珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

役に立ったこと2

2018-10-21 | 日記
人気ブログで「悪質な」(と敢えて書くのは、身の危険などやむ得ない事情ではなくて、からかい程度のため)ナリスマシがあったことで、珈琲ブログでは即取り上げた。
単純に「おかしい」と思たら、裏で名無しでコソコソではなく、後出しジャンケンでもなく、「あの人が言ったから」でも「大勢が言うから」でもなくその場で、一人で、率直に問う。(そんなものにお仲間がいるだろうか?)

過去これができなくて、溜まりに溜まった怨念が無関係なあれこれまでも吸い込んで巨大なトグロを巻いたのを見て思った。
「その時」「それだけを」単純に問えば、それ以上でもそれ以下でもないことなのに。

後出しになるほど人は余計なものが入る。
感情なんてどんどん上書きされて、情報は錯綜して、記憶は自分に都合よく書き換えられていく。
そういう人ほど「あれもこれも」と膨らませて後付けしてくる。

その時に、素直に、正面から…経験から学んだことである。



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使い方次第

2018-10-20 | 日記
娘が生まれてから、孤軍奮闘の育児が始まった。
夫は当時地方ロケが多くて、殆ど不在だった。
常に激痛の、酷い腱鞘炎に悩まされながら、高熱が出ても服を着こんで買い物に行って、ゾクゾクする悪寒に耐えながら娘と風呂に入った。
ギックリ腰を
気合で半日で直して (人体の妙である)、夜には中腰でベビーバスと格闘した。
美容院で赤ん坊を抱っこしたまま、髪をカットしてもらった。

そんな中、何より頼りになったのは恐ろしいまでの確証バイアスだった。

とにかく娘が可愛く見えてしょうがない。
この子に欠点などない!!
すべっても転んでも奇跡のように愛しい!!
私は毎日、林家パー子のように奇跡をカメラに収め続けた。
娘が眠ったら、それをアルバムに貼るのが楽しかった。(数えてみたら41冊あった)
親バカ度+おめでたさ×100000000000!!

フィルターも距離感の近すぎも、すべてがダメと言わない。
私は人生の一時期、これに本当に救われたのである。

辛い時、正しいも合ってるもなく、迷わず一心に信じられるものがあったら救いなる…これは一つの答えとして今でもある。
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閑話休題(ラザリスさん)Aimer「星屑ビーナス」Acoustic Covered by 凛

2018-10-20 | 閑話休題
Aimer「星屑ビーナス」Acoustic Covered by 凛



今週は、この凛さんのいろんなカバーの動画を観てました。
どれも素晴らしいものばかりですが、とくにこの歌のカバーがこころに刺さりました。
約一年前のものですが、この時点で高校一年生だそうです。
ぶったまげました。
生で聴いたら、たぶん涙が溢れて止まらなくなると思います。
こんな才能を持ったシンガーには、これからもっともっといろんな歌を歌いながら、人々のこころを潤していってもらいたいですね。
好みの問題なので、一つの目安にしかならないのですが、動画の評価で「高評価」が「低評価」の50倍くらい以上だと、ものすごく完成度が高いです。
自分の大好きな Boyce Avenue の動画は、ほぼこの数値以上です。
凛さんの動画も、どれもだいたいこの数値以上で、中には100倍以上のものもありますね。
いろんな歌のカバーをされていますので、他のものもぜひ聴いてみてください。

今日は仕事を早めに切り上げて、明日のミニライブに備えたいと思います。
応援して下さったみなさま、ありがとうございます。
観客のこころに刺さる演奏ができるように、頑張ります。





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ネットにまつわるあれこれ22

2018-10-19 | ネットにまつわるあれこれ
ネット上の人物なんて、どこの誰かも、設定が事実かも、どこまで本心かもわからない。

でもそれを読んで「号泣しすぎて倒れた」とか、会社で仕事中に「ウィヤアアアーーーー!」とシャウトしたとか、書く人もいる。

自分の信じたくないことや、とうてい信じられないことを真に受けて舞い上がる人に
「おまえ、見たんかい?」
しごく冷静に言う人が
自分が信じたいことなら、まるで見たように信じ込むのである。

ところで人って、自分や身内の一大事ならいざ知らず、会ったこともない他人がブログでつぶやいた言葉程度に 号泣して倒れたり、仕事中に叫ぶなんてあり得るんだろうか?

