何か知らないけど、変な接種が止まっている。
ザマミロ( ̄∇ ̄)
接種を嫌がる人も増えてきたと聞く。
やったねー( ̄∇ ̄)
打ちたくない人の殆どは、効果はあるのかもしれないけど「副反応が怖い」が理由と思う。
が、それ以前に打たせる方の「打ってもらわないと人に迷惑がかかる」とか「罹ってもらっては困る」とか「重症化しないために必要」ということ自体を私は信じていない。
感染を防ぐ効果も、重症化しない効果も、効果というものが全くないと思っている。
だから、医療従事者として打たなければならないとか、いろんな人と接するから必要とか、そんな理屈からして刺さらない。
マスクにしろ注射にしろ、効果がある前提で「打つ」か「打たないか」じゃなくて、前提の「効果がある」から、私には無い。
無い。
信じてない。
だから打つ理由も、意味も、選択肢も、迷いも、無い。
何も無い。
私の新刊が13万部発行になるとして、日本でコロナおかしいと思ってる人など、20から30万人くらいしかいないのだと思う。もっと少ないかもしれないのはマスクマンたちをみても一目瞭然。日本人につけるクスリはない、ホントにただの一つもないだろう。
— 内海 聡 (@touyoui) June 29, 2021
これって…
オカシイと思っている=行動に移す(マスクを外すとか)という、明瞭な日本人が圧倒的に少ないんですよね。
オカシイと思っていながら、何か知らんけどゴチャゴチャとあって、心と裏腹なことをするのが日本人である。
本音と建て前というのか、お茶を濁すというのか、
心に思っていることと行動が一致できない、ちぐはぐさが大好きな上に、
後出しジャンケンを、拍手を以て正当化するのが日本人である。
Sアンチブログもこれに尽きた。
「解っていたけど、諸々の事情、しがらみ、忖度を考えて葛藤しましたーー♫」
という愚痴の方が、理論よりも、スパンと割り切るあれこれよりも、圧倒的に「寄り添ってる」とか言われて大絶賛されるもんね。
いい悪いは別にして、私はこういうのは苦手と思った。
コロナ騒動で、これをつくづくも再認識した。
日本が大好きゆえ、ここは「アホンジン」と言われてもいいと、私は思っている。
これにつけるクスリの方を、よほど開発してください( ̄∇ ̄)