自然好きなシニアの部屋

近くの野山を歩いて、植物・虫などを観察し、写真に撮っています。

弥彦・角田山系と蒲原平野2019年10月その2

2019-10-31 00:16:12 | 日記

 我が故郷蒲原平野も10月31日になり10月最後の日を迎えた。明日からはいよいよ晩秋の11月に入る。しかし、今年は例年に比べ少し暖かく感じるのは気のせいだろうか。弥彦・角田山系は本格的な紅葉の季節に入る。今私は健康のため家の周りを歩いているが、ここ3〜4日旧巻町の街なかを歩いてみたので、自然から離れて我が街(旧巻町)を少しだけ紹介したい。

 巻町は昭和29年頃周辺の峰岡、松の尾、角田・越前浜、漆山等の村々を統合して新しい街を形成した。巻町は西蒲原郡の郡都として、小さいながら政治・経済の中心的な存在であり、街なかは活気に満ちていた。それから約65年年を経た現在、新潟市との合併により大きく変化してしまった。どのように変化してきたかを述べるにはとても変化が多すぎてここでは紹介できないので、撮った写真を元にほんの2・3例をのべてみたい。

私の家から街の中心に行くには国道116号線を越え、越後線を渡って行かなければならない。昔は巻農業高校(現巻総合高校)と今はそのグランドになっている旧養鶏試験場脇を通り、越後線の歩道橋を渡る。歩道橋の上からは夕焼けをバックにしたは弥彦山を見ることができた。きれいだった。歩道橋の下では新潟行きであろうか、ちょうど駅に向かって列車が入ってきた。私が高校生の頃はまだこの線路を蒸気機関車が走っていたのを懐かしく思い出した。

街の中を歩くと、街の半分はシャッターが締まっている(上の写真)。また、巻町が最も賑わった二の町銀座と言われた四つ角があるが、午後5時半ころであるが人通りが全くなく、寂しい風景だった(下の写真)。

多くの店はシャッターが閉まっているが、雁木というかアーケードの明かりは明るく、まだまだこれからの希望が少しは感じる風景でもあった(上)。帰り道に見た116号線脇には今年オープンしたスーパーマーケットを中心とした店が明るく並び、その前の駐車場には車も多く並んで新しい時代を感じさせた(下)。実はこの場所は、以前は旧巻農業高校(現在の巻総合高校)の稲作の圃場であり、生徒が熱心に田植えや稲刈りの実習に励んだところだ。今はその面影もないが、目を閉じるとあの頃の懐かしい風景が蘇るのだ。

 


弥彦・角田山系と蒲原平野2019年10月

2019-10-09 18:58:24 | 日記

 蒲原平野は10月に入った。平野部の田んぼに絞って現状を少し紹介したい。田んぼでは10月9日現在、すべての稲刈りが終わっている。切り株から新葉が出ているが、その様がまるで緑の絨毯だ。この新葉も11月に入り冬の訪れで黄色に変化し、降雪とともに枯れていく。隣の田んぼでは2年前までは転作作物の一つであった大豆が褐色に変化し、収穫を待っている。日の入りは9月では6時10分ころであったが、一ヶ月後の今は5時15分ころだ。弥彦山には4時50分頃に沈んだ。稲刈りの終わった畦ではセイタカアワダチソウやススキが目立つ。収穫が終わり晩秋近くなると蒲原平野の風景にも何か寂しさが漂い始めている。

稲刈りの終わった田んぼは切り株から新葉が出て、緑の絨毯状態を呈している。

代表的な転作作物であった大豆は、面積的にはそんなに多くはないが、今では田んぼにおける栽培作物の一つになってきた。鞘には膨らんだ豆が目立ち、豊作を感じる。

弥彦山には午後4時50分ころ日が沈んだ(平野部では海よりは早い)。日の沈む速さには驚きだ。日没の光を浴びて、我が家の家庭菜園ではキャベツと大根・白菜が豊作だ。うれしい限りだ。

田んぼの農道や畦では、セイタカアワダチソウが盛りを迎えつつある。この雑草は私の子供時代にはほとんど見ることができないものだった。20代の頃大阪の近鉄線に乗ったとき、線路脇に多く見ることがあったが、今では道路や越後線路脇に多く見ることができる。雑草の種子は列車や車などで運搬されて広がっていくのがよくわかる。ススキもまだ健在なれど終わりに近い棉状の穂が目立ち始めてきた。

あぜ道には多くの雑草が生えているが、アメリカセンダングサ(上)も目立つ。この実にはトゲがあり、子供の頃この実を相手に投げて、服に吸着した数の多さで勝ち負けを決める遊びをしたものだ。田んぼの端にコメ倉庫らしい建物があった(西蒲区新谷集落)。「雪の香り米生産地」と書かれており、米の蒲原平野を象徴した建物だ。


弥彦・角田山系と蒲原平野2019年9月その2

2019-10-01 00:33:23 | 日記

 我が蒲原平野も9月下旬になると稲刈りがほとんど終わり、黄金色だった水田も切り株だけが目立つ。中には切り株から新しい稲の新葉が芽を出し、全体が緑に被われている田んぼもある。秋の夕焼けも弥彦・角田山を背景にしてきれいだ。間瀬峠を越えて日本海側に入ると佐渡を背景にした夕日もきれいだ。間瀬峠を越えるときに林道にはボタンヅルの花が盛りだ。また、平野部の田んぼの真ん中を走る農めん道路には「彼岸花」が盛りだ。まさに彼岸の秋、収穫の秋ですね。

蒲原平野は、稲刈りが終わり、あの黄金色だった田んぼもすっかりと色あせて寂しい風景である。ただ、早めに刈り取られた稲株からはもう新しい芽が出てきており、緑の絨毯になっている。夕方の空に目をやると夕焼けが美しい。

 田んぼの真ん中を走る農めん道路の両端には彼岸花が盛りだ。この彼岸花ロードは西蒲区新谷集落の人たちが植えて育てたもので、新潟市から表彰されたという。彼岸花は、お寺の墓地などに生えていたり、この球根を食べると毒があり、死ぬ(彼岸に入る)などと言われ忌み嫌われる花だという人もいるが、実際には仏教ではこの花を「曼珠沙華:花の色は白いらしい」と言って、縁起のいい花であるという。また、昔は水につけてこの球根の毒をぬいて食べ物にしたりして、救荒植物の一つに数えられたりもした重要な植物でもあったようだ。

 間瀬峠を越えて間瀬集落に入ると、佐渡をバックに夕焼けがきれいだった(下:6時10分頃に日が沈んだ)。間瀬漁港はこの夕日を浴びて静かに佇んでいた(上写真)。

 間瀬峠ではボタンヅルの花盛りだった(下の写真)。また、その近くに枝の下部に咲く珍しい花を見つけた。ところが白く花に見えたものは、「アオバハゴロモ」という昆虫であった。この昆虫はカメムシ科に属するヨコバイなどの仲間で、きれいな淡い緑色で羽の縁がピンクがかったもので、上向きに、それも一定間隔で枝にしがみついている様が花に見えたのだ。