実際見てないしね。
個人的には、このくらいで読んでちょうどいいと思っている。

そもそもが、ネットの匿名しか知らない人間をとことん信じるなど、褒められたことでも何でもないと思う。
距離感がおかしいだけではないかな?
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娘との会話8

2018-10-19 | 娘と夫の話
娘がたまに「学校行きたくない」と訴える日がある。
授業で苦手な課題がある日である。
友達の少ない彼女は、困っても助けてくれる子がいないので、本人には切実なんだと思う。
私が取り合わないと
「ねえ、パパはいつも私に『やりたいことをやりなさい』って言ってるでしょ。私がやりたいことは学校に行かないことなの。なぜダメなの?」
と食い下がってくる。

「行きたくないなら行かなくていいんじゃな…」と夫が言いかけたところを、遮って
「あのね、好きにするってことは同時に責任を持つってことなの。
サボった分、必ず「ツケ」ってもんがくる。
そのシンドイものを、アンタは引受る覚悟があって言ってんの?
何を舐め腐ったことを言ってんだか」
と一喝したら、歯を食いしばって登校した。

ふふふ、こういう日のために私は、彼女の赤ん坊、幼児期の日々をズタボロになりながら献身したのだ。
逆らえるもんならやってみろ、とニヤニヤする。


私も中学の時、やりたくない課題なんて山ほどあった。
家庭科の授業でテーブルセンター(ランチョンマットですね)に、微塵も興味のない「刺繍をしなさい」という課題を出された時は、どうしようかと思った。
皆が、カラフルな刺繍糸を並べて布一面に複雑なステッチを施している中、全くやる気が起きずに期日に提出できなかった私は、できた作品を職員室まで持っていかねばならなかった。

先生は校内一厳しいといわれる女の先生で、不出来なら容赦なくやり直しをされると聞いた。
私が40センチ四方もある布の中央に、茶色一色でほんの3センチくらい、20針ほど塗りつぶしたギザギザの「しみ」のような模様を見せたら、先生は固まったままジッとそれを見た。
それからゆっくり私を見つめて
「海さん、これは何ですか?」
と静かに訊いた。
私は先生をまっすぐ見て
「キツネです」
ときっぱり答えた。
「キツネ…」
先生は怒りも笑いもしなかった。
そして作品と私をただ黙ってしばらく凝視して、
「はい、結構です。帰ってよし」
と、それだけ言った。

永遠とも思えた10分くらいが終わって、職員室を出てから私は「やったねー」とガッツポーズをした。
親友にその話をしたら涙を流して爆笑されたが。

しかし私は逃げなかったぞ。
ピノコよ。自由と責任は表裏一体なことを覚えておけ~
v('▽^*)♪
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叩き方講座4

2018-10-18 | ちゃんねる攻防
できる、珈琲ブログの叩き方。(初級編)

コメントが入り平和に運営すると、信者と教祖、マンセー
コメントが入らないと、誰も相手にしない
他と違う意見を書くと、攻撃、憎し、怨念、好きなんでしょ

「違う意見は違う意見であって、他を攻撃でも憎しでも撲滅でもありませんよ」については
自分の不都合とプライドの崩壊に耐えられないので、脳ミソを真っ白にして、思考を停止させる。
(スルー、シャッター、耳を塞ぐ、ポカーン!!)

叩く時は、くれぐれも名無しで陰口に徹する。
返信がないと調子に乗り、返信があると「かまってちゃん」といえば完璧。
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叩き方講座3

2018-10-18 | S教団関係
気に入らない教団への叩き方。
 以下のようなことを「マインドコントロール」や「カルト」など、言葉を罪深く仰々しいものに置き換え、激しく呼すること。
たったこれだけでよい。

●自分がおかしいなとか違和感を覚えても、お世話になったとか、その場の空気や、大勢が言わないから、という理由で言いにくかったし、言えなかった。
陰では言えるけど、さすがに面と向かってはね。
波風立てるのも何だしね。

