晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

【平安あれこれ】東三条殿跡に建つ「京都かまんざホテル」に宿泊 その2

2022年05月31日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガーの なぎ です。

【平安あれこれ】東三条殿跡に建つ「京都かまんざホテル」に宿泊 その1 の続き。

 

京都かまんざホテル 1階「漆ギャラリー」の様子です。

 

吸い物椀「光琳波蒔絵」

 

屏風「夏草秋草蒔絵」

 

呂色塗エレベータ「光琳波に千鳥蒔絵」

 

どれも美しい…✨

 

今回、宿泊したのはデラックスダブルのお部屋。

(ひとりで泊まって広いベッドをごろごろしましたw)

 

 

 

室内は温かみのあるデザイン。

漆を塗ったカウンターや家具。

寝心地のよいベッド。

着心地のよい部屋着(作務衣)。

広々としたバストイレ。

 

快適に過ごすことができました。

 

こちらの京都かまんざホテルでは、蒔絵体験もできるのだとか。

気になりますー!

 

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【平安あれこれ】東三条殿跡に建つ「京都かまんざホテル」に宿泊 その1

2022年05月30日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2022年 5月のこと。

平安時代に存在した「東三条殿」の跡に建つ宿泊施設のひとつ、

『京都かまんざホテル』に宿泊しました。

 

(京都の地図をガン見して「東三条殿」跡に建つ宿泊施設を調べたところ、そのうちのひとつが『京都かまんざホテル』だったのでした。ホテル側としては「東三条殿」跡を売りにしているわけではありませんw)

 

さて、「東三条殿」は平安京 左京の三条(二条大路南側)に南北2町を占めており、藤原氏に代々伝えられた邸宅でした。

藤原兼家の娘で一条天皇の生母でもある藤原詮子は、この邸宅にちなみ「東三条院」の院号を得ています。

また藤原道長は「東三条殿」の大規模な建て替え工事をさせたこともあったのだとか。

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(東三条殿復原模型 2018年京都文化博物館にて撮影)

 

そんな「東三条殿」跡は、現在の京都市中京区押小路通釜座[かまんざ]を中心とする地域にあたります。

 

 

(押小路通釜座には石碑や説明板があります)

 

今回、「東三条殿」跡に泊まりたい!というわけで宿泊を決めたのでした。

 

 

京都かまんざホテル

 京都市中京区釜座通二条下る上松屋町702

 公式ホームページ

 ⇒ https://kyotokamanzahotel.jp/

 

 

外観

3階建てで客室は全10室のこじんまりとしたホテルです。

 

以下はロビーの様子。

 

 

館内のあちこちに漆の調度品や漆を塗った家具が…✨

漆塗りなのでいろいろなものが反射して綺麗に写真が撮れなかったのですがうっとり。

実際に見て欲しい!

 

公式ホームページによると

当ホテルは漆塗りの家具を専門とするメーカーが運営しており、銘木に漆を誂えた稀少な家具が豪華かつ暖かみのある空間を演出しております。

とのこと。

だから漆を使った家具が館内のあちこちで見られるのですね~!

 

平安時代の邸宅「東三条殿」内には、漆塗りの調度品がたくさんあったでしょうから、現在、漆塗りの家具を使った京都かまんざホテルに宿泊できるのは嬉しいですね。

この地は平安時代だったら庶民なんて踏み入れることもできなかったはずw

 

貴重な漆塗りの棚に電子レンジが置かれている…!

 

 

京都かまんざホテル その2へ続きます

 

 

 


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【平安あれこれ】源氏物語と紫式部と塩竈

2022年05月24日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

『源氏物語』や紫式部と縁のある土地で最北端なのは宮城県塩竈市ではないでしょうか。

 

『源氏物語』少女巻において光源氏は35歳の年の8月、秋好中宮が母・六条御息所から伝領した邸宅を含む敷地に「六条院」を造営しました。

 

 

『源氏物語』で登場するこの「六条院」は平安時代前期に実在した嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)[河原左大臣]の邸宅「河原院(かわらのいん)」がモデルだといわれています

「河原院」の園池は陸奥国の塩竃(しおがま)の浦を模して造られたのだとか。

のちには難波江の海水を「河原院」の池に運ばせては、塩を焼く煙(製塩)の風情を楽しんだという伝説まで生まれました。

 

 

また、紫式部の家集『紫式部集』では、紫式部が夫・藤原宣孝が亡くなった哀しみについて以下のように詞書と和歌を遺しています。

 

   世のはかなき事をなげくころ、みちのくに名ある

   ところどころかいたる絵を見て、しほがま

 

 見し人のけぶりになりし夕べより

  なぞむつましきしほがまの浦

 

[訳:夫を失い世のはかなき事を嘆くころ、陸奥に名のある

   所々を描いた絵を見て、塩釜、

夫であった人が煙となった夕べから

名こそ睦ましく感じられる塩釜の浦です。

 

