2022年12月17日、クリニックを訪れた際に、待ち時間に稲荷山公園の木々を撮ってみた。
展望台周辺から北西の方向を臨む。ケヤキだろうか、木々の葉が黄や赤の装いを凝らし、今年最後の輝きを見せていた。
入間川沿岸では川の流れによって形成された河岸段丘からの湧き水を求め、8千年位前から人々が住み始めたという。
稲荷山公園近辺の入間川河川敷の標高は50mほど、北斜面の展望台辺りは65mほどか。標高差は15mほどもある。ここは、いたって見晴らしがいい。
📷2022/12/17 この文様はどこまで伸長していくのだろう。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022/12/17 この部分だけ散ることを諦めたかのようだった。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
鈍色の曇り空に描かれたジオメトリック・パターン。
小枝に残るユリノキの花がらがナニゴトかを物語るようで、しばらく見つめていた。
ほんの少し散り残った葉、晴れていて、空が青かったら、もっと綺麗だったのにとちょっと残念に思う。
📷2022/12/17 プラタナスの紅葉もいいものだね。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022/12/17 茶色に染まった葉と、ちょっと長い柄の実と。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
稲荷山公園の本園の方へと移動する。ここには、丈の高い木が多い。
このプラタナスの木でさえ30mを超えるだろう。デッカイものを見るって、気分がとてもおおらかになる。
📷2022/12/17 杉なのか? こっちもデッカイぞ~。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022/12/17 見るだけでもくしゃみが出そうな構図。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
木を撮ろうと思ったが、山野草と同様に、こちらの知識もかなり危なっかしい。そこで、Googleレンズの出番となる。しかしねぇ、えっと思うほど真偽の判断も覚束ないのだよ。
レンズ君は「スギ」と告げた。実は、我が家にも杉の木が1本ある。とある神社の境内に芽生えていた小さな苗をいまは亡き両親が、「御神木の子孫じゃ!」と言って植えたものだ。
その風貌を基準に見比べると、なんか違うんじゃい! なんて思ってしまう。
📷2022/12/17 こうやって見ると、ツインズの木。名前は知らない。。。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022/12/17 枝振りのよい針葉樹。でも、名前は知らない。。。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
レンズはオイヒバとか、ヒマラヤスギとか言ってるけど、ごめんなさい、名前はわかりません。
双子の木が面白いから撮ったようなもんだし、枝ぶりのよさにほだされて撮ったようなものなのである。だから、名前はわかりません。ごめんなさい。
粋な計らい! 周囲にはかなり空間がある。いいよ、花の季節は。
高さといい、幅といい、申し分ない。一本桜感が十分に楽しめるんだ。
📷2022/12/17 桜の冬芽。まだまだ固い。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📷2022/12/17 さまざまな歴史を垣間見てきたであろう古木が多い。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
稲荷山公園は桜の名所である。春、西武池袋線稲荷山公園駅を降り、すぐ目の前にある正面ゲートをくぐると右に左にソメイヨシノが咲き乱れている。
この桜は、周回路を右へと辿った北側のゾーンに植えられている。
📷2022年12月24日 コゴメウツギの葉、先が尖り、左右の葉元が翼状に小さく膨らんでいる。モミジイチゴの葉のようでもある。 (画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
まだまだたくさんの木々を撮ってきたのだが、見ている分にはいいのだが、名前のわからない木が多い。これは何? なんて画像が続くのも興ざめだろう。