●好きな人が言ったら「その通りだな」と思うし、嫌いな人が言ったら反発を覚える。無意識でも。

●自分に都合のわるいことは追求しないで、話をそらしたくなる。

●自分が強く主張したい時は、あれもこれも関連付けて大袈裟に言いがち。

●記憶は自分に都合のいいように書き換えられる。

●集団になるとモラルが低下しやすい。(道を横並びに歩くなど、数人でも。些細なことでも)

●会ったことがない人でも熱烈に好きになる場合はある。

●そんな大好きな人を、ファンはわるく言われたら面白くないので、必死で擁護してしまう。

●正しさを伝えるためなら、その手段は「熱心なあまり」ということで許容されることがある。


ええっ?これがMC?カルト?
単純に、よくある、誰でも覚えがある、そのMCが解けたという人が相変わらずやっていることだと思うけど。
そこはスルーでよし。
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ネットにまつわるあれこれ21

2018-10-17 | ネットにまつわるあれこれ
忙しい忙しいという人ほど暇シリーズ。

 「騙された」をうんざりするくらい連呼して、嘘をくやしがる自称被害者という人ほど、ケロッと嘘をつくし、

「皆、騙されないでー」「そんなんじゃ他でもまた騙されるよー」と旗をふる人ほど、危ういと思う。

作ってもないブログを「作ります」と言うのを聞いただけで、舞い上がって絶賛するような人。
(ふつうは出来たブログを読んでから評価しますよ)

会ったこともない、匿名が書いているネット情報である。
自分のアンチに厳しく、冷静になれるのは当たり前。
情報を慎重に読む上級者を目指したいなら、シンパとなると甘く見る癖には気をつけたいものである。

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アンチ力

2018-10-16 | 思うこと
嫁、姑とか夫のアンチブログがあるのをご存知だろうか。
毎日毎日、ひたすらその人たちの悪口を書く。
何せ、一緒に暮らしてるんだから日々のネタなど尽きない。(アポなし訪問程度、コントのように爆裂してるぞ)
最初は読んでいて、すごいなあ、よく離婚しないなあと感心していたが、日々楽し気に更新される(そう見える)地獄のような悪口を読んでいると、不満をいう楽しさが不快な日常を凌駕して、むしろ快感になってるんじゃないかと思えてくる。

悪口を言えなくなる方がつまらない。
そうとしか思えないというか、人生こういう楽しみ方もあるのかと妙に納得してしまう。

ある宗教団体は、よその教団の悪口をいうことでモチベーションを保ち、それを何十年も馬鹿力に変えていた。
そのアンチグループも同じく、攻撃の矛先が明確になると新な生きがいを見出したように、おっさん、おばちゃんが生き生きして元気になった。
さらに、そのアンチを攻撃するグループが生まれたりと勢いは留まるところを知らない。

撲滅、撲滅っていうけど、だから憎たらしいものは撲滅させちゃイカンのでは?
寂しくなるよ。
過疎化してショボンとしている年寄りは、もしかしてアンチ力が足りないのかも、などと考えたりもする。

娘の部活動は、同学年の女子が17人いるという。
「女子が17人いるもいるといろいろと揉めるのよ。問題の子がいてね」
と、娘が言うが
「いや、そういう子も、そういう問題も必要と思うわ」
とつい答えてしまう私。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。
「ほどほど」にとは思うが、私も元気なイジワル婆さんになっていくのかもしれない
( ;∀;)
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閑話休題(ラザリスさん)米津玄師「Lemon」Acoustic Covered by 凛

2018-10-14 | 閑話休題
米津玄師「Lemon」Acoustic Covered by 凛



最近、よく聴く歌ですが、ものすごく深い歌だと思います。
カバーしたいと思いますが、ピッチとリズム、とても難しいですね。
カバーしている方は多いですが、最後でフラット気味になっている方も多いです。
ビートルズの曲と同じように、割と簡単なコードでこんなすごい歌を作ってしまう米津玄師さん、やはり天才的だと思います。

カバーしているこの凛さん、まだ15歳の高校一年生だということですが、とても才能を持った人だと思います。
ピッチとリズム、完璧です。
アコギを弾きながら、こんなに上手く歌えるとは、将来が楽しみなシンガーですね。