※『紫式部集』の本文・現代語訳は『新訂版 紫式部と和歌の世界 一冊で読む紫式部家集 訳注付』(編:上原作和、廣田収)より引用しました。

☆Amazon:新訂版 紫式部と和歌の世界―一冊で読む紫式部家集 訳注付

 

 

このように

『源氏物語』や紫式部とゆかりある歌枕・塩竈…

検索してみたところ、現在、宮城県塩竈市には『源氏物語』少女巻(光源氏の六条院造営部分)の碑があるそうです。

 参考:文化の港 シオーモ文学館『源氏物語』少女

 

かつて発行されたという小冊子「光源氏の愛した地・塩釜へ」はこちらのページからダウンロードできます。

 参考:大槻総合研究所>>「光源氏の愛した地・塩釜へ」平安ロマンの体験型学習ツアー構築プロジェクト

 

塩竃の浦の美しい景色を見てみたいものです!

 

 

*ブログ「晴れのち平安」過去記事より。

よろしければこちらもご覧ください。

【PICK UP】『源氏物語光源氏の邸宅「六条院」を歩く

 六条院 春の町

 六条院 夏の町

 六条院 秋の町

 六条院 冬の町

 

☆Amazon:新訂版 紫式部と和歌の世界―一冊で読む紫式部家集 訳注付

 


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【平安あれこれ】紫式部と皇族との繋がり

2022年05月22日 | 平安あれこれ

平安時代好きのブロガー なぎ です。

系図をぼーっと見ていてふと思いました。

 

天武天皇の皇子・舎人親王の子孫である清少納言。

 

大おばの藤原桑子が醍醐天皇に入内して章明親王が生まれている紫式部。

紫式部の父・藤原為時は章明親王のいとこにあたるのですね。

章明親王は990年に亡くなっているので、973年頃(?)に生まれた紫式部と章明親王はひょっとしたら面識があるかもしれない…!?

 

当時の貴族って親族とどの程度の交流があったのかしら。

 

 

清少納言と紫式部、それぞれ祖や身内に皇族がいたいわば血筋の良さの矜持のようなものはあったのか。

気になる気になる。むむむ。

 

 

また、章明親王の娘3人のうち 隆子女王と済子女王はそれぞれ伊勢斎宮に卜定されています。

 

 

紫式部が『源氏物語』に

伊勢斎宮(=のちの秋好中宮)を登場させたり、野宮を舞台にしたのは

身内に伊勢斎宮がいたからこそ関心や親しみをもっていたのかも…?

 

想像(妄想?)は尽きません。

 

 

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【平安あれこれ】紫式部の曽祖父・藤原兼輔のこと

2022年05月21日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガーの なぎ です。

平安あれこれ。

 

紫式部の曽祖父

藤原兼輔

 

877年(元慶元年)~933年(承平3年)2月18日

 

平安前期の公卿。歌人。
中納言兼輔または堤中納言と呼ばれた。

[紫式部は曾孫にあたる。]

父は、藤原利基。
母は、伴氏。

醍醐天皇の叔父である藤原定方の従兄弟で

定方の娘婿でもあったため、定方の庇護もあり、

醍醐天皇に近侍した。

娘の桑子は醍醐天皇の更衣になり章明親王を産む。



親交が深かった敦慶親王(930年2月)・

醍醐天皇(930年9月)・藤原定方(932年)の

死が相次ぎ晩年は寂しい思いをしたのだとか。

 

家集『兼輔集』を遺す。

 


兼輔は、歌人の紀貫之(きのつらゆき)や

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)とも親しくしており

兼輔・定方・醍醐天皇・敦慶親王の4人は

醍醐朝の和歌文化を高めました。

兼輔が居住する堤第(つつみてい)

歌人たちが集うサロン的な存在だったようです。

 

(清少納言の祖である清原深養父も兼輔の堤第に召されて

琴などを弾いていたのだとか。)



藤原兼輔は「中納言兼輔」の名で、

藤原定方は「三条右大臣」の名で

それぞれ『百人一首』に和歌が撰ばれています。

紀貫之凡河内躬恒の和歌もあわせて以下にご紹介します。

 


みかの原 わきて流るる いづみ川

   いつみきとてか 恋しかるらむ

            
中納言兼輔


名にしおはば 逢坂山の さねかづら
   人に知られで くるよしもがな

            三条右大臣


人はいさ 心も知らず ふるさとは
   花ぞ昔の 香に匂ひける

            紀貫之


心あてに 折らばや折らむ 初霜の
   おきまどはせる 白菊の花

            凡河内躬恒


 

 

下記の藤原兼輔の歌は、『源氏物語』作中に度々、子を思う親心、

闇=子を思うゆえに迷う心 として引用されています。

 

 人の親の 心は闇に あらねども
   子を思ふ道に まどひぬるかな


       中納言兼輔 
(後撰和歌集)

 

 

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