晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

【光る君へ】藤原道長による「望月の歌」、四納言による解釈メモ

2024年11月26日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

大河ドラマ『光る君へ』は(いろいろと思うところはありますが)毎回楽しく視聴しています。

 

『光る君へ』第44回「望月の夜」(2024年11月17日放送)において、藤原道長が詠んだ有名な和歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたる事も無しと思へば」が披露されました。

 

スポニチの記事 「光る君へ」ネット反響“新解釈”道長「望月の歌」まひろへの返歌「虚しさ抱きながら」大石静氏語る裏側 [2024年11月24日 20:45 ]によると、「望月の歌」についてこのようににありました。

 

孤立していく中、「この夜だけはよい夜だと思いたい」という道長の歌の心は、まひろにだけは伝わっていた。

 「望月の歌」は、第36回「待ち望まれた日」(9月22日)、彰子が待望の皇子・敦成(あつひら)親王を産んだ時、まひろが道長の前で詠んだ「めずらしき 光さしそう 盃は もちながらこそ 千代もめぐらめ」への返歌だったのだ。

 

 

『光る君へ』において、「望月の歌」はまひろへ向けた歌であったようです。

 

私は、二次会の宴で道長自身も参列者も酔っていた中、道長の本音(傲慢さ、喜び、達成感)が出た歌だろうと思っていました。

酔いの席とはいえ、やり過ぎ感があると道長も自覚していたからこそ、道長は日記『御堂関白記』には歌の詳細までは書かなかったのではないかと…。(想像です)

 

【↑この画像は、NHKの 大河ドラマ「光る君へ」コラボ企画「かなふみ」で作成】

 

 

『光る君へ』第45回「はばたき」(11月24日放送)では、藤原道長による「望月の歌」について四納言が談義していました。

字幕を見ながらセリフをメモに取ったので書き出しておきます。

 


源 俊賢「この世をば… 栄華を極めた今を謳い上げておられるのでありましょう。何もかも思いのままであると。」


藤原公任「今宵はまことによい夜であるな。…くらいの軽い気持ちではないのか?道長は皆の前でおごった歌を披露するような人となりではない。」


藤原行成「私もそう思います。月は后を表しますゆえ 3人の后は望月のように欠けていない よい夜だ ということだと思いました。」

藤原斉信「そうかな…。」


 

皆で唱和した「望月の歌」ではありますが、解釈がそれぞれ異なるのが印象的でした。

 

 

 

 

 


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【旅行記INDEX】京都へ行ってきました!(2024年11月)

2024年11月24日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年11月、京都へ行ってきました。

フェリー1泊、京都2泊3日の旅となりました。

 

ゆっくりまったり、旅行でのことをぽつぽつブログに書きたいと思います。

(広島県立歴史博物館の「源氏物語の世界展」のことと並行して記事を書きます。それぞれリンクを整理するまで見づらいと思います。ごめんなさい。💦)

 

旅行1日目

 ・東三条殿跡

 ・二条宮跡

 ・二条駿河屋の「亥の子餅」

 ・高松神明神社(高松殿)

 ・虎屋菓寮「亥の子餅」

 ・枇杷殿跡

 ・藤原定家 一条京極第跡

 ・ランチ

 ・清浄華院で法成寺境内推定地から出土した礎石を見学

 ・廬山寺(紫式部邸宅址)

 ・京都仙洞御所

 ・土御門第跡

  ┗ 【平安あれこれ】2024年11月16日、土御門第跡にて「望月の歌」を偲ぶ

 

旅行2日目

 ・上賀茂神社

 ・ランチ

 

旅行3日目

 ・京都産業大学ギャラリー 特別展「源氏物語の世界ーよむ・みる・あそぶー」

 ・風俗博物館

 ・ランチ

 

 

******おすすめの展覧会です******

京都産業大学ギャラリー

特別展「源氏物語の世界ーよむ・みる・あそぶー」  

 会期:10月21日(月)~11月30日(土)

 会場:京都産業大学ギャラリー  

(京都市下京区中堂寺命婦町1-10 むすびわざ館2階)

※入館料無料

 

 


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【広島県立歴史博物館】特別展「源氏物語の世界展」より 女性装束 十二単の変遷(2024年9月)

2024年11月24日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年9月のこと。

広島県立歴史博物館の秋の特別展「源氏物語の世界展」を見に行ってきました。

展示品が多く大変見ごたえがある展覧会でした。

 

そのうち、特に印象に残ったものをブログで数回に分けてご紹介したいと思います。

会場内は一部を除き、風俗博物館の所蔵品は写真撮影可能でした。

 

※ ❝ ❞内は、解説パネルより。

※用語の読みや意味は( )または[ ]で補っています。

 

 

第二章 『衣』よそおいの源氏物語

女性装束 十二単の変遷

 

【十二単の変遷 展示の様子】

平安時代初期から令和にいたるまでの十二単が展示されていました。

 

 

①平安時代初期〜中期

ー遣唐使停止を機に国風装束へー

裙帯比礼の物具装束 (公家女房) [復元品]

❝裙帯[くんたい=飾り帯]、領巾[比礼(ひれ)=肩に掛ける細長い布]をつけ、髪を垂らした後、結い上げ、宝冠(ほうかん)をつけた奈良時代の礼服(らいふく)の形を残したもの❞

 

フル装備された十二単って感じ。

髪が結い上げられ宝冠をつけた姿にうっとり✨

裙帯や領巾(比礼)も美しいです。

 

 

②平安時代中期

ー唐様(からよう)を変化させ日本独自の十二単の完成ー 

晴れの装い・十二単(公家女房) [復元品]