10月も半ばにさしかかり、九州も朝晩は冷え込んできました。
みなさま、体調に気をつけてお過ごしください。





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家庭教師3

2018-10-14 | 娘と夫の話
娘の家庭教師の時間は、「子ども部屋」という密室で行われる。
だから二人でどんなやりとりをしているのか、さっぱりわからない。
別にリビングでやっても構わないし親が参観しても全然OKであるが、私はめんどくさいので、二人きりの時間にしている。
娘も「見るな」という。
鶴の機織りや。
私もしめたとばかりに、その時間は好きなことをしている。

しかし本部から時々「先生の評価について」みたいなアンケートがくるので、もっと観察した方がいいのかもしれないと反省し、先日娘に「先生は彼氏いるの?」と訊いたら
「いない歴20年って言ってたよ」と返ってきた。
こんなんではダメなんだろうか。

そういうことで私は、学校の参観日も、サボるか欠伸をしながらの出席だった。
娘も同じく欠伸をしながら座っていた。
参観日となると、頑張って手を揚げる子も多い中、娘は頑なにそうしなかった。
参観日じゃなくても手を挙げないが、参観日だからといって手を挙げなかった。

ただじっと座っている娘を見てるのも退屈だったので、皆どんな服を着ているのか、娘薄着やな~とだいたい私はそんなふうにして時間を潰していた。

一方で、娘も先生の服ばかりを見ていたそうである。

小二で娘は私に訊いてきた。
「ねえ、どうして参観日になると先生はいつもと違う洋服を着てくるの?」

私は同じ年代に、娘よりいい点はとっても、先生の服がいつもと違うことには気が付かなかった。
少なからず人の服なんか気にせず、ちゃんと勉強していた。
父兄が見ている参観日は尚、クソまじめに集中していた。
でも結果、彼氏だの服だのしか見てない大人になった。

人なんて、なるようにしかならないもんである。
根拠のない自信なのか、ただの怠慢なのか、教育ママにはなれないままユルユルと子育ては過ぎていく…
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真実を探す旅3

2018-10-13 | 日記
小学生の女の子が、クラスでちょっと男の子にからかわれて学校に行きたくないと言った。
転校生だった女の子は、平均より少し身長が高かったために「デカ!!」と言われてしまったのである。
皆が目撃した事実といえるのは、これだけのことだった。

それからしばらくして、学校から少し離れたゴミ置き場に、なくなった体育着の帽子が捨てられていたのが見つかった。
お兄ちゃんのおさがりだった名前が書かれているその帽子を見て、母親は怒りを隠せなかった。
即、学校側と話し合いがもたれた。

だが、それからも女の子への嫌がらせが続いた。
文房具が盗まれたり、図工の作品が壊されたり、教科書のページにハサミが入れられているのも見つかった。

女の子は体調不良を訴えて、休むことが多くなった。
先生たちは何度も話し合って対策が練られた。
子どもたちは学級会で「いじめ」について話し合って、父兄にも特別に集会が持たれた。
匿名でアンケートをとったり、もし彼女が登校した日は、どうやって迎えてあげればいいかも意見を出し合った。

女の子の荷物は、すべて職員室に預かることになった。
生徒たちのハサミは回収されて、必要な時は先生からもらうようになった。
女の子のクラスだけは、朝来ても全員が揃うまで、廊下で待機するルールも設けられた。
人がいない時に、誰にも不審な行動をさせないようにである。
授業中に別の先生が後ろに立って、生徒一人一人の視線を追うような監視もした。
「疑わしい」と思われる子に、それとなく面談も行われた。

しかし、嫌がらせは「犯人がわからないまま」一年以上も続いたのである。

「せめて誰がやったのか」
それが解ればこんなに苦しまずに済むのにと両親は悩んだ。
久しぶりに登校した女の子が、手提げカバンからシャープペンが無くなったと泣いたのを見た両親は、「学校側は本気で調べる気はあるのか?」と、教育委員会にも足を運んだ。

