9月中旬の宇治・奈良旅行でのこと。
京都府宇治市、
宇治上神社を参拝したのち、
紫式部像を見に行きました。
宇治橋と紫式部像。
紫式部像とムラサキシキブの実。
宇治十帖古蹟のひとつ「夢浮橋之古蹟」碑もあります。
こののち、JR宇治駅から奈良へ移動しました。 たっぷり野菜の和風イタリアン「奈良キッチン」でディナー♪ へ続きます。
9月中旬の宇治・奈良旅行でのこと。
京都府宇治市にある
宇治上神社をお参りしました。
『源氏物語』宇治十帖に登場する
宇治の八の宮(光源氏の異母弟)の邸宅は
宇治上神社付近にあったと考えられています。 拝殿を様々な角度から撮ってみました。
本殿
ご祭神
・中殿 応神天皇(父君)
・左殿 菟道稚郎子(弟君)
・右殿 仁徳天皇(兄君) 御朱印
宇治上神社にはご朱印が数種類あります。
紫式部にちなみ、紫の台紙に金字をのせた
御朱印をいただきました。
宇治上神社をお参りしたのち、
宇治橋を渡って紫式部像を見に行きました。
宇治橋から見た宇治川の様子。 紫式部像 へ続きます。
9月中旬の宇治・奈良旅行でのこと。
宇治市源氏物語ミュージアムでは
連続講座『「私」と源氏物語』が開催されています。
9月15日(火)に行われた第5回は、
京都学園大学教授 山本淳子先生による
「紫式部と『源氏物語』」ということで
早めに受講申し込みをし、この日を待っていました。
とても充実した学びの時間を過ごせて
幸せでした。
紫式部の「光源氏の物語」に込めた思い、
そして「宇治十帖」にこめた思いについて
お話くださいました。
<メモ。>
『紫式部日記』や『源氏物語』で用いられている
“花鳥の色をも音をも”、“花鳥の色にも音にも”という語は
紫式部の父方の祖父・藤原雅正の和歌から引用されたもの。
【後撰和歌集】より
花鳥の色をも音をもいたづらに もの憂かる身は過ぐすものみなり
今まで『紫式部日記』や『源氏物語』において
“花鳥の色をも音をも”が用いられていることに
気付いていなかったので目から鱗が落ちる思いでした。
※宇治市源氏物語ミュージアム
⇒ http://www.uji-genji.jp/
山本淳子先生の講座は過去に2回ほど拝聴したことがあり
また山本先生のお話を拝聴できる機会があれば・・・と願っていたところでした。
今回、受講できて本当によかったです。 宇治市源氏物語ミュージアム「花散里」で『早蕨』をいただきました♪ へ続きます。
9月中旬の宇治・奈良旅行でのこと。
先週のこと。
京都府宇治市にある
宇治市源氏物語ミュージアムで
ほぼ一日を過ごしました。
※宇治市源氏物語ミュージアム
⇒ http://www.uji-genji.jp/
源氏物語ミュージアムの庭で
色づき始めていたムラサキシキブの実。
■常設展示 平安の間
女房たちと公達
牛車
光源氏の邸宅「六條院」の模型 宇治の間
宇治の八の宮邸。
大君と中の君を垣間見る薫。
浮舟と匂宮。
■映像展示
映画「橋姫~女人たちの心の丈~」と
映画「浮舟」の両方を観覧しました。
※それぞれの上映時間は20分です。
両方を見たい方は源氏物語ミュージアムで
たっぷり時間を取るようオススメします。
■企画展
「絵で見る平安時代ー王朝びとのくらしー」を鑑賞。
※この企画展は、9月27日(日)まで。
屏風絵をゆっくる見ることが出来てよかったです。
展示を鑑賞したあと、
冊子「宇治でつづる夢のつづき」(平成22年発行。DVD付き)を購入。
読み応え・見応えがある一冊でした。
お昼ごはんは、
ミュージアムの喫茶室「花散里」にて
「しっぽく茶そば」をいただきました。
また、同じく「花散里」にて
宇治市源氏物語ミュージアムのグッズ
「ベイクドクッキー」や「宇治抹茶飴」、
「ハンカチ」、来年の「カレンダー」などを購入。
たくさんの源氏物語グッズを取り扱っていらっしゃるので
目移りしてしまいます。嬉しい悩みですね。
午後からは、待ちに待った講座の受講です!! 宇治市源氏物語ミュージアムで山本淳子先生による講座「紫式部と『源氏物語』」を拝聴しました♪ へ続きます。
平安時代好きブロガー なぎ です。
9月9日は「重陽の節供」。
別名「菊の節供」ともよばれます。
9月8日の夜に菊花の上に真綿をかぶせて露や菊の花の香りを移し、
9日の朝にその綿で体や顔を拭うと老いが避けられる・若返ると考えられていました。
この露や菊の花の香りが移った綿を「菊の着せ綿」といいます。
さて、
「重陽の節供」の「菊の着せ綿」といえば思い出される和歌があります。
菊の露 若ゆばかりに 袖触れて
花のあるじに 千代は譲らむ
上記の和歌は、
寛弘5年(1008年)9月9日、
藤原道長の正妻である源倫子から紫式部へ「菊の着せ綿」が贈られた時に紫式部が詠んだ歌で『紫式部日記』や『紫式部集』にも収められている歌です。
けれども、この歌が倫子に送られることはなかったのだとか。
山本淳子先生による『紫式部日記』の現代語訳によると、
「せっかくの菊の露、私はほんの少し若返る程度に触れておいて、
後は花の持ち主、奥様にみなお譲りしますわ。どうぞ千年も若返って下さいませ」
という意味だそうです。
「菊の着せ綿」を贈ってきた源倫子、
それに対して和歌を詠んだ紫式部の関係をどうみるか諸説あるそうです。
・「菊の着せ綿(=アンチエイジング)が必要なのは私ではなく倫子さまのほうですよ。」
・「私のような身分低い者が倫子さまから菊の着せ綿を賜るなんて恐れ多いです~!」
どちらでも意味を受け取れる和歌のような気がします。
この当時、藤原道長の正妻である源倫子は45歳。
紫式部のほうが年下です。
一説によると、紫式部は藤原道長の召人であったともいわれており、倫子に対するささやかな嫌味なのか。
一方で、源倫子と紫式部は「またいとこ」の関係でもあり、ふたりは親しい間柄だったと見る方もいらっしゃるそうです。
そのため気軽な冗談であったのか。
ただ繰り返しますがこの和歌は源倫子に送られてはいません。
しかしそれを敢えて『紫式部日記』に書いた紫式部の真意は…?
謎です。
風俗博物館
京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)