コロナウイルス感染者が1月上旬に紹介したときにはそんなに多くはなかったが、中旬から増え始めて、新潟県も蔓延防止適用県となってしまった。一日500人にも達するほどの勢いで、我が西蒲区も20人を超えた日もあった。いつ感染してもおかしくない状況の中、いつものようにマスクと手洗い・うがいをしっかりとして行動をしていきたいと思っている。昨日快晴に恵まれた田んぼ道を歩いてみたので、今の平野部の状況を紹介したいl。
上の写真は西蒲原平野の日の出を撮ったもので、今から20年以上も前のものである。朝6時過ぎに裏の田んぼ道から、鎧潟クリーンセンターの後方の飯豊連峰から朝日が登ってきた瞬間である。この日は非常に寒かったことを覚えている。
さて、これまで「蒲原平野」をタイトルにしてブログを書いてきたが、実は「蒲原」という地域は我が西蒲原だけではないのだ。1879年(明治12年)に行政区画として、新潟県には、岩船郡や三島郡などど同じく、蒲原郡が設けられたのである。新発田や胎内を中心とした北蒲原郡、五泉の大部分を中心に中蒲原郡、阿賀町を中心とした東蒲原郡、三条を中心とした南蒲原郡、そして我が新潟市西蒲区や燕市などを中心とした西蒲原郡の5つの行政区だ。私の頭には蒲原平野の山というと、弥彦・角田・国上山と西蒲原のことだが、他の蒲原郡の人たちにとっては周りの自然は全く違うものとなる。前方や後方にそびえる山々(櫛形山や菱ヶ岳・白山・五頭連峰・福島県境の山々・粟ヶ岳や守門岳など)は北〜南の蒲原平野部の象徴でもある。このことから他の地域のことを考慮し、今後、タイトルを「西蒲原平野と自然」に変えたいと思っている。
1年で最も寒いと言われる大寒を過ぎた1月23日、久しぶりに積雪が5センチ程度あった田んぼ道を歩いてみた。上の弥彦・角田山系は遠目では雪の気配は感じられず、少雪が実感される。この田んぼの雪もすぐに溶けてしまった。反対側の粟ヶ岳を中心とした山々は根雪で真っ白だった(下)。
燕市の小山さんから、1月中旬〜下旬の国上山の山頂とそこから撮った平野部の画像が送られてきたので紹介したい。国上山は約313メートルの標高で、歴史ある国上寺と良寛様で有名だ。頂上からは右方に見える大河津分水の流れ、その横に西蒲原平野と良寛様が托鉢や説法で歩いた地蔵堂の集落が良く見える。大河津分水は、花魁道中で有名な「分水の桜並木」が素晴らしい。
旧巻町も子供の頃と大きく変わり、今では新潟市の一部となり、わずか3万足らずの町にスーパーマーケットが5つもできて賑わいを見せている。ドラックストアーも5つあり、採算がとれているのかと時々思う。ただ、街中は閑散として寂しい雰囲気である。弥彦街道や町中を走っていた県道・国道はバイパス116号線に変わり、車の流れも良くなっている(下)。バイパスの法面や川の土手等では、昔はススキがほとんどであったが、今では上の写真にもあるようにセイタカアワダチソウの枯れた姿が目立つ。
最後に我家の庭にある冬みることができる植物の実を紹介して終わりたい。ナンテン(上)・ヤブコウジ(下左)・マンリョウ(下右)の赤い実である。いつもの年は1月から2月にかけては、鳥たちに食べられて見ることができないが、今年は十分眺めることができた。ナンテンは中国原産で縁起物として庭木としてよく植えられる。古くから「難を転ずる」の語呂から縁起物や厄除けとされ、正月の飾りなどに良く使われる。日本では古来から絵などにも多く描かれており、知らない人はいないほど有名な木である。
マンリョウは、ヤブコウジ属に属する常緑性の木で、センリョウやナンテンとともに縁起物として正月飾りに良く用いられる。日本語で万両と書き、小さな丸い赤い実をたわわにならせる姿を、お金が沢山たまった様子に例えたものと言われている。私の家ではお金はたまっていないのでもっと植えなければ。ヤブコウジについては以前のブログで紹介したので説明を省きます。