女の子の精神はずっと安定せず、精神科に通って薬を服用するようになった。

改めていうが
皆が見たのは「男の子にちょっとからかわれたこと」ただ一つだったのである……


この話、子どもの話と侮ることなかれ。
大人でも自分が辛いとアピールしたかったら「本当はこれだけのこと」を、幾重にも広げたくなるものある。
そうなると作りはしないまでも、自分に都合のいい話ばかりが目に留まる。
それは誇大に語り、不都合は聞く耳をもたなくなる。
毎日叫び続けてもそれでも足りなくて、もっともっとと情報を集めたくなって、しまいには会ったこともない異国の人間にまで疑心暗鬼な妄想を巡らせる。
シンパ内では妄想ではなく「鋭い洞察力」として感嘆されるのかもしれないが。

傍からみたら滑稽でも、本人は冷静で真剣なつもりである。
「たったこれだけ」ではなく、事は深刻で重大で甘くないことのにするためなら。

そうは思わない人間は「冷たい」或るいは「おめでたい」と言われたくないために、幾つもの「真実」を苦笑いしながら許容すべきなんだろうか。
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義姉の言葉

2018-10-12 | 日記
私の義姉は、一男三女を育てる子育てのよき先輩である。(4人目が、私の娘と同い年)
一人お産みになると
妊婦ではなくなった自分を寂しく思い、妊婦を見ては羨ましくなったと言ってのけた、一人産むのにつわりでヘロヘロになっていた私から見たら、宇宙人か神のようなお方であられる。

その義姉が仰るには
子どもが中高生になると、遊びに来る子がたいてい「家庭不和の不満」をこぼすそうである。
夫婦の不仲や、母親がご飯を作らない(夫は女を作るが)なんて話をする。
そしてそんな奥さんに限って、会うと、そういうことは「おくびにも出さないのよ」と言っていた。

愚痴くらい言えばラクになるのに、なんで頑張っちゃうんだろう?
と義姉は言っていた。

本音より
見栄なのかもね~

それからもう一つ。
ジェンダーフリーで、女も男も同じだけ学歴をもって同じだけ仕事をしたら、確かに男女平等。
でもそういう二人が結婚したら、なぜかうまくいかなくて、それに悩む家庭をいっぱい見てきたと言っていた。
同じだけ仕事して同じだけ稼いだら、同じだけ疲れて同じだけお腹がすいて、同じだけ安らぎたいのが日常である。
だけど二人ともがやはり平等に、「やってあげる」より「やってもらって」育っている。
二人ともが「やってもらいたい」のに「やってくれる人」がいない。

勉強さえできれば褒められた価値観に
「学歴って邪魔にはならないっていうけど、邪魔になる時もあるのよ…」

人様の価値観にモノ申す気もない。
ただ、理屈と現実ってちがうんだろうとは思う。

見たままを素直に語れる言葉って強い。
これは一つの実感である。
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参考になった記事紹介

2018-10-12 | 思うこと
ちょっと注目記事を見つけたので、一部抜粋して貼り付けておきます。
ネット情報を見る時や、それらを見ての発言だろうネットのつぶやきを聞く時の参考になりました。

※あくまで参考までに。
ちょと長いですが、以下引用


SNSのような個人プラットフォームにおける情報配信の問題点は、編集者や出版社という“フィルター”を通すことなく、ありのまま、思ったままの意見を好きなだけ個人配信できることだ。
もちろん自由な個人配信はSNSでの美点でもあるが、自分側のストーリーを語れるプラットフォームには、気づかないうちに偏ってしまう思考を抑止してくれる力が働かないのだ。

大多数の人々は、自分のオンラインアイデンティティからかけ離れた情報をSNS上でシェアしたり、“いいね”を付けたりすることはないという。

つまり、いかに膨大な情報がオンライン上にあふれていても、目にとまり、読んでみる情報とは、個人のアイデンティティ、または人格にある程度沿ったものであるということだ。

また、「自分の価値観を否定するもの」や「目にしたくないもの」は、アンフォローなどで自主的に排斥される。このようにして、SNSプラットフォームは、あたかも自分自身の声が反響しているかのような“類友同士”の場となる。これが「エコーチェンバー(共鳴室)」と呼ばれる空間だ。
そしてこのエコーチェンバーは、陰謀論やデマといった、偏った思考を蔓延させてしまうひとつの要因になっている。
では、なぜ陰謀論やデマは、世の中にはびこり続けるのか? 
サイエンスニュースと違い、それらには、もともと科学的裏付けが曖昧という性質がある。
よってネットで検索すると、賛否両論の意見が見受けられるものだが、「人々は自分の信念と共存できる“証拠”だけをシェアするのだ」