最後に、黄葉が目を引く灌木を一つご紹介しておこう。コゴメウツギである。バラ科コゴメウツギ属の落葉広葉/低木で、5月頃には名前の通り、花茎4~5mmの黄白色の五弁花を多数つける。そして、秋が深まると、ご覧のように黄葉の姿も見せてくれるというわけだ。
「Some people cannot see the wood for the trees.」――木を見て森を見ない人もいる。
「L’arbre cache souvent la forêt.」――木はしばしば森を隠す。
「木を見て森を見ず」の語源は、西洋に端を発するという説がある。そのいずれもが、「小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ」ということになる。
木の名前など小さなことに拘泥せず、その見たままの姿に感興を覚えようと言われているような気がする。
物事は見る人の視点によってさまざまに変わるのだと、諭されているようにも。
僕が現役の頃、「複眼の~」といった書籍のタイトルが流行った覚えがある。いや、いや、トンボじゃないんだからと揶揄した覚えがあるのだが、多角的、多面的に物事を見ることによって見えないものが見えてくることがあるのかもしれない。
まぁ、木を見て名前も満足に答えることができないモノが、事新しく言うべきことじゃないかもしれないけど・・・。
未だに、木をみると、食いついてしまいます。
(あ、たまに抱きつきますが、本当に食いつきはしませんのでご安心を)
木は冬ですね。
樹形がはっきりわかりますし、ユリノキのように花がらや、落ちそびれた葉が残っているのもいいですね。
今年は結構紅葉・黄葉も綺麗でした。
針葉樹の右側はヒマラヤスギっぽいですが、左のツインズは分かりません。
木が好きと言いふらしていますが、実態は名札がないとそんなものです(笑)
木を見て森を見ず・・・それって私のことかしら。
森に入ると、木ばかり追って、全体を見ることができません。
そのうち遭難するかもです^^;
(それにしても、Googleマップって便利ですね)
「木を見て森を見ず」、今日のブログはなかなか示唆に富んでいますね。
私には正直、難しくてよくわかりません。
でも、「木の名前など小さなことに拘泥せず、その見たままの姿に感興を覚えよう」
というkiteさんの考えには共鳴を覚えます。(^.^)
とは言いながら、木の紅葉する姿を見ると、この木は何だろう?と考えてしまいます。
そんな時は私もレンズ君が便利で、いつもお伺いを立てています。
でも、いつも複数の候補が上がり、どれが正しいのか迷ってしまいます。
花木の知識が乏しい私には、それ以上絞り込めず、わからないままになっています。
今年もkiteさんのブログでたくさんの美しい山野草を拝見しました。
ただ、相変わらず名前を覚えることは苦手で、わからない山野草ばかりです。
覚えるのに一番確実な方法は、自分で育てて見るのに限りますが、猫どころか鼠の
額ほどしかないわが家の庭ではかなわぬ夢です。
そこで、冒頭のkiteさんの言葉に救われます。
「木の名前など小さなことに拘泥せず、その見たままの姿に感興を覚えよう」
今年はkiteさんには大変お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。どうぞ良いお年をお迎えください。(^.^)
こんにちは。
木本と言わず、草本と言わず、すべからく名前を導き出してしまうオールラウンダー、それが僕のなつみかんさん像なんです。
なぜそんなにお詳しいのでしょう。そう、言うならば、森を見て木や草をも推量してしまう連達の士と言えましょう。
それに引き換え、僕は2015年にみん花に参画して以来、もうすぐ8年になるというのに未だにビギナーの域を出ません。
あっ、ああっ、遭難はまずいですよ、遭難は。しっかり、大地を踏みしめてフィールドワークを続けてくださいませ。
励ましのコメント有難うございました<(_ _)>
Ninbu さん、こんにちは。
そう、やはり見つけることができず、ただただ安直に木へと宗旨変えしてしまいました 汗
撮ってみたところ、意外と面白いことに気づきました。
凛とした針葉樹の深い緑もいいですが、葉を落とした落葉樹の枝の美しさに惚れ惚れすることも。
とくに、この時期、このテーマは頻出するかもしれません 笑
「木の名前など小さなことに拘泥せず、その見たままの姿に感興を覚えよう」
あっ、これですね。。。
こんな言い方をするとかっこいいかもしれませんが、なに、単に自分の不勉強を棚に上げ、視点を逸らせるためのレトリックかもしれませんよ。
年末は一段と寒さが厳しくなるとのこと。お体に気をつけてよいお年をお迎えください。