うっかりして、解説パネルを撮るのを忘れていました💦

復元された平安時代の十二単としてポピュラーな姿ですよね。

胸元を見ると、単から表着までをまとめて合せられているのがポイント。

 

 

③江戸時代 前期

ー応仁の大乱以来の有職の乱れー

儀式服と化した十二単、伝承の混乱

正装(公家女房)[復元品]

❝室町時代の応仁の乱(1467年~1477年)の後、しきたりが不明となり十二単に特別な形が生まれました。❞

❝この姿は後水尾天皇中宮和子(江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘)の遺品を復原したものです。❞

 

雛人形では現在も掛帯(かけおび)付きの裳を身に着けた女雛を目にすることがあります。

しきたりが不明であった時期を経て、当時の美意識や研究によってこの姿があったと思うと感慨深いです。

 

 

④令和の即位礼 皇后陛下

十二単[複製品]

❝即位礼における皇后陛下の盛装です。

白小袖に長袴をつけ、その上に単、五衣、打衣、表着を重ね、唐衣と裳をつける形式は平安時代に近いものです。

髪型は江戸時代後期以来の形式である大すべらかしで、平額(ひらびたい)[釵子(さいし)]・櫛を飾ります。❞

 

優しいお色ですよね。

360度ぐるぐるまわって見学しました。笑

 

 

会場内には二十枚の重袿の上に裳と唐衣を身に着けた人形の展示も。

【二十枚の重袿が圧巻です】

立て膝をして座っているのも素敵。

 

【二十枚の重袿+裳+唐衣】

裳を後ろに長くひいている姿が美しいです。

 

 

この展覧会は、2024年9月27日(金)~12月1日(日)まで。

 

 


ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)

 広島県福山市西町二丁目4-1

 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/


 

 

※十二単の変遷にご興味がおありの方は、当ブログ内のこちらの記事もどうぞ。

京都産業大学ギャラリーにおいて、風俗博物館所蔵の人形による展示がありました。

 【京都】「女子宮廷装束の華」展 ① 十二単の変遷

 

 

 

 


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【平安あれこれ】2024年11月16日、土御門第跡にて「望月の歌」を偲ぶ

2024年11月21日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

寛仁2年(1018年)10月16日、藤原道長が

「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」

と詠んだのは、道長の娘・威子が後一条天皇の皇后に立った日で、儀式が終わり、二次会のくつろいだ宴席でのことでした。

 

藤原道長の日記『御堂関白記』では、道長が和歌を詠み、人々がその和歌を詠唱したことしか記されていませんが、藤原実資の日記『小右記』において和歌の全容を知ることができます。

 

またこの時、『小右記』によると「夜深月明(夜深く、月明し)」と記されています。

和歌が詠まれた頃は夜も更けて望月(満月)が土御門第[土御門殿]を明るく照らしていたと思われます

 

2024年の場合、「望月の歌」が詠まれた旧暦10月16日にあたるのは、11月16日(土)でした。

・・・というわけで、私は「望月の歌」が詠まれた土御門第[土御門殿]を偲ぶべく2024年11月16日(土)当日に京都を訪ねたのでありました。

 

【土御門第(つちみかどてい)跡の駒札】

京都御苑(京都市上京区)内にある京都迎賓館の南、京都仙洞御所の北、清和院御門の西に駒札があります

 

↓ 土御門第跡 駒札より


土御門第跡

 平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、拡充され南北二町に及び、上東門第、京極第などとも呼ばれました。道長の長女彰子が一条天皇のお后となり、里内裏である当邸で、後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生しました。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌は、この邸で催された宴席で詠まれたといいます。


 

 

平安京オーバーレイマップや『新版 平安京図会』史跡散策の巻を見ますと、京都仙洞御所の北池あたりは、かつての土御門第跡の一部と重なります。

 

現在の京都仙洞御所・大宮御所に平安時代の面影はありませんが、事前に申し込みの上、約17年ぶりに参観しました。

江戸時代の後水尾上皇と東福門院(徳川和子)以来、上皇の住まいとして御所が営まれてきたところです。

 

庭園は当初は、小堀遠州による作庭でしたが度々の改修により、現在の姿となったそうです。

 

【京都仙洞御所 北池】

広々とした心地よいお庭です。木々の紅葉が始まっていました。

新たに池を掘るのは大変な作業でしょうから、ひょっとしたら土御門第があった頃の池が部分的にでも活かされていたりして…?

【京都仙洞御所 北池】

鴨をはじめ多くの鳥がゆったり過ごしています。

 

【2024年11月16日 午後6時頃、土御門第跡あたりから空を眺めました】

 

京都仙洞御所を参観後、一旦京都御苑を離れてから日没を待ち、再び京都御苑の土御門第跡あたりを再訪。

写真に見える塀は、京都仙洞御所の北側のものです。

 

空は厚い雲で覆われていました。

雲が途切れて望月(満月)が姿を現さないか、しばらく待ってみたものの月を見ることは叶いませんでした。

せめてベンチが雨で濡れていなかったら座って待てたのですが、立ちっぱなしでヘロヘロに。

 

雲のいづこに月やどるらむ…。

 

【写真中央寄り、ほんのり明るいところに満月はあったのかも…?】

 

【清浄華院 特別御朱印】

京都御苑の近くにある清浄華院では、藤原道長が晩年を過ごした法成寺の礎石を設置・保管されていることから道長に関する特別御朱印を授与されています。(2024年12月まで)

「望月の歌」が詠まれたのと同じ日にこの御朱印をいただけてよかったです。

 

 

※京都仙洞御所や清浄華院が設置・保管されている礎石については別記事で書きたいと思います。

 

 

 

 

 


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