晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

【平安あれこれ】紫式部公園(福井県越前市)

2022年10月14日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2021年11月のこと。

福井県越前市にある紫式部公園を訪ねました。

 

 

平安京で生まれた紫式部は、長徳2年(996年)に越前守となった父・藤原為時とともに越前国[現在の福井県北東部]へ下りました。

越前国府は現在の福井県越前市[武生地区]にあり、そこで紫式部たちは過ごしましたが

長徳3年(997年)の年末か長徳4年(998年)の春に父を残して紫式部は帰京しています。

 

越前国で1年あまりを過ごした紫式部は何を想いどんなことを見聞きしたでしょうか。

京との違いに喜んだり落胆したりすることもあったでしょう。

それらの経験は後に執筆する『源氏物語』に少なからず影響があったと思われます。

 

 

紫式部がただ一度、平安京を離れて過ごした越前国。

 

これを記念してつくられた「紫式部公園」は、金色の紫式部像[像:高さ約3メートル/台座:高さ約2メートル]や紫式部歌碑・釣殿・池がある広々とした公園で市民の憩いの場となっています。

(入園無料)

 

 紫式部像の足もとは都の方を向き、視線の先には日野山(ひのさん)が…✨

 

紫式部像 台座 向かって右側(↓ 説明板より)

 武生に向かう国司の一行、新任の国の守である父 藤原為時は

 乗馬姿、紫式部は袿姿で荷物を担ぐ人たちをねぎらいながら、

 輿を降りて一休みする木ノ芽峠あたりの情景

 

紫式部像 台座 向かって左側(↓ 説明板より)

 若宮の五十日の祝いの当夜、藤原道長に賀の歌を所望され、

 紫式部が「いかにいかが数へやるべき 八千歳のあまりひさしき

 君が御代をば」ととっさに歌を詠む「紫式部日記絵巻」の有名な場面

 

紫式部像の視線のずっと先には、日野山(ひのさん)[日野嶽・越前富士]があります。

美しい…!!✨

紫式部公園の池には中島や朱い反橋・平橋も。

 

紫式部公園には寝殿造でいうところの釣殿もあり雰囲気満点。

 

釣殿(つりどの)

 南池に臨んで建てた建物。本来は釣り用であったが、宴・管絃・詠詩詠歌・花見・納涼・観月・雪見だとの行事が四季を通じて行われた。【引用:倉田実 編『平安大事典』朝日新聞出版 2015年】

 

釣殿から見る景色

 

夕方の紫式部公園 釣殿

 

 

「紫式部公園」に隣接して、2021年4月に「紫式部と国府資料館 紫ゆかりの館がオープン。

こちらもオススメいたします

 紫ゆかりの館 公式ホームページ

 

 

 


 

 紫式部公園

  福井県越前市東千福町2

 


 

 

 


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【平安あれこれ】亥の月、亥の日、亥の刻に「亥の子餅」

2022年10月04日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

毎年10月に入ると「亥の子餅(いのこもち)」を販売し始める和菓子屋さんが出てきます。

今回は『源氏物語』第9帖 「葵」巻でもその名が登場する「亥の子餅」について。

 

【イラスト:かわいいフリー素材 いらすとや

 

平安時代の宮中における十月の年中行事のひとつ、「猪子祝(いのこいわい)」[亥の子の祝い]で用いられた餅は「亥の子餅」と呼ばれたそうです。

亥の月 亥の日 亥の刻  に 猪の子の形をした餅…「亥の子餅」を食べると万病が避けられるといわれており、たくさん子どもを産む猪にあやかり子孫繁栄が願われたのだとか。

(猪の子の形をした餅であって、猪は入っていません。)

 

  • 亥の月:旧暦10月
  • 亥の日:平安時代の場合、旧暦10月の初めての亥の日
  • 亥の刻:午後9時~11時頃

 

旧暦での四季は

 春:1月・2月・3月

 夏:4月・5月・6月

 秋:7月・8月・9月

 冬:10月・11月・12月

 

