には何も聞こえてこなくなった。
解説がなくなったら世の中は何と頼りなくて、心許ないんだろうと感じながら、でもこうなったら、自分で答えを探して考えて判断しなくちゃいけないと思った。
そんな中で、電波ジャックされたようにウソっぱちの解説が流れたら、そんなものにも、大勢が吸い寄せられるように飛びつくのを見た。
それが、全幅を寄せていい神様のように。
自分で考えることってそんなにシンドイことになっているんだ、とまざまざと思った。
>わたしたちは、ホンモノの世界がもっている、アイマイな状況というものをめったに体験しなくなってしまっている。
>状況がアイマイである以上、人間は、そこでみずから「かんがえる」ことをしなければならない。
こんな言葉が、黒板に向かってノートをとっていた時じゃなくて、ウン十年後に、遠く離れた町の一角で珈琲を飲んでいた一時に突き刺さるとはね…