私たちは、セオリーがデータによりサポートされているかどうかなど、合理的なレベルでものを考えない。
あくまでも、自分のオンラインアイデンティティに沿った情報を探し出すのである。

人々が、ある情報の真偽に対するリサーチをする目的は、すでに自分のなかで決まっている“答え”を確認する行為でしかない。
ゆえに、最初から信念に反論する情報には目を通すことをしない。
これが「確証バイアス」であり、偏った思考をつくり出してしまうものだ。


正しい情報を提示すれば、陰謀論やデマの拡散は抑えられるのか?

残念なことに、デマや陰謀論を信じる人々に、ただ“正しい情報”を提示するだけでは、彼らの信念を変えることは難しいという。
それはなぜか? 情報の妥当性の判断には、個人の内面的な部分、つまり育った環境や経験が大きくかかわってくる。
陰謀論者が信じる情報が内包する社会的価値観とは、個人のアイデンティティというコアな部分に触れるものであり、自分が生きるための指標としてきた「世界観」を揺るがす“事実”を、人は簡単には受け入れることができないからだ。

ゆえに、陰謀論者がSNS上で相反する情報を目にした場合、それらは無視されるか、自分の価値観を守るべく保守的になる。

意見の衝突は、困ったことに解決策をみることは少ない。「感情的信念」対「論理的意見」という構図では、逆にさらなる二極化を促し、対立してしまうことになるのだという。


では、どうすれば、世の中にはびこるデマや陰謀論を排除し、社会に必要な情報を伝えていけるのだろうか? 

「確証バイアスの説得力は非常に強いものです。一度、個人が彼らにとっての“真実”を見出したが最後、外からの意見や、反論には耳を傾けなくなります」




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子どもの価値観

2018-10-11 | 娘と夫の話
子どもが小学校の時「父親参観」という、土曜日にやる参観日があった。(月曜を代休にする)
が、実際は「母親と父親」もしくは「母親のみ」が参加で、父親のみが参観なんて見たことなかった。
あれは正しくは「父親も参観」というのではないだろうか。

親しいママ友がボヤいていた。
「うちの旦那、一人で学校行けないって言うの。バカじゃない?私も子どももできるこんな簡単なことが、なんで大の大人ができないわけ?」
いやいや、うちもそうですねん!!
これは男のミステリーの一つと思う。

そのある「父親も参観」の日に、私は夫が毎度の不在で一人で参加した。
その日の授業は体育でドッジボールだった。
先生が
「ぜひ保護者の方も参加してください。みんな、お父さんを誘いにいきましょう!!」
と言ったら、何人かの子が一斉にお父さんに走り寄って行った。
まだ反抗期前だった娘も、今ではあり得ない天使のような笑顔ですっとんできて、私の手を引っぱった。
「ママ入って!お願い。いいでしょ?」
「いやいや先生、お父さんって言ってるし。ママが入ったらイタイというかなんというか…( ;∀;)」

結局4人のお父さんが入って授業は盛りあがった。
本気でやるのかな?と思ったら、意外にニコニコしてやさしい球を投げるお父さんが多かった。
わからないけど、真っ向から子育てをしてる女だったらもっと遠慮しない気がした。
私も参加してたら、逃げるばかりの娘に容赦ない球を投げる男の子に、本気の球をぶん投げたかもしれない(笑)

参観日以外に、母親がボランティアで授業に参加することは他にもあったようである。
バスケの授業に経験のあるお母さんが教えにいったり、家庭科の裁縫の授業では、得意なお母さんが補助で
ついたと聞いた。
子どもはそういうのが、やはり誇らしいようである。

「ママはそういう得意はないわけ?」
はい、ないです。(全く痛いとこ付くなー)

言い訳すると、娘の友達の似顔絵とか漫画のキャラクターを描くとかなら少々できる。
たまにやると、一瞬だけど早朝の弁当作りより、お小遣いを渡すより、尊敬の眼差しで見られたりする。

産んだことより育てたことより、これかい?
子どもの価値観もミステリーなのは、今も変わらずしばしばある。
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