旧暦10月は冬でありこれから本格的な寒さに向かう頃…。

無病息災を願うのにふさわしい時期なのかもしれません。

 

 

『源氏物語』第9帖「葵」巻では、光源氏と紫の上が結ばれた第二夜に、「亥の子餅」が登場する場面があります。

 


『源氏物語』「葵」巻より

 
 その夜さり、亥の子餅参らせたり。かかる御思ひのほどなれば、ことことしきさまにはあらで、こなたばかりに、をかしげなる桧破籠などばかりを、色々にて参れる ~(略)~

 

 [現代語訳:その晩、(お邸の者が)亥の子餅を御前に差し上げた。こうした(葵の上の)喪中の折なので、大げさにはせずに、こちらの姫君(=紫の上)のものにだけ美しい桧破籠などぐらいを、様々な色の趣向を凝らして持参した ~(略)~]

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】


 

十月初亥の日、「亥の子餅」が光源氏と紫の上のもとに届けられます。

光源氏は葵の上の喪中であるため、葵の上の服喪に関係のない紫の上にだけは趣向を凝らした美しい檜破籠(ひわりご)に入れられた「亥の子餅」が用意されました。

※檜破籠(ひわりご)=破子(わりご)とも。食べ物を入れて運ぶための蓋つきの容器。檜の薄い板を折り曲げて作り、中に仕切りを入れたもの。

 

亥の子餅が用意されたあと、光源氏は惟光を呼んで「この餅をこうたくさんではなく明日の夕暮れにこちらに差し上げよ。今日は日柄が良くない日だった。」と伝えます。

機転が利く惟光は、この言葉で光源氏が紫の上と結ばれたことを察し、翌日の夕暮れに「三日夜の餅」を用意するのでした。

※三日夜の餅=平安時代の結婚の始まりは三日連続男性が女性の元に通うことであり、三日目の夜に「三日夜の餅」と呼ばれる餅が食べられました。

 

 

『源氏物語』第9帖 「葵」巻の内容から、光源氏と紫の上が結ばれたのは旧暦10月の初亥の日の前日であることがわかります。

 

さて。

話は戻って…

現在の「亥の子餅」は、10月~11月(旧暦10月)頃、和菓子屋の店頭に並ぶことが多いです。

同じ「亥の子餅」という名でイノシシの子を模した姿でありながら、お店によって異なるので食べ比べをしても楽しいと思います。

 

 

以下の写真は私が今までいただいたことがある「亥の子餅」です。

 

【京菓子司 俵屋吉冨 (京都市)】

 

【御菓子處 五島(福岡市)】

 

【京菓匠 甘春堂 (京都市】

 

【とらや (京都市)】

 

【有職菓子御調進所 老松 (京都市)】

 

【御生菓子舗 米満軒 (京都市、清凉寺仁王門前)…閉店】

 

【大福餅老舗 (京都市、千本ゑんま堂近く)】

 

【栄屋菓子舗 (埼玉県桶川市)】

 

【御菓子司 かぎ甚 (京都市)】

(実際はもっとふっくら)

 

【丸芳露本舗 北島 (佐賀市)】

 

【小布施堂 (長野県上高井郡小布施町)】

 

 

※この記事は、私が作成しているホームページ『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』「源氏物語追体験」平安時代の菓子「亥の子餅」のページをもとに編集・加筆しました。

 

 

【参考】

江馬務 著 『有職故実』 河原書店 1992年(13刷)

角田文衛 監修/(財)古代学協会・古代学研究所 編『平安時代史事典』OD版 角川学芸出版 2012年

鈴木一夫 監修/宮崎莊平 編『源氏物語の鑑賞と基礎知識』No,9 葵 至文堂 2000年

五島邦治 監修/風俗博物館 編集『源氏物語と京都 六條院へ出かけよう』光村推古書院 2005年

村井康彦 監修『源氏物語の雅 平安京と王朝びと』京都新聞出版センター 2008年

川村裕子 著/早川圭子 絵『はじめての王朝文化辞典』角川ソフィア文庫 2022年

 

 

 


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